2020.3.19

審査プロセスと受賞後のサポートが作家を成長させる。アーティストのためのコンペ「TOKYO MIDTOWN AWARD」に注目

東京ミッドタウンが、デザインとアートの2部門で2008年より開催しているコンペティション「TOKYO MIDTOWN AWARD」。賞を授与することだけで終わるのではなく、「アーティストのためのコンペティション」を目指し、アートコンペのグランプリ受賞者をハワイ大学でのアーティスト・イン・レジデンス・プログラムへ招聘するなど、受賞後も長期的にアーティストを支援する点が特徴となっている。同コンペの歩みや意義を、プロジェクト・ディレクターを務める東京ミッドタウンの井上ルミ子、2017年のグランプリ作家・金子未弥、2019年のグランプリの井原宏蕗の3人の話から紐解いていく。

聞き手・構成=中島良平

ハワイ大学マノア校でのアーティスト・イン・レジデンス・プログラムの様子 写真=Kelly Ciurej
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  2020年2月。10年以上アーティスト活動を続ける彫刻家・井原宏蕗は、ハワイ大学マノア校にてレジデンスプログラムに参加していた。このきっかけとなったのが、今年で13回目を迎える、デザインとアートの2部門で開催されるコンペティション「TOKYO MIDTOWN AWARD」だ。2008年の開始以来、アーティストの発掘・応援を目的に、アーティストの声を反映したアーティスト・クリエイターのためのコンペティションを目指し、多くの作家の活動を支援してきた。

 同アートコンペの大きな特徴としては、ホワイトキューブではなく、多くの人が行き交うパブリックスペースに展示する作品を募集することや、最終審査に残った6組全員に制作補助金100万円が支給され、制作物を評価したうえで賞を決定すること、受賞後の充実した作家サポート体制などが挙げられる。

 特に注目したいのが、グランプリ受賞者が招聘されるハワイ大学でのアーティスト・イン・レジデンス・プログラムだ。毎年異なるジャンルの作家が選出されるため、東京とハワイのあいだで何度もミーティングを行いながら、各作家に合わせたオリジナルのレジデンスプログラムが開発される。制作環境や資料のアーカイブが整った総合大学という環境で、海外ならではの刺激を受けつつ自身の制作活動をより深めることができる。こうした試みからも、同コンペティションが受賞アーティストを長い目で支援していこうという姿勢がうかがえる。

 「TOKYO MIDTOWN AWARD」は、なぜアーティストのためのコンペティションを志向するのか、そして、それを体現するためにいかに時間を積み重ねてきたのか。主催者としてアワードのプロジェクト・ディレクターを務める東京ミッドタウンの井上ルミ子、17年のグランプリ受賞者である金子未弥、19年のグランプリ受賞者である井原宏蕗に話を聞いた。

東京ミッドタウン・プラザB1Fにて、左から金子未弥、井上ルミ子、井原宏蕗 写真=中島良平

──10年以上継続して開催されてきた「TOKYO MIDTOWN AWARD」ですが、​​​どのような目的を持って設立されたのか、経緯を教えてください。

井上 いま、東京ミッドタウンのある土地にはもともと防衛庁があり、01年に入札で三井不動産が跡地を落札しました。当時、都心でこれだけまとまった土地を街づくりに活用できる機会は、100年に1度あるかどうかだと言われていて、どういう街をつくるか、たくさんの議論を重ねました。バブル崩壊を経て、9.11のアメリカ同時多発テロ事件が起きた後の東京の経済はどん底。シンガポールや香港など他のアジアの街との都市間競争が激化するなかで、「クリエイティビティが経済を再活性化していく」という考えのもと、「デザインとアート」を再開発のコンセプトのひとつに据えました。

 設計段階からアートディレクターとパブリックアートを設置することを前提として計画をすすめるやり方は、建物ができあがる直前に「おまけ」のようにアート作品を設置する従来のやり方とは異なり、デザインとアートの街にするというコンセプトで街づくりを進める中で推進した施策のひとつです。やがて、ハードができあがり、07年にミッドタウンが開業。その後もコンセプトが受け継がれ、翌08年には、若手作家の発掘・応援を目指して、デザインとアートを内包するコンペティションを立ち上げました。それが、「TOKYO MIDTOWN AWARD」です。

──「TOKYO MIDTOWN AWARD」のアートコンペは、どのような選考と審査が行われるのでしょうか?

