2024.11.16

サウンド・アーティスト細井美裕が生み出す、沈黙の音

東京・神宮前のGallery 38でサウンド・アーティスト細井美裕の初個展「STAIN」が開催中だ。これまで音が空間や時間の知覚を変容させる可能性を探求してきた作家が見せるオブジェの数々は何を意味するのか? NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸員の指吸保子が聞いた。

聞き手=指吸保子 構成=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) ポートレイト撮影=中島良平

細井美裕
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──今回が細井さんの初個展です。まずは、細井さんが作家活動を始めたきっかけについて伺えますか?

 私は高校時代にコーラス部に所属していたのですが、ここが「音」の原体験になりました。コンクールにとても強い学校で、国際大会や全国大会にも出場していたのですが、会場は毎回違うホールだったんです。私たちが歌う曲はおなじでもホールが違うと響きも違ってくる。先輩たちがみんな大会の前にホールに入ったら舞台のへりまで行って手を叩くっていう儀式のようなことをしてたのを覚えてます。ホールの響きをチェックするためです。その頃から、空間も楽器だという考えが生まれましたね。

展示風景より Photo by So Mitsuya

 それから大学進学を考えるタイミングになり、音大に行くという選択肢もあったんですけど、ずっと同じことをやり続けるのもあまり面白くないなと。じゃあそういう表現の場をつくることを勉強できる場所にしようと、慶應義塾大学のSFCを選びました。アートマネジメントの単位も三田キャンパスで取れますから。

 SFCに入ってからは、レコーディング・エンジニアのZAKさんのアシスタントをやりました。そのとき、ZAKさんにいろんな人を紹介してもらったのが大きいですね。そこからサウンド・アーティストの人たちとのつながりが増えていきました。当時ZAKさんのアシスタントをやりながら働いていたスタジオから独立するタイミングで、自分がやりたいことを全部やってみようと思って、22.2チャンネルフォーマット(*)の音響作品《Lenna》をつくったんです。それをSNSでポストしたらNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]から展示しませんかと声がかかり、山口情報芸術センター[YCAM]での展示も決まりました。

細井美裕 Lenna 2019
撮影=木奥惠三
写真提供=NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
山口情報芸術センター[YCAM]scopic measure #16 細井美裕 Lenna 2019
撮影=谷康弘
写真提供=山口情報芸術センター[YCAM]

──《Lenna》はインスタレーションにも複数のヴァージョンがあったり、また楽曲としてもリリースするなど、メディアやフォーマットの問題にも着目した作品ですね

 当時はサラウンドが流行り始めていた時期で、この作品も「22.2チャンネル」というフォーマットを前提としたものでした。それゆえに、その環境を持っている人にしかつくれない。音楽は自由だけどつくる環境が限られているのはフラストレーションで、マルチチャンネルのフォーマットに対する疑問、したいけどできないという状況も含めて作品に残したかったんです。

 当時はエンジニア、作曲家も入れたチームをつくり、音源をクリエイティブ・コモンズで公開しました。私と同じような考えの人が、実験台として作品を使えたらいいなと。

*──スピーカーの数と、その位置・角度が統一された規格。Lennaの場合は22ch+低音補強のスピーカー2chの合計24個のスピーカーで再生されることを前提としていた。私たちの生活のなかにはモノラル(1チャンネル)、ステレオ(2チャンネル)、サラウンド(5.1チャンネルや映画館のDolby Atmosなど)がある。

音の「シミ」

──《Lenna》以降も、エンジニアなどとの協働による複雑で大掛かりなマルチチャンネルの作品を多く発表していますが、この個展にそうした作品はないですね。

 マルチチャンネルかつチームで作品をつくるのが嫌でこうしたわけではありません。そもそも、自分ひとりではできないことが多かったのがチームを組んでいた理由です。資金力のないなか好意で協力してくれていたのですが、やっぱりきちんとフィーも払わないと自分が嫌だし、そもそも持続性がない。ある程度自分の展示が軌道に乗るなかで、資金を集める必要も出てきたわけですが、そうなると初動が遅れるんです。自分が作品をつくりたいと思ったときにちゃんと制作にとりかかれるかを割と真剣に考えるようになっていたとき、2022年に板室温泉大黒屋の「音の日」で1日限りのサウンドインスタレーションを発表したことをきっかけにGallery 38に声をかけてもらって、「Art Collaboration Kyoto」のパブリック・インスタレーションのために初めてオブジェクトの作品をつくったんです。

