大英博物館はなぜ「マンガ展」を開催したのか? キュレーターが語るその意義
イギリス・大英博物館で開催中の大規模マンガ展「The Citi exhibition Manga」。大英博物館はなぜいま「マンガ」の展覧会を開催したのか? マンガの展示と保存の意義、そして未来の可能について、担当キュレーター、ニコル・クーリッジ・ルマニエールと「東アジア文化都市2019豊島」マンガ・アニメ部門事業ディレクター・山内康裕が語り合う。
きっかけはひとつの単行本
山内康裕 展示を拝見しましたが、日本のマンガの全体像を文脈に沿って理解できる展示になっている点が素晴らしいと思いました。日本でもここ10年くらいで、「ONE PIECE展」 や井上雄彦先生の「最後のマンガ展」など大規模なマンガ展が増えてきましたが、個展やファンイベント、商業イベントが中心で、なかなか日本のマンガの全体像を伝えるところまではやり切れていません。
ニコル・クーリッジ・ルマニエール 例えばヴィクトリア・アンド・アルバート博物館であれば作品を見せることが主眼ですが、この大英博物館は「文化」を理解してもらうことが大きな役割だと考えています。そのため今回のマンガ展でも、ゾーンを6つに分けて、とくに「ゾーン4:Power of Manga」ではマンガと他の文化や社会、ファンとのつながりをテーマとするなど、大英博物館らしい切り口の展示を意識しました。
山内 はじめにいくつかうかがいたいのですが、このタイミングで大規模マンガ展を開催されたきっかけはなんだったのですか?
ルマニエール 私が東京大学で教えていた2008年、ニール・マクレガー前館長から「大英博物館についてのマンガ作品をつくりたい」という相談を受けたのが始まりです。大好きだった星野之宣先生を小学館からご紹介いただき、『ビッグコミック』で連載中の『宗像教授異考録』(小学館)で「大英博物館の大冒険」編を描いていただきました。単行本は2011年に出て、同年のうちに大英出版から英訳版が刊行されたのですが、それがイギリスで非常に高評価を受け、また刊行前に行った作品に関する展覧会が人気を呼んだこともあり、大英博物館内でマンガ展への機運が高まっていきました。
そこで2015年、星野之宣先生と、『あしたのジョー』(講談社)のちばてつや先生、『聖☆おにいさん』(講談社)の中村光先生という異なる世代のマンガ家3名を取り上げた『マンガなう:三つの世代』展を、正面玄関にある「朝日新聞ディスプレイ」という小さなスペースで開催したところ、10万人もの入場者数を記録したんです。これだけ興味を持っていただけるなら、もっと大きなマンガ展もできるかもしれないと、今回の企画の準備を進めることになりました。
山内 そのような経緯があったのですね。ただ、今回のマンガ展はそれまでの展示よりも、内容・サイズともにはるかに大きな規模感だと思います。反対意見は出なかったのでしょうか。
ルマニエール 新しい試みには困難がつきものですが、後押しとなったのは、「三菱商事 日本ギャラリー」という常設展のなかにマンガのコーナーがあったこと、そして2019~20年には日本でラグビーのワールド・カップや東京オリンピック・パラリンピックが開催されるため、それに先駆けた日英交流イベントになることでした。そうした背景もあって、セインズベリー・エキシビジョンズ・ギャラリーという1100平米の巨大なスペースを使用できることになりました。ここで日本に関する展覧会を開くのは今回が初になります。
源流としての「マンガ」
山内 海外のマンガファンの多くは、まずはアニメやゲームから入って、次にマンガという流れでしょうから、マンガの、それも原画の展示というのはハードルが高いのではないかと思います。みなさんどういった意識で見に来ているのですか?
ルマニエール たしかにほとんどの方はアニメかゲームから入りますが、マンガへの関心も高く、とくに最近はデジタルではなく紙で楽しむ若者が増えているんです。だから例えば、鳥山明先生の原画には、子供や若者を中心に、多くの観客が感動していました。
山内 鳥山先生の生原画は日本でもめったに見られませんから、貴重な機会だと思います。また今回の展示は、アニメやゲームから入った方でも、その「源流」にはマンガがあるということを感じられる工夫が凝らされているとも感じました。
ルマニエール 「源流(authenticity)」は重要なキーワードです。以前私が、イースト・アングリア大学で日本語科目の授業を取っている学生に、「なぜ日本語を勉強したいのですか?」と聞いたときは、「マンガ・アニメを字幕なしで楽しみたい」という答えが返ってきました。源流となる言語で読めることが理想なんです。「ゾーン5:Power of Line」の河鍋暁斎による全長17メートルにもなる歌舞伎の引き幕《新富座妖怪引幕》(1860)も、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館からお借りし、マンガの源流を表すものとして展示しています。
山内 巨大さで言えば、展覧会の最後を飾る、井上雄彦先生による描き下ろしの3枚の原画も非常にインパクトがありますね。『リアル』(集英社)をモチーフに、通常のマンガ原稿の数倍という見たことのないサイズ感の線画を描かれていて、撮影禁止ということもあり、日本人のファンも、これを見るためだけにでもくる価値があると思いました。
ルマニエール 本当にかっこいいですよね。私個人はこの絵から、奥深い精神的な存在感を感じました。井上先生にご依頼するにあたり、描くモチーフはお任せしたのですが、一点、制作中の映像を撮れないかとお願いもしました。そうしたら、撮影班が入るのではなく自分で撮るのであればと、制作時の映像をいただけたんです。その上映も見どころのひとつです。
