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2024.11.27

レンベル・ヤワルカーニが語る、先住民族としてアートをつくる意味。「アートは先住民族の声を届けるためのツール」

南米のアマゾンのウイトト族にルーツを持ち、第60回ヴェネチア・ビエンナーレにも参加したレンベル・ヤワルカーニ。コア・ポアとの2人展となった「Myth In Motion」展(KOTARO NUKAGA六本木)に際し、同氏にインタビュー。先住民族としてアートを生み出す意義やそこに込めた思いを聞いた。

聞き手=山本浩貴

レンベル・ヤワルカーニ
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アートは祖父母の声

山本浩貴(以下、山本) 現在、レンベルさんはヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に参加中です。ビエンナーレへの参加は、これが初めてだと聞いています。レンベルさんはペルー北部・南米アマゾンの先住民族であるウイトトにルーツを有していらっしゃいます。今回のヴェネチア・ビエンナーレでは、国ごとに与えられる賞は、その土地の先住民族であるカミラロイとビガンブルにルーツを有するアーティスト、アーチー・ムーア氏の個展を開催したオーストラリア館が金獅子賞を受賞、作家ごとに与えられる賞は、ニュージーランドに拠点を置く、先住民族・マオリの女性アーティストによって結成された「マタオ・コレクティヴ」が受賞しました。また、日本では『美術手帖』誌の2024年7月号では「先住民の現代アート」特集が組まれ、私も論説を寄稿しています。このようなことからも、あえて「良かれ悪しかれ」という枕詞を付したいのですが、世界各地の先住民(族)のルーツを有するアーティストたちがグローバルな注目を集めていることがわかります。しかし、日本の先住民族であるアイヌのルーツを有するアーティスト・パフォーマーのマユンキキ氏が指摘するように、民俗も文化も異なる人々を「先住民アート」という名称でひとくくりにすることに対しては批判的な意識を持つ必要があり、また、同時にマジョリティ(この場合、「非先住民」)としての過去の侵略の歴史(そして、現在も続く構造的な不公正)を正しく認識することが不可欠です(プレミアム会員限定ではありますが、マユンキキさんの長編インタビューがウェブ版美術手帖に掲載されています。また、「先住民の現代アート」を特集した2024年7月号美術手帖本誌では、そのダイジェスト版のインタビューを読むことができます。ぜひ、本インタビューと併せてご覧いただきたいです)。

 そのようなことを踏まえ、いっぽうでは自らの重要なアイデンティティの一部をなす先住民族・ウイトトの伝統から深い影響を受けながら、他方で特異な・独自の展開を見せるレンベルさんの芸術実践の、その両義性を、このインタビューのなかでしっかりととらえていきたいと考えています。よろしくお願いします。

 最初に、アーティストとしての活動を始めたきっかけについてうかがいたいです。レンベルさんは、祖父母の代から長く美術制作を生業とする家庭に生まれたとうかがっています。そのようなバックグラウンドのなか、レンベルさんがアーティストになったのは自然の流れだったのでしょうか? それとも、何かアーティストとして生きていくと決意したきっかけのようなものがあったのですか?

レンベル・ヤワルカーニ(以下、ヤワルカーニ) こちらこそありがとうございます。私としては作品の意味を伝えるいい機会であり、先住民族から受け継いだ知識もお伝えできることが嬉しいです。

 西洋と先住民族の世界の関係は非常に縦型であり、一方的な暴力、押し付けの関係です。そのなかで、私たちの精神世界は完全に破壊されてしまいました。私はそれをアートで抗議するかたちを見つけたのです。私たちのアイデンティティや物理的・精神的領土を奪った世界で表現するために、私はアートの道を選んだのです。

 アート活動によって、自分たちは何者であり、どこからきてどこへ行くのかを自由に発言できます。アートは先住民族にとっての声を届けるためのツールであり可能性なのです。そうした声は、何世紀にもわたり人類学者、歴史学者たちに乗っ取られてきました。アートで彼らによって築かれた先住民族のステレオタイプを壊すための可能性を感じているのです。

 いまの先住民のアートは力強い声を持っており、それは祖父母の声なのです。ラテンアメリカの絵画は先住民の知識や記憶が表現されており、美的なだけではなく歴史的な記憶や領土を鑑賞することになるのです。先祖たちが絵を通して語っているのです。

山本 日本は西洋ではありませんが、アジアを植民地化し、領土を奪った歴史があります。そういう意味でも、あなたの作品が日本で紹介されることは重要だと思います。「Myth In Motion」展に際し、初めて来日されたと聞きました。来日中に上野の国立博物館・すみだ北斎美術館・刀剣博物館などの美術館・博物館を訪れ、浮世絵や刀剣といった日本の伝統的な文化についても実際に目にされたそうですね。それらの経験についても、どのような感想をもたれたか教えてください。それらの経験は、今後、レンベルさんの芸術実践にも活かさせそうでしょうか?

