インタビュー:アイザック・ジュリアン。夢の空間としての《Ten Thousand Waves》
エスパス ルイ・ヴィトン大阪で個展「Ten Thousand Waves」を開催中のアイザック・ジュリアン。日本初公開となった大規模ヴィデオ・インスタレーション《Ten Thousand Waves》(2010)を軸に、話を聞いた。
《Ten Thousand Waves》は認識論的なブレイクスルー
──今回、《Ten Thousand Waves》(2010)が大阪で展示されると聞いたとき、どのように感じましたか? フォンダシオン ルイ・ヴィトンのチームがそのことを決定したと伺いましたが......。
そうですね、《Ten Thousand Waves》が、ここ大阪で展示されることにとてもワクワクしました。日本の鑑賞者の反応もとても楽しみでした。これまで日本では、森美術館で《Play time》(2014)を展示しましたし、水戸芸術館や東京国立近代美術館のグループ展でも展示をしてきたのですが、《Ten Thousand Waves》は展示したことがなかったんです。この作品は14年前につくったのですが──もう14年も経ったなんて信じられませんが──でも私はこの作品が好きなんです。というのも、これは私にとって認識論的なブレイクスルーをもたらした作品なんです。
──認識論的なブレイクスルーとは、どういうものだったのでしょうか?
私は以前から、3つのスクリーンや4つのスクリーンで上映する映像作品を作っていたのですが、そのような複数のスクリーンによる作品を、たくさんのアーティストが真似するようになってきていたんですよね。それに、ポンピドゥ・センターでの展示で4つのスクリーンによる作品展示を行ったとき、私は観客が4つのスクリーンの真ん中に座ると思っていたんです。でも実際には、面白いことに、みんな4つのスクリーンが同時に見られるようなところに椅子を持っていって、そこから見ていたんです。だから私は決心したのです。「1つの場所から見るのが不可能な作品をつくろう」と。これが「移動する鑑賞者」という発想を促したのです。9つのスクリーンを使った《Ten Thousand Waves》では、その考えを発展させて、ある意味成功させることができました。みんな、作品を見るときに、一方向からだけ見るのではなく、別の方法で見るのだと気づいてくれたのです。音のランドスケープもつくり出して、移動しながら鑑賞する人を様々な方向に惹きつける──私はこの作品で、「誘引のモンタージュ」と呼んでいる、ある種の実験を試みたのです。それは3つのスクリーンをただ眺めているのとは違う、大きな転換でした。まるで映画館を、作品を見るための別の彫刻的な環境としてとらえるような……それは《Ten Thousand Waves》で起きたのです。私自身の制作活動においてもパラダイムシフトとなりました。
この作品は、フォンダシオン ルイ・ヴィトンをはじめ、ニューヨークのMoMA、香港のM+ミュージアム、ノルウェー国立美術館、そしてサンフランシスコ近代美術館にも収蔵されているんです。自分の実践が、この作品をきっかけに広く知られるようになったと言えますし、ある意味、いままで積み上げてきたものが、この作品で結実したようにも感じています。
発端となった移民の海難事故
──ハーレム・ルネサンス期の詩人、ラングストン・ヒューズを描いた《Looking for Langston》(1984/2017)、“ブラックスプロイテーション”の先駆者である映画監督、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズに焦点を当てた《Baltimore》(2003)、奴隷制度廃止運動家で政治家のフレデリック・ダグラスを描いた《The North Star (Lessons of the Hour)》(2019)と、ブラック・カルチャーやブラック・アイデンティティについての作品を数多く手がけていらっしゃいます。もちろんなかには《Playtime》や《Western Union Small Boats》(2007)など、グローバル資本主義や労働、移民をテーマにした作品もありますが、なかでも中国の情景や神話が描かれた《Ten Thousand Waves》は、とくに異色の作品だと感じます。ご自分では、この作品をどのように位置づけているのですか?