井上 始めたころはテーマを設けていた年もあったのですが、いまは、作家にテーマを自由に設定してもらい、ここミッドタウンから世界に向けて発信したいメッセージを、アートで表現する提案をいただいています。作品をミッドタウンの地下通路という都市空間のなかにあるパブリックスペースに展示するとはどういうことか、そのサイトスペシフィック性にいかに取り組むのかが、審査において重要な観点になります。

 具体的な審査過程としては、まず、書類による1次審査があります。審査員は、すべての応募書類に目を通し、テーマ性、芸術性、実現性、独創性などを基準に議論して、12組を選出します。次に、模型を使ったプレゼンテーションと質疑応答を経て、6組までにしぼるのが2次審査。これを通過した6組は最終審査へと進みます。ここで全員に制作補助金100万円が支給され、実際に作品を制作してもらい、その後、完成した作品に対する最終審査が行われ、各賞を決定します。

──2017年グランプリの金子未弥さんの作品《地図の沈黙を翻訳せよ》は、アルマイト処理をしたアルミ板に都市名を刻印し、都市名に潜む見えない記憶に耳を傾ける試みです。そして2019年グランプリの井原さんは、《made in ground》という、ミミズの糞塚を採集し、その造形に美を見出した井原が陶器のように焼き上げて金彩を施した、生物とのコラボレーション作品を制作しました。おふたりからは、コンペティションに参加して得られたことについて聞かせていただきたいと思います。

井原 審査員の方々もつくり手なので、2次審査では、プランの現実性など、次々と具体的な質問をされました。鋭い観点からの質問が多く、あまりうまく返せなかったことを記憶しています。でも、プレゼンの機会を通して、最終的に自分が一番やりたいことは「ミミズの糞塚という生き物がつくったかたちを普遍的な彫刻に残すことだ」と思えたことは、大きな成果でした。

井原宏蕗、2次審査のプレゼン風景

金子 最初の書類提出から最終審査までの期間で、表現手法を大きくブラッシュアップすることができました。始めから都市名を刻印する作品の構想はできていたのですが、具体的にどのように都市名を集めるのかなどは、明確にしないまま書類をまとめていました。2次審査のプレゼンで都市の名前の収集方法を聞かれて、そこで初めて「ワークショップで集めます」と決めたんです。制作方法やコンセプトをどう練っていくのか、などを時間をかけて検討して、作品をより良い方向に展開させる経験をしたことが私にとって大きな収穫でした。

井上 金子さんは、最終審査で当初の案から大きく進化したことももちろんですが、受賞後の飛躍にも期待したい、ということで評価されました。

金子 ありがとうございます。2次審査が終わった直後から、「私に地図を提供してください」と呼びかけるワークショップを始めました。するとみなさん、過去に住んでいた場所や、行ってみてよかった場所など、何かしらストーリーがある場所を選んで持ってきてくれたんです。その地図に書かれている都市名を刻んで新しい地図をつくるわけですけど、様々なストーリーを聞きながら制作していると、結局は、いろんな人たちの記憶が都市をつくっているんじゃないかと思えました。それが改めて都市ってなんだろうと考えるきっかけになりましたし、最終的にはやっぱりまだわからないな、と。最終選考のときに、都市についてどういう考えが生まれたかを聞かれて、「私は都市というものがわからなくなりました」と伝えたんですね。わからないことを認識できたおかげで、その後も都市や地図をテーマとして制作を続けられるようになったと思っています。

金子未弥 地図の沈黙を翻訳せよ 2017 アルミニウム、鉄 165×25×165cm 写真=谷裕文
金子未弥 地図の沈黙を翻訳せよ(部分) 2017 アルミニウム、鉄 165×25×165cm  写真=谷裕文

井上 2次審査の質疑応答の時、審査員はとても厳しい質問を次々と投げかけるんですけど、それはどうにか作家の制作を良い方向に持っていきたいと思っているからなんです。ほとんどの質問はじつはアドバイスになっていて、そのアドバイスをうまく解釈して、良い方向に作品を進化させられた作家が上位の賞に選ばれています。つまり、書類選考から最終審査までのプロセスで、作家がどう成長していくのかも審査されるコンペティションだと言えますね。

井原 僕も、素材の説明を兼ねて採集の様子を撮影した映像をモニターとともに展示する予定でした。でも、商業施設で展示する意味を考え、なるべくシンプルな作品にしようと思うようになったんです。糞塚は立ち上がって地面から隆起したかたちがかっこいいのですが、それをつくったミミズ自体の姿は見えないところもおもしろいと思います。ミッドタウンアワードは2次審査終了後から展示までのスケジュールがタイトなのですが、たとえ採集が大変でも、空間をすべて糞塚で埋めようと開き直りました。完成した作品は相当な重さになったので、展示が可能かどうかも含めて、関係者の方々にすごくサポートしていただけました。そういう意味でもすごくいい機会だったと思っています。

井原宏蕗 made in ground 2019 ミミズの糞塚、金彩 400×300×60cm 写真=木奥惠三
井原宏蕗 made in ground(部分) 2019 ミミズの糞塚、金彩 400×300×60cm 写真=木奥惠三

──「TOKYO MIDTOWN AWARD」のアートコンペでグランプリを受賞すると​​​、ハワイ大学で行われる2週間のアートプログラムに招聘されます。このプログラムはどのようにして始まったのでしょうか?

