「庵野秀明展」が開幕。学生作品から『エヴァ』、『シン・仮面ライダー』まで、1500点を超える資料で見る実験と挑戦の軌跡
アニメーションや実写など様々な作品を手がけてきた庵野秀明の世界に、撮影に使用された模型やミニチュア、設定資料や映像で迫る展覧会「庵野秀明展」が開幕した。展示のハイライトをレポートする。
東京・六本木の国立新美術館で『庵野秀明展』が開幕した。これまでにアニメーションや実写など様々な作品を手がけてきた庵野の世界に、実際に撮影に使用された模型やミニチュア、設定資料や映像で迫る展覧会だ。会期は2021年12月19日まで。
庵野は1960年山口県生まれ。高校、大学での自主映画制作を経てアニメーターとして活躍後、『トップをねらえ!』(1988)で初監督を務める。その後、監督した『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)は社会現象ともいわれる話題作となった。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ及び『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2007~2021)では企画、原作、脚本、総監督、エグゼクティブ・プロデューサーを務め、2016年には『シン・ゴジラ』の脚本と総監督を務めている。
展覧会は5章構成で、庵野が影響を受けた1960〜70年代のアニメ/特撮作品の紹介から、学生時代の自主制作作品、アニメーターとしての参加作品、そして『新世紀エヴァンゲリオン』をはじめとする監督作品や、『シン・ゴジラ』のような実写など、これまで手がけた作品を資料とともに紹介。また、『シン・仮面ライダー』など、これからの公開が控える新作の資料も展示される。
第1章「原点、或いは呪縛」では、庵野が幼少時代から傾倒したアニメ、マンガ、特撮作品を立体造形物や原画、制作資料などが紹介される。
庵野が生まれた1960年は、テレビのカラー放送が始まった年でもある。『ウルトラマン』(1966)、『仮面ライダー』(1971)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974)、『機動戦士ガンダム』(1979)といった、現在に至るまで長くシリーズが続く作品が、庵野の幼少期から青年期へとまたがる時代に誕生した。
会場では上述のシリーズ作品のほか、『海底軍艦』(1963)や『マグマ大使』(1966)、『マイティジャック』(1968)といった、特撮史に残る作品に登場するメカが所狭しと展示されている。庵野の制作の原点ともいうべきこれらの作品が当時の子供たちに与えた高揚を、その多様な造形から想像してみてはいかがだろうか。現在にいたる庵野の創作にも通底する、60年代から70年代にかけての科学的志向をもった想像力が生んだ作品の数々から、庵野の作品に登場するメカや設定のモチーフを探してみると、その後の章がより深く楽しめるはずだ。
第2章「夢中、或いは我儘」は、庵野が大学に進学してアマチュアの世界で頭角を現したのち、アニメーターとして名が知られるようになり、そして『新世紀エヴァンゲリオン』を監督する直前までの軌跡を、作品映像や資料で追う。
本章の冒頭で注目したいのは、庵野秀明が中学・高校時代に描いた油彩画だ。静物や風景といったオーソドックスなモチーフを描きながらも、対象の造形を把握する力や、構造的な色彩など、基礎的な画力の高さが当時から備わっていたことがわかるだろう。
また、 高校時代に8ミリフィルムで制作した自主制作映像『ナカムライダー』(1978)にも注目だ。スチールアニメを用いた特撮カットなどからは、自らの手で映像をつくりたいという庵野の飽くなき情熱が伝わってくる。
大阪芸術大学に進学後も、庵野は様々なアマチュア映像作品を生み出していく。大学の映像計画学科での一回生時の提出課題として庵野が制作した『じょうぶなタイヤ!SHADOタイヤ』(1980)は、自動車が走り回るアニメーション作品だ。同作でもっとも有名な、上空から落ちてきた車がパトカーやバスを押しつぶして跳ねるシーンの作画に使われた原動画などが展示され、庵野が得意とする爆発や煙といったエフェクトの緻密な描写が、学生時代から高いレベルにあったことがうかがえる。
庵野の名前を当時のマニアのあいだで有名にしたのが、第20回日本SF大会(DAICON Ⅲ)のオープニングアニメーション(1981)と、実写特撮映画『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』(1983)だ。前者は特撮やロボットアニメのパロディをふんだんに取り入れながらも、庵野の高い作画技術が全編にわたって冴えわたる作品。また後者も自主制作とは思えない高度な特撮技術がふんだんに使われている。会場では作品映像とともに両作品の絵コンテや原画、設定資料などが展示され、庵野の映像作家としての実力が、すでにプロでも通用するものであったことを伝える。