この作品もそうですが、観客が「黒人のアーティスト」に期待するもの、つまり、「(私が)こういうものをつくるんじゃないか」と予測しているものを超えたいと思うタイミングが何度かあったんです。そんなときに制作した《The Long Road to Mazatlán》(1999)はクイアの白人たちが主人公で、この作品のなかに黒人は1人しか登場しないんですが、それは私自身なんです。ほかに、ティルダ・スウィントンと一緒に制作した、白人の映画監督デレク・ジャーマンについてのドキュメンタリー《Derek》(2008)もあります。私の初期の代表作である《Looking for Langston》も、確かに黒人のゲイの欲望について語っているのですが、登場人物の人種は様々です。《Young Soul Rebels》(1991)もそうですね。
ただ、ひとつ言えるのは、《Ten Thousand Waves》が、2004年のモーカム湾遭難事故に端を発しているということです。低賃金で貝を採集していた違法就労の中国人23人が潮流に巻き込まれて亡くなった事故です。この出来事は、移民が働かされている経済状況を露見させました。ご存じのように移民問題にどう向き合うかは、イギリスで、またヨーロッパで、大きな政治問題となっています。それと同時に、この出来事のもうひとつの側面は、移民が海で溺れ死んだという事実です。それには胸に迫るものがありました。というのも、黒人文化のなかにはある種の海のメタファーがあります。奴隷にされた人々が貿易によって運ばれる途中、海で命を落としてきたという歴史的経緯があるからです。つまり、海や大洋が象徴となって、遭難した中国人たちと私を共鳴させたのだと思います。とても心を揺さぶられました。
それで、詩人のワン・ピンにお願いして、この悲しい出来事についての詩を書いてもらいました。1年後に彼女が完成させた詩をもとに、私は、ある意味ようやく、この作品をつくることができたのです。詩は2つあって、そのひとつ、「Western Union Small Boats」から、2007年に同じタイトルで作品をつくりました。この作品でも、海で人が亡くなるような、移動によって起こる困難な状況を扱っています。《Western Union Small Boats》は《Ten Thousand Waves》の姉妹プロジェクトです。もともと、彼女が書いたのは、アフリカからヨーロッパへと移動する移民についての詩でした。しかしそれから、中国人がヨーロッパに移住してくるようになった。そういった共通する要素が、私にこの作品をつくらせたと思います。
──先ほどマルチスクリーン作品が生み出された経緯について話してくださいましたが、9つのスクリーンを使うことは、作品の内容とも関係しているのでしょうか。というのは、この作品には、モーカム湾での事故時の映像や、上海の映画村で撮影した1930年代の上海の情景、作品制作当時の2000年代の上海、書道家が作品タイトルを漢字で書くシーンや、女神・媽祖(まそ)が飛行するシーン──彼女は中国の田舎にも飛んでいきますし、グリーンバックのあるスタジオで撮影されている様子も登場します。それぞれとても異なるシーンがパッチワークのようになっていますね。
はい、関係があります。というのも、私は、セノグラフィと建築に関心があって、スクリーンは建築のひとつの形態なのです。さらに、音の芸術としての側面もこの作品にはあります。そして私は、ブリコラージュ効果を慎重につくり上げることに興味がありました。この作品において、海の民を見守る女神・媽祖は、とても重要な役割を担っています。この神話にたどり着くまで長い道のりでしたが、私は、モーカム湾の遭難事故を語るにあたって、ニュースキャスターがニュースを読み上げているようにならないよう、効果的なアレゴリーが欲しかったんです。移民が海で溺れたのだ、ということをただ伝えても、私たちはもはや、興味を持たなくなってきていますから。だから私なりに、この悲しい事故に対してどんなふうに詩的な応答ができるかを考えていました。そんなとき、大英博物館で見つけた、16世紀に書かれた湄州島をめぐる媽祖神伝説についての資料が、モーカム湾の惨事を私の視点ではなく、媽祖の視点からとらえるというアイデアを導いてくれたんです。
──技法的な質問になるのですが、わざと媽祖役がグリーンバックのなかで吊るされていたりするようなシーンを入れていますね。映像の中で舞台裏を見せることにはどんな意図があるのでしょうか?