 それでもやはりエンジニアは必要なのですが、任せる割合は変わってきました。マルチチャンネルだと単純にスピーカーも関わる人の数も多いし、作品を発表するまでにすごく時間がかかる。でも自分がやりたいことをもう少し短いスパンでやるために、大きなチームではない方法を取ってみようと。

 それに、自分ひとりではできないことが多すぎると、モノや人を削ぎ落としたときに何も残らなくなりそうだなという、うっすらとした恐怖もありした。だからここで一度ミニマムな動きをしてみようと。個展なので、自分の要素が一番多い状態にしたいなと考えたんです。

展示風景より Photo by So Mitsuya

──本展のタイトル「STAIN」の由来はなんですか? 同名の作品もありますね。

 この個展は1年前から構想してきたので、コンセプトを考える時間は自分にとってはたっぷりありました。「STAIN」という名前は序盤に決まったんです。

 コーラス部にいたときから「言葉の強さ」を感じていて、国際大会だと母国語以外の歌詞を歌う必要もありました。だから歌う前に歌詞を解釈する時間というのもあったのですが、それをやりすぎてちょっと疲れてしまったんですね。だから、アーティストになってからは意味のある言葉を使った作品はつくっていないんです。

 メイン作品《STAIN》のコンセプトにもつながりますが、言葉(文字情報)が0と1、つまり言葉がない状態(0)とある状態(1)で構成されるものだとすると、音にはその間にグラデーションがありますね。でもそれは私の尺度だから、ほかの人にとっては違うのかもしれない。

 仲のいい友人の音楽評論家・吉見佑子さんの家で喋っているとき、なんとなくレコーダーをずっと回していたことがあるんですが、それを聞き返したとき、話しているあいだのガサガサした音がすごく状況を浮かび上がらせるものだと思ったんです。それがまるで「シミ=STAIN」みたいだなって。例えば白いシャツを着ている人がパスタのシミをつけているとしたら、そこから生々しい背景を想像できるじゃないですか。だから今回は、「音に残るシミ」にフォーカスした展示にしたかったんです。だからといって、音の情報が言葉以下と言いたいわけではありません。文字情報では伝わらない、音が得意とする情報を冷静に探りたいのです。

展示風景より、《STAIN》(2024) Photo by So Mitsuya

 この《STAIN》は、国内外で録音した会話や日常の音、私と対象物の関係性がわかるような音で構成されています。そこから言葉は削ぎ落とされており、シミだけが残る。でも個別のデータにタイトルは付けているので、鑑賞者は状況を想像できます。

──スピーカーやPCが90度横に傾いている理由はなんですか?

 スピーカーもPCも正対させたら普通の状態ですが、この作品では鑑賞者が少し距離をとり、未来から過去に起こった状況を考えるような展示にしたかったんです。

──今年、「ICC  アニュアル  2024 とても近い遠さ」展では青柳菜摘さんとコラボレーションした作品《新地登記簿》(2024)を発表しました。ここでもスピーカーはたくさん使われていましたが、鑑賞者が通る道筋に向けられていないのが印象的でした。スピーカーが音を出すという機能を果たすためだけに置かれているのではなく、視覚的にも意味を持たせられていると感じます。それはこの作品にもつながっていますね。

 それもあるのですが、いきなり《STAIN》でスピーカーというメディアが鑑賞者にもたらす視覚的な影響を考えてほしいというのも難しいと思うので、手前にマイクスタンドの作品《メディア》を置きました。これはいわゆる一般の人たちが見慣れているマイクです。でも、そこに向けて喋りかけるのではなく、そこからスピーカーと同じように音が発せられる。マイクって原理的にはスピーカーと同じ構造なので、音声信号を流せばすごく微細な音ですが鳴るんです。実際、この《メディア》ではマイクから「Hi」という音がずっと流れています。マイクから話しかけられることで、あるメディアに対して持つ固定概念に気づいてもらえたらと考えました。