ヤワルカーニ 日本の文化や歴史、宇宙観や神話に好奇心を持っていましたからすごく楽しかったです。日本にも各所に神々や精霊がいますが、これは私たちと同じであり、地球の正反対の地で共通点があることに興味を待ちました。歴史的な場所に行ったことは、作品のイマジネーションや造形に大きな影響を与えてくれると思います。歴史観はグローバル化されたいまのルーツに接続したアイデンティティを強化してくれるものだと思っています。やはり日本にも現代の宗教感が息づいていて、印象的でした。

アートは「信じる行為」

山本 日本の場合、「八百万の神」という伝統的な考え方がありますが、やはり現代の日常のなかで忘れられがちです。「Myth In Motion」展に出展されているレンベルさんの作品を拝見し、「神話」というもののとらえ方が広がりました。神話というと、どこか普遍的で固定化された「大文字の」物語というイメージでとらえがちですが、神話から発想されたレンベルさんの作品に描かれている世界は、より生き生きとした、現代の世界を別様に照らし出すようなもので、私も大きな感銘を受けました。西洋中心的で近代的な合理性に依拠する「科学」とは異なる仕方で、私たちが生きているこの世界の姿を、とりわけその見えにくい姿に光を当てているように感じす。そのいっぽう、近年では「科学」という領域自体を根底から見直すような動きも続けられており、「神話」と「科学」という二元論が有効性を失いつつあるようにも思います。

 先祖から口承伝承を通じて受け継がれた数々の神話に着想を得ながら、レンベルさんご自身のイマジネーションを膨らませていくかたちで作品をつくっていくそうですね。そこには、レンベルさんや私が生きる現代の世界に対する洞察や批評も含まれてくるのだと思います。発想から完成まで、レンベルさんがひとつの作品をつくりあげるプロセスについて教えていただけますか?

ヤワルカーニ まず作品に取り掛かるとき、キャンバス、背景、神話などすべてを準備します。完全な一つの物語ではなく、様々な神話の異なるパートです。そして重要なのが「人物像」です。ウイトト族における人間の最初の形とは、アマゾンで生きるすべての生き物──つまり植物であり木々であり花々であり魚であったとされています。その何千年も紡がれてきた私たちの形を想像し始めることからスタートするのです。

 絵を描くとき、もうひとつ重要なのは祖父母たちが何を描きたかったのか、ということです。先住民族のアートはひとりのアーティストによるものではなく、コレクティヴなアートです。西洋絵画はキャンバスがありアーティストがいる。しかし私たちのアートはキャンバスがあり、私があり、神話があり、神々があり、そして祖父母がある。宗教的なプロセス 知識をキャンバスという物質を通して伝えることであり、そこに向かうまでに至った経緯がすべて含まれるわけですから、難しい作業になるわけです。

 私にとってアートは、信じる行為なのです。祖父母やその言葉、知識、美的感覚を。絵を描き始めたときから、絵画は信じることでした。黒くて暗い背景は先祖の声を伝える可能性であり、一つひとつの線が先祖の声なのです。

山本 レンベルさんの絵画は、黒を背景色としているものが多いように思います。そこにアクリル絵具を使って繊細なタッチで描かれる多様なモチーフは、鑑賞者の心をぐっとつかむものです。また、黒の背景の上に異なるトーンの黒で描かれた模様も、たいへん美しいと思いました。黒の背景が多い理由には、何か重要な意味があるのでしょうか?

ヤワルカーニ おっしゃる通り黒には大きな意味があります。ウイトト族の主たる神である「ブイナイマ」が世界をつくる前、そこには闇・水・寒さの3つしかありませんでした。その上にブイナイマがすべてのものをつくったのです。ですから私にとって「黒」という色は、新しいものをつくりだす可能性を示すものなのです。

 また黒は密林の暗い夜も意味します。密林の夜にはじつに様々な生き物がおり、ただの怖い空間ではなく、新しい生命を生み出す空間です。また植物の神々が私たちを癒してくれる時間でもあります。そういう意味では夜は重要であり、昼間には見えない世界とつながることができるです。

山本 カヌーや龍など、何者かを乗せて「移動」するモチーフが多いことも印象的でした。レンベルさんの作品がつくりだす世界では、「移動」はどのような意味を有する行為なのでしょうか。

ヤワルカーニ 私たちにとってカヌーは生存につながる構造物、侵略や迫害、飢餓から自分たちを守るためのものだったのです。絵の中に出てくるカヌーや植物、ドラゴンは、私たちの宇宙観の一部です。私たちにとって神々は今現在も生きた存在であり、過去のものではないのです。

山本 レンベルさんの作品の背後には、ひとつひとつに精密に練り上げられた物語があると感じます。しかし、もっとも壮大な物語を感じさせるのが、「Myth In Motion」展の目玉でもある《The Territory of my ancestors》(2024)ではないでしょうか。この作品の背後にある物語を聞かせていただけますか? またレンベルさんの絵画には、人間以外の動物や精霊が頻繁に登場します。そこには、この世界の上に複数のレイヤーがあり、その下にも複数のレイヤーがあるという独自の世界観があるとうかがいました。レンベルさんの絵画の基盤を形成している、この世界観についても説明いただけますか?