1982年の『超時空要塞マクロス』への参加を皮切りに、庵野はプロのアニメーターとしての道を踏み出す。なかでも、宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』の巨神兵が溶け出しながら現れ、王蟲の群れを光線で薙ぎ払うシーンの作画はとくに著名といえるだろう。会場では、このシーンの原画用下描きやレイアウトの下描きなどが展示され、どのような画を重ねることであのカットが生まれたのかを知ることができる。
その後庵野は、1988年に商業作品としては初の監督作である『トップをねらえ!』をオリジナル・ビデオ・アニメでリリース。さらに1990年には自身初のTVシリーズとなる『ふしぎの海のナディア』を手がけ、監督としての経験値を積んでいった。
第3章「挑戦、或いは逃避」は、社会に大きな影響を与えた『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)を制作した後、2006年より自ら株式会社カラーを立ち上げ、『エヴァンゲリオン』の新劇場版4部作を手がけていく道筋を見ることができる。また、『シン・ゴジラ』(2016)にいたるまでの、庵野の実写作品の系譜も紹介する。
第3章の冒頭では、まず1995年に放送開始した、庵野の代表作といえる『新世紀エヴァンゲリオン』を紹介する。その先鋭的な映像表現やストーリーや、キャラクターの緻密な心理描写などから社会現象を巻き起こし、90年代という時代のアイコンといっても過言ではないほど影響力をもった作品だ。会場ではプロット、画コンテ、設定がレイアウト、企画書、シナリオなど、100点を超える資料を展示し、同作が庵野の強固なディレクションによって細密につくられた世界観のもとで生まれたことを再確認できる。
2006年に庵野は、『新世紀エヴァンゲリオン』の完全新作シリーズとして『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を公開した。今年、完結編として公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)までの4部作で構成されたこの新劇場版を、展示ではレイアウト、ポスター、設定といった豊富な資料で振り返ることができる。
とくに、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の制作で使用された、「第3村」のミニチュアは会場でもひときわ存在感を放つ。同作のスタッフはこのミニチュアを使って様々なアングルを試行錯誤しながら、画コンテや画面設計をつくり、それをもとにレイアウトを生み出した。作中のカットを想起しながらミニチュアを見て、庵野が意図した視点を探ってみるのもいいだろう。アニメーション作品ながらも、特撮的なアプローチを取り入れる、庵野ならではの発想がミニチュアの細かな造形から伝わってくる。
第3章のもうひとつの軸といえるのが、庵野の実写への取り組みだ。『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットによって、庵野の名前はアニメーション監督として広く世間に知られるようになったが、ここまでの展示を見てもわかるように、その制作の原点にはつねに特撮をはじめとする実写作品があった。
庵野は『新世紀エヴァンゲリオン』の劇場版制作後、アニメーション制作から離れ、村上龍の同名小説を映画化した『ラブ&ポップ』(1998)や、庵野自身が脚本を手がけた『式日』(2000)など、10代の少女の精神的な成長や社会との軋轢といったテーマを映像化した実写作品を手がけていく。
また、永井豪の同名作品を実写化した2006年の『キューティーハニー』は、俳優の動きを静止画で撮り、それをコマ撮りアニメのように連続させてスピード感のある映像をつくるという特殊な手法が話題となった。
やがて庵野は、特撮的な手法と現代の3DCGを始めとしたデジタル技術を組み合わせ、『ゴジラ』(1954)を再構築した『シン・ゴジラ』(2016)を発表。会場では、同作のコンセプトアートや画コンテ、シナリオ案や台本を展示している。
アニメーションと特撮という、庵野が幼少期から親しんだ手法の異なる表現方法をいかに接近させ、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』や『シン・ゴジラ』といった作品を生み出したのかが、第3章の展示を通して見えてくる。
そして第4章「憧憬、そして再生」では、『シン・ウルトラマン』と『シン・仮面ライダー』という現在庵野が制作している2作品の、現在公開可能な情報が資料として展示される。
最後となる第5章「感謝、そして報恩」は、庵野が理事長を務め特撮の技術や資料のアーカイヴを行う「アニメ特撮アーカイブ機構」や、庵野が関わるアニメーター育成事業などを紹介。制作者としてだけではなく、技術の継承や後進の育成にも尽力する、庵野の別の側面を知ることができるだろう。
著名作品から学生時代の短編までを紹介することで、庵野秀明のこれまでの功績を豊富な資料と映像で紹介する本展。技術的にも演出的にも、つねに挑戦を続けてきたひとりの映像作家の姿が見えてくる展覧会だ。