展示風景より、《メディア》(2024)
Photo by So Mitsuya

インスタレーションでしかできないこと、オブジェクトでしかできないこと

──近年、細井さんは記録やアーカイヴに興味があるとたびたび発言しています。公共性をもつ事業としてアーカイヴを考える場合、将来のいかなるニーズにも対応できるような記録および保存の仕方が理想となります。もちろん、実際のアーカイヴは、空間的・時間的・資金的制限のもとでの取捨選択の結果として構築されていくわけですが、アーティストという個人である細井さんの関心の持ち方はどのようなものでしょうか?

 今回の個展にもアーカイヴの視点がある作品をいくつか出していますが、私はアーカイヴを生業をする人たちと同じことがしたいのではありません。私はデータが使われる=解凍されるときのことまで考えないとアーカイヴとは言えないのではないかと考えています。体系的に資料化するということはアーカイヴのプロの方々がやっているので、作家としての私が個人的にできるのは「エクストリームなアーカイブ」とでも言いますか、自分で保存して擬似的に解凍した状態を提示するということではないかと思います。例えば《STAIN》も誰かとの記憶のレコーディングではあるけれども、その記録をただ出すのではく、それを使い作品として展示し、鑑賞者が受け取るところまでを考える。そこまでやるのが、作家が表現としてアーカイヴという言葉を使う場合には重要なんじゃないでしょうか。

 展覧会の入り口にある《ヒューマンアーカイブセンター》もそうです。今年、ルーヴル美術館に行く機会があり、せっかくなので《モナ・リザ》を見に行ったんです。そこではまるでAppleの広告のように、全員が全員、スマホを作品に向けて撮ってたんです。これだけ多くの人が画像を撮っているんだったら私は撮る必要はないなと思い、私はレコーダーを向けたんです。その謎の状況がおもしろくて(笑)。そのときは作品にしようとは思っていませんでしたが、聞き返してみると、2024年のある時点の《モナ・リザ》を取り巻く状況が音として保存されていた。絵画が私たちを見る視点のアーカイヴでもあるので、《ヒューマンアーカイブセンター》と名付けたんです。

展示風景より、《ヒューマンアーカイブセンター》(2024)
Photo by So Mitsuya

──形状もおもしろいですね。

 作品に向き合うとき、何か象徴的な対象物があった方がいいなと思ったので、譜面台のライトのように、1枚の板に2つのスピーカーをつけています。2つあるとステレオにできるし、板に音が反射するのでこの形状はちょうどよかったんです。

展示風景より、《ヒューマンアーカイブセンター》(2024)
Photo by So Mitsuya

──細井さんがオブジェクトの作品をつくり始めたのは2022年とおっしゃいましたが、ご自身の活動のなかではどのような位置付けなのでしょう?

 インスタレーションでしかできないこと、オブジェクトでしかできないことをそれぞれ考えています。サウンドではあるものとあるものの関係性をひとつの状態として提示することは難しく感じますが、オブジェクトではそれができる強みがあります。

 2023年のACKで発表して以来、「ポータル」シリーズでは鈴を多用していますが、鈴って自分の声を多重録音する感覚と似ているんです。要は、鈴はひとつずつ異なる音が出るし、種類も多い。鈴を使って何かをつくるのは、自分の声を録音した後に編集するときに使う思考回路と領域が近いんです。

 ゲームにはワープができる「ポータル」がありますが、オブジェクトの作品は私にとってそういうもので、場所のないインスタレーションのような空間ができる、何かが起きるきっかけです。

──一瞬を表現する俳句みたいですね。時間がそこに凝縮しているとも、そこから無限に広がっているとも言える。

 今回のステートメントに「音の不在はエネルギーの不在を意味せず、むしろこれらの彫刻に宿った静寂が、より強い共鳴を放つことができる」という言葉がありますが、そういう静寂をつくりたいし、それを聞いてもらえたらいいなと思います。