建築家 イオ・ミン・ペイが102歳で逝去。ルーヴル美術館のピラミッドなどを設計
パリのルーヴル美術館のピラミッドや滋賀県のMIHO MUSEUMなどの設計に携わり、世界的に高い評価を受けてきた中国系アメリカ人の建築家、イオ・ミン・ペイが、102歳で逝去した。
パリ・ルーヴル美術館のガラスピラミッドの設計でも知られ、1983年のプリツカー賞の受賞建築家でもあるイオ・ミン・ペイが、5月16日にニューヨーク・マンハッタンの家で逝去した。享年102歳。
1917年に中国・広州市で生まれたペイは、35年に渡米し、マサチューセッツ工科大学で学士号、ハーバード大学大学院で建築学修士号を取得。その後、ヴァルター・グロピウスの設計事務所や不動産開発会社のウェッブ&ナップ社で建築家として勤務し、65年にニューヨークで自身の建築設計事務所「I・M・ペイ&パートナーズ」(89年に「ペイ・コブ・フリード&パートナーズ」に改称)を設立した。
ペイの初期代表作には、ハーバート・J・ジョンソン美術館(1973、イサカ)やナショナル・ギャラリー東館(1978、ワシントンD.C.)、ジョン・F・ケネディ図書館(1979、ボストン)、香山飯店(1982、北京)などがある。
83年に当時のフランス大統領のフランソワ・ミッテランが「パリ大改造計画」を推進し、ペイはその一環として、ナポレオン広場に新たに設置するルーヴル美術館のメイン・エントランスの設計者に任命された。ガラスと金属を使用して設計したペイのピラミッドは、当時、「古典的建築物の前に近未来的な大建造物が相応しくない」など大きな論争を呼んだ。しかし現在、そのピラミッドは世界でもっとも訪問される建築のひとつであり、昨年は約1020万人が訪れた。
日本では、ペイは滋賀県の神慈秀明会カリヨン塔(1990)やMIHO MUSEUM(1997)、MIHO美学院中等教育学校MIHOチャペル(2012)などの設計に携わっていた。
2017年にルイ・ヴィトンがコレクションを発表したことで大きな注目を集めたMIHO MUSEUMは、桜並木からステンレスで覆われたトンネルを経るアプローチや、入母屋風のガラス屋根から自然光が降り注ぐエントランスなど、様々な特徴を有する。