ヤワルカーニ ウイトトの世界では物質的領土と、神々が存在する精神的領土というの2つの領土が存在しています。このうち、先祖から受け継いだ物質的な領土は、いまや森林伐採や開発によって脅かされています。これまで先住民族は自然と良好な関係を築いてきました。しかし、この物質的領土が危機に瀕しており、それがなくなると、精神的領土も消えてしまう。どちらかだけが存続することはなく、お互いがお互いを内包しているのです。

《The Territory of my ancestors》(2024)

 ウイトトの世界には、全部で14のレイヤーがあり、それぞれに神がいます。例えば「空の6番目の層」にはブイナイマの家があります。祖母から聞いた話では、その家の周囲には世界中の病を癒す薬草が生えており、日が暮れもせず明けもしない世界だといいます。それを伝えるための色として、私はターコイズを使用しているのです。ちなみにブイナイマは7番目の層に住んでおり、そこは水の世界です。キリスト教の世界観とは違い、ウイトトの神は上ではなく下にいます。

 ちなみにタバコやコカの葉がとても重要な存在であり、これらを使うことで14の層にアクセスできるのです。私たちはリスペクトを込めてそれらを「ふたつのおじいさん」と呼んでいます。このように、絵の中に描かれているのは先祖から受け継いだ経験であり、魔法のような宗教観であり、いまも息づくものなのです。

声を届けるためのアート

山本 このお話を聞いて作品をあらためて見ると様々な気づきがありそうです。非先住民の側に立つ者として、私は先住民への侵略と簒奪の歴史をけっして忘れてはならず、そして現在まで継続される迫害に対して早急に改善を進めていく責任を有していると考えます(先住民族であるアイヌの人々に対して、日本では長らく法的・制度的・社会的差別が継続され、それらは今でも残っています。また、アイヌの人々に対するヘイトスピーチを含む、非先住民による差別や偏見も顕著です)。そうした自覚なしに様々な先住民の文化や知識を称揚することは、また別のかたちで簒奪を行うことに等しいです。

 他方、そのことをしっかりと踏まえたうえで、「Myth In Motion」展で試みられているように、「先住民族のアート」という一枚岩的なくくりから、さらに歩みを進めることは重要なステップです。その意味で、イギリス、イラン、アメリカなどトランスナショナルなルーツを有し、複数の視覚的伝統からのインスピレーションを受けて作品を制作する非先住民のアーティストであるコア・ポア氏との二人展は興味深いと言えます。ポア氏との二人展の経験、あるいはポア氏の作品とご自身の作品との共通点・相違点について、どう思われましたか?

ヤワルカーニ まず、いままでの歴史のステレオタイプ、差別や掠奪を認識せずに先住民族の「サンプル」だけを見ることは意味がないという山本さんの言葉に強く共感します。私がこうして画家として仕事する目的は、ユーロセントリックな思想を打ち破ることです。先住民族にはアートができないという差別的な考えがペルーには広がっており、法や制度のなかにも社会的な排除が入り込んでいます。だからこそ、私はミュージアムやアートフェア、ビエンナーレといった、「それがアートかどうかを決める空間」に自分の作品を展示することに興味を持っており、コアポアと一緒に仕事ができたことで、社会的なステレオタイプを壊すことができたと思います。

 今回の空間は、私たちが現代に生きる存在としての価値を与えてくれた。先祖の知識を広めることを許してくれた。アートは先住民族に声を与えてくれる力強いツールであり、何世紀にも渡り否定されてきた存続を認めてくれるものです。先住民族の現代アートが、世界のアーティストと一緒に展示できたことで、私たちのコンセプトを広げてくれたと思います。私たち先住民族を、人類学は研究対象として、歴史学は過去のものとして見ています。しかし、アートのみが生の声を届ける機会を与えてくれたのです。

 コラボレーションによって私たちの神話は生き続けることができる。それは文化機関やギャラリーの責任でもあるでしょう。そうすることで文化的対話がうまれ、共存できるのです。

山本 最後に、これからのご活動について展望を聞かせていただきたいです。今、取り組んでいる作品や主題はありますか? あるいは、やってみたいプロジェクトがあれば教えてください。

レンベル いまは大学やミュージアムとのディスカッションに多く参加しています。先住民の知識や美意識の盗用が現代美術やアカデミズムの場でも起きており、何世紀にも渡り先住民に多くの害を与えてきました。価値を知る人々が、それを知らない先祖たちから奪っていったのです。私はその不平等を訴えようとしています。今年は絵画の個展も11月30日からブエノスアイレスで、来年にはロンドンとミラノでも開催予定です。神話のみならず、もっと強いメッセージ性がある絵画を展示する予定です。