その通り、私は作品のなかで意図的に撮影の舞台裏を見せています。それは媽祖神を扱うなかで、舞台と観客を分ける一線、「第四の壁」を取り払うためのブレヒト的な仕掛けなんです。媽祖を登場させながら、同時に媽祖を描き出す手法を見せているんです。ほかのシーンでは、書道家によって書かれた文字を、制作の裏方が拭い去って、いわば“白紙”に戻しています。モーカム湾で亡くなった労働者たちは、食用の貝を採っていたのですが、労働する人たちがいて初めて、私たちは貝を食べることができるのだということです。それは作品制作についても同様で、つくる人たちの労働があるからこそ、作品をつくることができるのです。つまり、ここで見せている舞台裏は、モーカム湾で亡くなってしまった労働者たちのメタファーなのです。
私自身はイングランドに生まれましたが、移民としてのルーツを持っています。だからこの話とは密接なつながりがありますし、黒人やアジア人のディアスポラも含めた様々なディアスポラとつながることのできるものとして、この作品をつくりたかったんです。
詩人のワン・ピンが書いてくれた詩です。「おお、女神、媽祖よ、子供たちの願いを聞いてください。私たちの骨は岩に砕け、魂は海に散らばり、もう私たちには何も残っていない。残っているのはただ、海のそこにしずみ、東を見る目のみ。岸から岸へと漂う呼吸のみ。慈悲深い母よ、この濁った海に光を当ててください。私たちを故郷のロンガンの木のもとへ連れていってください。故郷にたどり着くまで私たちの心が休まることはないでしょう……。」
イギリスはいま、とても複雑な状況にあります。首相はアジア系なのですが、移民に対してとても反動的な立場をとっています。これがほとんど政治問題になっているのですが、その状況をつくっているものは、ブレグジットを導いたものと同じなのです。興味深いことでもありますが、いっぽうで、人によっては壊滅的な影響を受けるような問題でもあり、時として政治的な議論へと嵌ってしまうこともあります。だから私は詩に向かったのです。人間と人間をもう一度つなぐために。これがこの作品をつくった理由で、私は、この作品の力はいまも有効だと思っています。
アートが本当に存在するための条件
──政治的な複雑さといえば、この作品の主題となっている中国と、いまここ、展覧会を開催している日本も、複雑さを抱えています。日本が中国から学んだことは多く、農業の技術、宗教、文字さえも、中国から伝わったものです。長いあいだ、第一に参考にする外国といえば中国でしたし、実際、日本は朝貢国のひとつでした。近代に入って西洋世界から多くを学び、そして中国と戦争をし、部分的に植民地化しました。戦後、中国は日本にとって重要な隣人でもありますが、時に対立する局面もあり、そこにはつねに複雑さがあります。もちろん、このような複雑な状況は世界中にあるでしょう。非常に複雑な世界に対して、心理的な境界線を越えて作品を見せようとするとき、あなたはどのようなことを考えていますか?
そうですね、私たちは皆、文化が混淆するクレオール化の時代に生きていると思いますが、クレオール化への抵抗というのも存在し続けているんですよね。マルティニーク(*1)出身のフランスの哲学者、エドゥアール・グリッサンが『〈関係〉の詩学』のなかでこういうことを言っています。「クレオール化が投げかける問いは、グローバリゼーションがもたらす問いを別の立場からとらえるための、もうひとつの方法なのだ」と。私たちは皆、アンビバレントな立ち位置にいます。でもそうであったとしても、アートを通じた様々な連携があることも知っていると思います。というのも、モダニズムというものには政治的な立場というものがつねにありますが、美に関することは、それとは違った軌跡を描いてきたからです。そして私は、アートというのは国境を超えるものだと思うのです。まさにそれこそが、アートが本当に存在するための条件のひとつだと思います。だから私たちは、好奇心を生み出すものに目を向けたいのです。たとえそれが、いろいろな疑問を投げかけるようなものであったとしてもね。
──あなたはいま、自身の過去作品のアーカイヴに取り組んでいると、テート美術館のヴィデオ(*2)のなかで話していましたね。それは過去の作品から新しい発見があるからだと。《Ten Thousand Waves》が生まれてから14年が経ちましたが、いま振り返って、どのような作品だと思いますか? 何か新しい気づきがあれば教えてください。
そうですね、私は過去作品のアーカイヴを、その作品そのものを見るというより、むしろ欠けているものや怒りも含めて、再発見のための踏み台として見ていくのです。《Ten Thousand Waves》にはいろいろな要素があります。媽祖、また1930年代の上海の文化、そこには日本的なものや中国的なもの、西洋的なものが混ざっていますし、また本当にいろいろな美の言語があると思います。
それに、いま見ると、この作品が投げかけている問いは、より現実との関連を深めているように感じます。不気味です。ワン・ピンが書いた詩のもともとのタイトルは「Western Union Small Boats」でした。そしてスモール・ボート(移民が乗ってくる舟)は現在、イギリスでは大きな政治問題になっています。ですから、この問いが消えることはないのです。私たちがそれを消し去ろうとしてもできないんです。この作品は、いま展示すると、抑圧されたものとかそういうものが再び姿を現したように感じますね。
