ひとりの女優の“ある変化”を追ったドキュメンタリー映画を発表。山本卓卓が語る「演劇ではできないこと」とは?
パフォーミング・アーツの祭典「フェスティバル/トーキョー」で、演出家・劇作家の山本卓卓(やまもと・すぐる)が映画を発表する。主宰する劇団・範宙遊泳の演劇作品では、プロジェクションを操り、生身の俳優との掛け合いを通して、独特の情感あふれる世界を繰り広げる山本。日頃から映像と演劇について考える機会が多いであろう彼が、映画をどうとらえ、今回どのような映像作品をもくろんでいるのか。話を聞いた。
民主主義の演出
──まず最初に、演劇をずっとやってこられた山本さんが、フェスティバル/トーキョー(以下F/T)で、映画をつくることになった経緯を教えてください。
3年ほど前に当時のディレクターの市村作知雄さんから「映画をやりたいと思っているんだけど、興味ない?」と聞かれたんです。「映画すごく好きなんで、ぜひ」とだけ言って、そのときは終わったんですけど、1年後ぐらいにまた「あの話はどうなんだ」「僕は全然やりたいですよ」っていう流れになりました。
──内容については何か要望はありましたか?
内容までは言われませんでしたね。F/Tは、世間的に演劇の祭典と思われていますが、映画によって新たなF/Tの可能性を開きたいという思惑があったみたいです。1年後に話したときは、市村さんの退任が決まっていたので、「俺の権力も無くなるし、いまのうちにやっておかないと」って言われて(笑)。
──大勢いる演出家の中から山本さんが声をかけられたのはなぜでしょう。そういうお話はしましたか?
「絶対権力的な演出家はもういい。民主主義を取りながら、自分のこだわりを発揮できる人がいい」というようなことは話しました。僕もピラミッドみたいな制度はすごく嫌いなのでそこは一緒だなと。僕は自分で脚本も書くし、演出もするけど、役者から出てきたものも拾うし、それをちゃんと認める人でありたいと思ってる。作品は全部僕から出てきたわけじゃない。当然のことですけど、見落としがちなこと。全部俺がつくったんだぞ、みたいなものではないです。
──それは今回の映画にも反映されていますか?
もちろん。僕ははなから、あるところまで以上をコントロールする気はないんです。これ以上コントロールできない、その先何が起こるかわからないってところがあって、それを拾ってくのが僕の仕事。コントロールするんじゃなくて。
──民主主義は映画と演劇、どちらのほうが実現しやすいんでしょうか?
映画って役割がすごくハッキリしてると思うんですね。担当部署が決まってる。カメラマンは撮影に集中すればいいし、役者は演技のことだけ考えればいい。演劇の場合はそれが曖昧になりがちな気がします。例えば役者がドラマトゥルク的な役割を担ったり、制作業務を兼任することは結構ある。クリエイティブの現場における政治性となると難しいですけど、一般的に民主主義では役割分担がはっきりしているのかなって思うと、自分の担当するもののことだけ考えて、それ以上のことをする必要がないし、そこだけに責任を持てばいいというのは、健康的な気がしますね。
痩せるのか、痩せさせられるのか
──今回の映画はドキュメンタリーの手法を取り入れつつ、長期間ひとりの人間を撮影するそうですね。もう撮影や編集は終わってるんですか?
まだ撮ってるんです。2ヶ年計画のドキュメンタリーなんですよ。その人に起こることとか、その人が起こしていく出来事とか、出会う人々を拾いながらずっと撮る。2週間に1回くらいのペースで撮ってるんですが、また終わってません。今年はパート1を撮っています。
──内容についてお聞きしてもいいでしょうか。具体的なことはあまり公表されていないですよね。
そうなんですよね。内容については、まだ「人が変化する」としか言っていなくて……。なんて言うんですかね、僕がもともと一緒にやっていた劇団の子が、すごくふくよかな女性なんです。端的に言うと、その子が痩せていくまでの過程を追うドキュメンタリーです。痩せた彼女が来年一人芝居の「ドキュントメント」(*1)を上演する、というところから映画がスタートしてる。昔からそうですけど、いま巷では痩せてナンボの広告がたくさん貼られていて、「痩せたあなたがいちばん美しい」と言っている。だけど、例えばひとりの人が決心して痩せたとして、それは果たして本当にその人自身が選んで痩せようとしたのか、それとも社会や広告の要請で痩せさせられたんじゃないか。「綺麗になりなさい」っていう魔法をかけられたんじゃないか?っていう疑問がまずあった。“してる”のか、それとも“させられてる”のかっていう境界は、“やる”と“やらせ”の境界でもある気がします。
──それでタイトルが『Changes』なんですね。しかし、どうして公表を控えられていたんですか?
例えば彼女の周辺がそれを知ると、「痩せる企画やってるんでしょ」ってなっちゃうのを懸念しました。パート1を撮っている段階でお客さんを意識しすぎて、彼女自身に起こってしまう変化がちょっと怖いなと。
──確かに。「痩せる」という圧力をいろんな方面から感じてしまいそうです。そもそも、主演の女優さんは「痩せたい」と言ったんですか?
そこが曖昧なんですね。もちろん痩せるというテーマで映画を撮りたいとは話しましたけど、彼女が“痩せたい”と思っているのか、“痩せさせられている”のかは曖昧です。気持ちは変わり続けていくはずだし。彼女にはあくまで女優として声をかけて、1年かけて“痩せる”演技をしてくださいと伝えました。でもこの話は、強制ではないんですよ。彼女が痩せられないパターンも絶対ある。そしたらそれを拾う。さっきも言ったけど、僕は全部をコントロールする気はないので、体重も測っていないし、いわゆるダイエット企画じゃない。痩せるということを投げかけたときに、彼女が何を感じて、どう実践してくか。気持ちの流れや、周辺の変化なども含めて撮っている。
──痩せ方もコントロールしてないんですか?
したりしなかったりですね。体重も自己申告制なんです。だから嘘もつける。例えば次の撮影までに、「5キロ痩せててね」って言うとするじゃないですか。でも痩せようとするかしないかも彼女次第だし、本当は痩せてなかったのに、痩せたって嘘ついても別にいい。