井上 受賞後も、アーティストとしての成長を支援し続けたいと考え、新作発表の場を提供するなど、数々のサポートプログラムを企画してきました。そのひとつであるレジデンスプログラムでは、ハワイにあるハレクラニというホテルを三井不動産が所有しており、作家はハレクラニ系列のホテルに2週間滞在します。さらにそのハレクラニが、ハワイ大学や、地元の美術館などの文化事業のスポンサーもしているので、このネットワークを活用するかたちで、2013年より始めました。ハワイ=アートというイメージはあまり浸透していないので、招聘する作家からも「どうしてレジデンスプログラムをハワイで?」とよく質問されます。多額の事業費を新たに投下して立ち上げた企画は、景気の影響を受けやすく、経済状況が悪化するとすぐに予算削減のあおりを受けてしまいます。継続が何よりも作家支援につながる、と考え、いまあるリソースをうまく活用してはじめたサポートメニューのひとつです。

 ハワイ大学では、学内のギャラリーでの展覧会、ワークショップ、アーティストトークなどを行います。総合大学で規模も大きく、どんな作家が参加することになっても、やりたいと思っていることに応えてくれる柔軟性があるところが強みです。例えば、井原さんであれば、焼き物をつくるための窯を借りたり、農学部で線虫を研究している先生にミミズの研究の話を聞くことができました。金子さんが行ったワークショップでは、多種多様なルーツを持つ人が参加しました。

金子 ハワイでは展示と併せて、「あなたにとって大切な場所の地図をください」と呼びかけるワークショップを行ったのですが、移民が多い土地なので、自分がかつて住んでいた場所や、祖父母が住んでいた場所の話など、自分と土地をつなげて話してくれる人が多かったです。ハワイならではだと感じましたね。そこで人々の場所に関する記憶から、参加者自身のパーソナルな地図(=肖像)を描けるかもしれない、さらにそれは私がわからなくなってしまった「都市の肖像」になるのではないかという発想の広がりが生まれました。

ハワイ大学での金子未弥のワークショップ 写真=Kelly Ciurej

井原 僕の場合は、日本からハワイには土は持ち込めないので、ハワイで収集した生の糞塚をそのまま展示しました。おもしろかったのはハワイ大学構内でも土の色に違いがあったことです。農学部で聞いた「かつてハワイにはミミズがいなかった」という話も興味深かったです。また、ハワイのリサイクルショップで購入した額縁で額装する作品も制作しました。人類の歴史では、土のなかから見つけた金や銀に人間が価値をつけました。だから、僕が土のなかから見つけたミミズの糞も、金や銀と等価に並べてもいいんじゃないか、という発想です。

──アートコンペ2019の受賞作家6組が、新作を発表する展覧会「ストリートミュージアム」が、東京ミッドタウンのプラザB1階、メトロアベニューで3月20日より開催されます。こちらで井原さんの作品も展示されますが、どのような作品になる予定でしょうか?

井原 アワードのときと同じ場所で展示するため、基本的には、アワードを受賞した作品を軸にした彫刻を展示する予定です。今回は、ナマの糞塚とテラコッタのように素焼きした糞塚を展示することで、有機物と無機物の対比を表現したいと考えています。展示の最終日にはその作品の上を歩いて土に還す参加型のパフォーマンスも計画しています。

──TOKYO MIDTOWN AWARD 2020のアートコンペは5月11日〜6月1日で募集を予定しています。今後コンペティションへの参加を考えているアーティストに向けて、おふたりがアワードに参加してよかった点を教えていただければと思います。

井原 コンペティションは、序列がつくことへの不安もありますし、楽しいだけのものではないと思いますが、僕自身は応募を通して自分の作品を立ち止まって考えるチャンスだと思っています。とくに「TOKYO MIDTOWN AWARD」は、入賞者が6人だけということもあって、入賞者へのサポートは手厚いですし、じっくり考えながら制作をするとてもいい機会でした。このコンペティションに参加したことで、糞塚を探すことをライフワークとして続けつつも、これからも常に新しい表現を探し制作を継続していく意思が固まったように思います。

金子 審査中のアドバイスなども含めて、サポートは本当に手厚いですね。私の場合は、アワードの審査の過程でワークショップという方法にたどり着いたことがとても大きかったと思っています。2017年のアワード受賞以降、都市の肖像や地図についてずっと考えていますし、結果が予想できないワークショップから作品をつくることに可能性を感じています。自分ひとりでできることは限られているので、自分が考えていなかった方向へと向かえる貴重なチャンスだったと思っています。

井上 根底にあるのは、このコンペが、作家が自分の表現を見つけたり発展させたりしながら、長いスパンでアーティスト活動を継続していけるきっかけとなるようなプラットフォームであり続けたい、という思いです。ここ東京ミッドタウンから羽ばたくアーティストを応援し続けるアワードとして、これからも続けていきたいです。