私の最新作、《Once Again...(Statues Never Die)》の最後に、次のような一節があります。「神話的なディアスポラの夢の空間で芸術家として成熟するにつれて、無限の文化的可能性が手を広げて私たちを受け入れるようになる。これは、降る雪のように純粋で汚れのない芸術的自由なのです」。ある人がこの部分を引用しながら、私がつくってきた領域横断的な想像力について書いてくれたのですが、確かにこの、ディアスポラの夢の空間というものには、ずっと心惹かれています。この空間は、誰かを排除するものではなく、招待制の場所でもなく、いろいろなディアスポラが居られて瞑想ができるところなんです。《Ten Thousand Waves》は、みんながそこでアイデンティティを保てる、そういった夢の空間のひとつなんです。私は、21世紀の現在、本当にこれこそが必要なんだと、アイデンティティを保つ新しい方法こそが必要なのだと、そう思っています。
──中国の現代美術家、楊福東(ヤン・フードン)も作品内に登場していましたね。
ヤン・フードンは、長いあいだ、マルチスクリーン作品をめぐってやりとりを続けてきた友人です。私のパートナーであるマーク・ナッシュが、キュレーターとして、芸術監督のオクウィ・エンヴェゾーとともにドクメンタ11を企画したとき、彼がヤン・フードンの担当だったんです。だから彼は若きヤン・フードンを国際的な現代美術のシーンに紹介する役割を担ったと言っていいと思うんですが、ただ私は個人的に中国映画や香港映画、日本映画を長いあいだ追いかけていて。そういうことが全部、この作品に反映されているとも思います。
私はヤン・フードンを尊敬しています。そして私たちは文化を超えた対話を、自分たちの仕事のなかで実践し続けてきたと感じます。私が《Ten Thousand Waves》をつくっているとき、彼は作品を手伝ってくれていたのですが、私は作品に登場してほしいと彼を誘ったのです。それで彼は《Ten Thousand Waves》のなかで、ある種のゴーストのようなかたちで登場しています。でも、それは彼へのオマージュでもあると思います。
ほら、(ヤン・フードンとのたくさんのツーショットを見せて)私たちの長年にわたる写真です(笑)。
──ヤン・フードンの作品とあなたの作品は重なるものがありますね。彼はペインティングからキャリアをスタートさせましたが、その後、映像表現に移行して、俳優を雇って、彼が描き出したいイメージを映像にして実現しています。美しい映像へのこだわりも似ています。彼のあなたへのリスペクトを感じます。
そうですね、彼とはずっとやりとりを続けてきましたが、それは文化を交わらせるようなものでした。ある意味、アーティストたちは応答し合っているのだと思います。それこそが境界を越えていくこと、地理的な場所を超えていくことなのだと思います。そこにはインターナショナルな言語があるんだと思います。
詩を通した芸術を
──最後の質問ですが、1980年代にキャリアをスタートさせてから、ベルリンの壁崩壊と、その後の楽観的なグローバリゼーションの時代、9・11からの分断の時代、ブレグジット、そしていま、ウクライナとガザという2つの大きな戦争がある時代に至るまでの変化を見て、アーティストの役割について、どんなことを思いますか? とくに移民について──“生きていくためのより良い場所”を求めて移動する人々を見つめてきたあなたに、聞いてみたいです。
とても大きな質問ですが……。そうですね、もちろん、アーティストというのは活動家でもあると思いますし、それは重要なことです。ただ、アートがいつも、たんなる主張の道具になってしまうのは求めていないかもしれない。アートはつねに自立している必要がありますから。
いま私たちはまさにアテンション・エコノミーの時代のなか、なんでも物理的というか経済的に数値としてとらえてしまいがちな世界に生きています。スマートフォンやいろんなものにもつながっているのですが、全部が道具にされてしまうような状況になっています。これは経済システムの上では、戦争にも結びついています。もちろん、そこでうまくやっている人たちもいるのですが。でも私は“アテンションの詩学(poetics of attention)”に興味があります。そういった状況に対抗するために、支配的な言語を再生産するのではなく、詩を通した芸術を標榜したい。なぜなら、支配的な言語には暴力が本質的に含まれているからです。そのような言語を再生産しないよう、別のやり方をつくり出すためには、さっき話したような夢の空間が必要だと思う。ですからアーティストの役割というのは、そういったオルタナティブなかたちのアイデンティティの持ち方をつくり出していくことじゃないかなと思います。
*1──カリブ海に浮かぶ島のひとつで、17世紀にフランスによって植民地化され、現在もフランスの海外県。
*2──「Isaac Julien – ‘I’m Interested in Poetry’ | TateShots」(2017年9月30日)