休館していたアーツ前橋が再開。「新収蔵作品展2021」で立ち返る館の理念
借用作品の紛失にともない、4月から作品総点検のために休館していたアーツ前橋が7月22日より再開館。改めてその活動を見つめる「新収蔵作品展2021」が開幕した。
借用作品の紛失にともない、4月から作品総点検のために休館をしていた群馬・前橋市のアーツ前橋。現在もアーツ前橋の今後を考えるための委員会「アーツ前橋あり方検討委員会」が提言をまとめている最中だが、アーツ前橋は作品の総点検が終わり、「新収蔵作品展2021」の開催というかたちで7月22日に再開館を果たした。
「新収蔵作品展2021」では、アーツ前橋の2019年度と20年度の新収蔵作品を展示。基本に立ち返り同館の収集方針を改めて示すとともに、多くの人にその活動に触れてもらうことを目的に10月31日まで開催される。会期はⅠ期とⅡ期に分けられており、Ⅰ期は20年度の、Ⅱ期は19年度の新収蔵品が多く展示される。
同館の収集方針は「地域ゆかりの作家の作品を中心にした収集」「美術館の諸活動に関連した作品の収集」「アートの創造力によって地域に貢献できる作品の収集」の3つに大きく分けられる。本展では、これら3つの方針を端的に示す新収蔵作品を厳選している。なお、新収蔵品に特化した展覧会は5年ぶりだ。
とくにⅠ期の展示で目立つのが「地域ゆかりの作家の作品を中心にした収集」に関連する作家の作品だ。なかでも塩原友子《日月曼荼羅図屏風》(1983)は、その象徴的な存在といえる。1921年に前橋市に生まれ、2018年に逝去した塩原は、60年代には日本画の変革を目指す「日本画研究会」に参加。コラージュや版画的技法、幾何学的な画面構成など、日本画の枠に囚われない表現を続けてきた。《日月曼荼羅図屏風》では、上毛三山を表す3つの三角形や、玉ねぎやりんごといった日常のなかの農作物など、土地や生活に密着したモチーフも取り入れながらも、それらを高い構成力で屏風の上に凝縮させていることがわかる。
また、前橋市出身の田中正も本展で注目したい作家だ。田中は川隅路之助に師事し、73年にはグループ「ダダ」を結成するなど多彩な活動を行ったが、やがてボールペンを用いた静物画や風景画に移行。現在も塗装工をしながら作品を制作し続けている。《秋の空》(2013)は、電信柱や裸電球といったノスタルジックな記号とともに、榛名山などの具体的な土地のモチーフを配置。こうした要素は計画にもとづいて描かれるのではなく、下絵もなく自動記述のように制作されるという。
髙橋武も興味深い作家といえる。近代化に取り残された地方の労働者に目を向けた髙橋は、群馬県農民芸術団「グループどろ」に参加するなど、芸術を通じた啓蒙活動なども積極的に行っていた作家だ。重々しさが感じられる色彩でシャベルを描いた《群》(1961)は、高度経済成長期の影で暗く沈む地方の負の面を透過させた髙橋ならではの、強度のあるイメージといえる。
2つめの活動方針「美術館の諸活動に関連した作品の収集」に関連したものとしては、ラーニングプログラムや地域アートプログラム、ワークショップ、アーティスト・イン・レジデンスといった活動を通じて収蔵にいたった作品が展示される。
インドネシア出身で、現在はジャカルタを拠点に活動するイルワン・アーメット&ティタ・サリナは、2017年にアーティスト・イン・レジデンスをアーツ前橋で行った。その際に制作され、収蔵にいたった作品が《苦痛への信仰(FAITH IN PAIN)》(2017-19)だ。ベトナム戦争終結後の混乱のなか、インドシナ半島各国からの難民を受け入れてきた赤城山麓の施設「あかつきの村」をあつかった本作は、この施設で焼身自殺をしたベトナム人難民の部屋に残された書き込みを、作家の手のひらにつけた火で照らしていくもの。慣れない土地でつむがれた言葉をすくい取ることで光へと変える手つきが、前橋での滞在制作を通して生まれていたことがわかる。
2013年、アーツ前橋の開館前に行われたプレイベントでのワークショップ「絵画×音楽」。このワークショップで音楽家の野村誠が制作した作品シリーズが《ピアノのための9つの小品「アーツ前橋」》だ。同館所蔵の9点の絵画を前に、参加者が楽器を持ち寄り、作品から受けた印象を音にするワークショップから、野村が楽曲を制作。本展では楽譜と音源、そして笠木實の絵画《指揮者》(1993)をともに展示し、音楽を聞きながら作品を鑑賞することで、美術鑑賞の幅を広げるような試みが行われている。
3つめの「アートの創造力によって地域に貢献できる作品の収集」に関連するものとしては、市民の感性を揺さぶり、様々な経験を提供するため新収集された作品が展示される。
先端的な芸術を制作し続けた河口龍夫は、鉄、銅、木、石といった素材を使用し、見えない力の関係を作品によって創出してきた。今回収蔵されたのは、これまで50年以上にわたり発表されてこなかった河口が23歳のときの初期作品である銅版画《消去された時間》(1963)など。同作は、時計をモチーフに「時間」を描こうとしたもので、この当時からすでに河口が目に見えないものをテーマにしていたことを伝えている。視覚化できないものをとらえようとする本作の営みは、新たな視点と気づきを多くの人に与えるものといえる。
また、鈴木のぞみの窓ガラスや鏡などに写真乳剤で像を定着させた作品は、「記憶」の可視化を試みたものだ。前橋市内の住居にあった窓や鏡を支持体とした作品は、見るものに日常の景色が絶えず変化して記憶となっていくことを意識させる。誰もが持つ過去への憧憬や、そこに投影される個人的な感情など、広く人々に訴えかける多義的なメッセージが込められている。
同展ではほかにも、長重之の代表作である「視床」シリーズの床置き作品や、熊井淳一による鋳造工程まで自ら手がけるブロンズ彫刻、東日本大震災の被災地で4章からなる物語を紡いだ小森はるか+瀬尾夏美による映像作品が展示される。
1階展示室のみというコンパクトな展示ながらも、アーツ前橋の収集の方針を端的に表す収蔵品が厳選された展覧会。地方の公設美術館が収集という基盤となる活動を通じて何を伝えていけるのか。改めて考えさせられる収蔵品展となっている。