また『ゴールデンカムイ』(集英社)のキービジュアルも、構図は過去の扉絵に使われていた既存のものですが、じつは野田サトル先生が修正を施された、展覧会用の特別版になっています。もとの原画と比べていただくとわかると思いますが、野田先生が「これは初期の絵だから」と、いまの絵柄へと手を入れてくださったんです。
山内 『ゴールデンカムイ』がキービジュアルな点も大英博物館ならではですね。もちろん作品としては、話も面白く、アイヌや戦争のこともわかれば、グルメやボーイズラブ的な要素もあり、リーチ層が広い。しかし、日本の展覧会であればおそらく、キービジュアルを飾るにはまだ新し過ぎる作品だと判断されてしまう気がします。
ルマニエール もちろん大英博物館でも、学芸員の一存でキービジュアルを決めることはできません。でも私は、絶対に『ゴールデンカムイ』にしたいと思いました。ひとつには女性を表している点。また若手マンガ家の作品である点。そしてアイヌという少数民族の文化を描いている点によってです。まさにダイバーシティの理念を体現する作品になっているなと。結果的に、この展覧会にふさわしいキービジュアルができたと手応えを感じています。
マンガの保存は急務
山内 また世界を代表する大英博物館で、日本のマンガの全体像をたどるような本展が開催された意義は、日本にとっても大きいと思います。というのも、日本ではマンガは歴史的に、「美術」ではなく「文学」の延長線上で考えられてきました。日本のマンガ文化は出版社が大役を担ってきましたし、編集者に美術大学出身は少なく、美術の文脈からマンガをとらえることは状況的に弱い。そもそも、マンガが「文化」「芸術」としてとらえられるようになったのは、1990年代後半に文化庁メディア芸術祭でマンガ部門が設けられ、その後2000年に入り京都精華大学でマンガ学科が創設されてから。そこで、たんなる流行りものだと思われていたエンターテインメントが、3世代を超え人々に普及し、次代に引き継ぐべき日本の文化になったのだと思います。
そのような経緯から考えると、かつては版下であったマンガの原画についての考え方や保存状態は様々で、大事にされていないケースも多かった。だから今回、大英博物館の展示によって、逆輸入的に日本でも美術の目線でマンガを見ること、原画を保存・展示することの機運が高まるのではないかと、すごくありがたく思っています。
ルマニエール そう言っていただけてうれしいですね。マンガの保存は急務だと思っています。それは原画だけでなく、下絵やネーム、あるいはデジタルのデータも含めてです。
大英博物館の4階には、レンブラントやミケランジェロといった有名な画家のスケッチや下絵が展示されています。スケッチ自体は完成した作品ではありませんが、観客は喜んで鑑賞しています。そこから創作のプロセスを理解できるからです。その点では、マンガのネームや下絵も同様ですよね。またデジタルであっても、原画は存在しなくともネームや下絵はある。だからそれらの保存も大事になってくると思います。
山内 また大英博物館のマンガと社会の関係を考えるというコンセプトにも非常に共感しました。マンガの次のステージは、「使える」ことだと思うからです。
いま僕が事業ディレクターのひとりを務める「東アジア文化都市2019豊島」マンガ・アニメ部門のなかでは、「『これも学習マンガだ!』展~マンガで学ぶ11の世界~」を区庁舎内で実施しました。「これも学習マンガだ!」はマンガを「学び」に活かすことをテーマにしているのですが、社会とのつながりを意識したタイミングで新たな発見や価値観が広がるような作品を選んでいます。またそのなかには『ゴールデンカムイ』も選ばせてもらっていて、こちら4年間で、全国数百ヶ所の図書館に、それらのマンガ作品が入るようになりました。
ルマニエール それはとても意義のあることですね。今回のマンガ展の関連イベントでも、先生方が生徒を連れてくるんです。生徒は本を読まない子が多いけれども、マンガは読める。つまりマンガを、本の面白さや文化を理解する入り口として役立たせることもできる。
山内 僕も一度、マンガを使って小学校で授業をやったことがあります。「道徳」の授業だったのですが、国語が苦手な子供でも、マンガであれば議論に参加できたのです。
東アジア文化都市2019豊島では、子供たちがマンガを描くワークショップを開催したのですが、絵がうまくなるためではなく、自分以外のキャラを描くことで他人の気持ちを考えられるようなることに主眼をおきました。
マンガは自分をキャラに憑依させて読みますが、そのことが他人の気持ちを「自分事」として考えることにつながる。動画と比べ、マンガを読むこと、さらに描くことは、より他人の痛みがわかる子の発育につながると思います。マンガというメディアには、そういう学びにも使えるようなエッセンスが入り込んでいる。
また、漫符(オノマトペ)などの記号も非常に独特で、そこに感情を込めることができる。それでいてとらえ方は読者に拠っていて、感情をファジーに伝えられる。
ルマニエール たんなる記号ではないんですよね。
山内 世の中の価値が多様化しているいまの時代、文字とは違い、漫符のような意味がひとつに決まらない視覚表現があったほうが、じつは伝える力が高かったりする。文字だけでは伝えきれないことも多いですしね。
ルマニエール Instagramの影響力が大きくなっているのも、視覚表現の力ですよね。しかも、絵を並べることで、ストーリー性を持たせられる。Instagramを見ていると、展覧会のキュレーションのようにも感じます。
山内 日本には本当にたくさんのマンガの描き手がいて、彼らが試行錯誤しながら大量の作品を、そして多様な表現を切り拓いてきました。その物量や歴史、マンガ文法の定着度を踏まえると、よりよい社会にしていくのに、マンガがひとつの「共通言語」として機能する土壌が日本にはあるかなと僕は思っています。そういう意味でマンガの未来は明るいと思っていますし、今後もチャレンジを続けていきたいですね。