世界は、自然は、いかにとらえることができるのか。武蔵野美術大学 美術館・図書館で「若林奮 森のはずれ」を見る
戦後日本の彫刻を牽引した彫刻家・若林奮(1936〜2003)の展覧会「若林奮 森のはずれ」が、東京・小平の武蔵野美術大学 美術館・図書館で開催中だ。約30年ぶりに再展示された《所有・雰囲気・振動―森のはずれ》(1981–84)をはじめ、本展の展示の様子をレポートする。
戦後日本の彫刻を牽引した彫刻家・若林奮(1936〜2003)。その思索の軌跡を問い直す展覧会「若林奮 森のはずれ」が、東京・小平の武蔵野美術大学 美術館・図書館で開幕した。会期は8月13日まで。
若林は1936年東京府町田町生まれ。59年東京藝術大学美術学部彫刻学科卒業。75年に武蔵野美術大学共通彫塑研究室助教授に就任し、80年に教授となり84年に退任した。鉄を主な素材とし、緻密な観察と省察にもとづく固有の彫刻観、自身と周縁世界との関わりをめぐる思索を内包した彫刻作品を制作。神奈川県立近代美術館(1973)、東京国立近代美術館(1987)、豊田市美術館(2002)と国内で個展を開催し、80年代にはヴェネチア・ビエンナーレ(日本館)に2度出品。海外でも個展を重ねるなど、国内外より高い評価を得た。
本展の中心を成すのが《所有・雰囲気・振動―森のはずれ》(1981–84)と《Daisy Ⅰ》(1993)のふたつの作品だ。両作品の展示の様子を見ていきたい。
《所有・雰囲気・振動―森のはずれ》は、若林が武蔵野美術大学に在任していた1981年に発表された作品。本作が「作品」として発表されるより前、若林は学内の工房内に鉄板を立て、自分自身の制作や思索のために10畳ほどの「鉄の部屋」をつくっていた。この「鉄の部屋」の周囲を鉛で覆い、周辺に植物や大気を表す鉛の板やキューブを配置して発表したのが 《所有・雰囲気・振動―森のはずれ》となる。
武蔵野美術大学が所蔵していた本作は、今回約30年ぶりの展示となった。袴田京太朗(造形学部油絵学科・教授)、伊藤誠(造形学部彫刻学科・教授)、戸田裕介(共通彫塑研究室・教授)らの協力を仰ぎながら、当時の資料を参照しつつ改めて鉄板を組み上げ、構築して再展示されている。
《所有・雰囲気・振動―森のはずれ》 は内部も含めて作品となっている。84年の初発表時には壁が1枚外されていて鑑賞者が内部に入れたものの、それ以降の3回の展示では部屋は閉ざされ、その内部を見ることはできなかった。今回の展示では4回にわたって内部特別観覧を実施する予定となっており、内部のドローイングや紙を重ねてつくられた「振動尺」(詳細は後述)を見ることが可能だ。ぜひこの機会に、若林が本作で提示しようとしていた空間そのものが持つ意味や、後の作品に通じるモチーフを内側から探してもらいたい。
いっぽうの《Daisy Ⅰ》は人の背丈ほどある角柱型の作品で、武蔵野美術大学 美術館・図書館の吹き抜けに全10点が展示されている。「Daisy(ひなぎく)」という名称からも連想されるが、本作は植物の持つ構造を再現したかのような作品だ。
縦型の角柱は植物の茎を、そして頭部のベンガラや胡粉が塗られた凹凸は花弁を想起させる。群生するように立ち並ぶ本作のあいだを歩けば、野花や木々が林立する自然のなかにいるような感覚を覚えるだろう。
若林が制作のテーマのひとつに据えていた「自然」。無機質な鉄板や工業用の素材を用いて制作された《所有・雰囲気・振動―森のはずれ》と《Daisy Ⅰ》がひとつながりの空間に配置された本展は、この「自然」をめぐる若林の思想を体現するような試みとなっている。「自然」のなかに身を置くとはどういうことか、「自然」と「人工」の差異はどこにあるのか、人間はどこまで「自然」を知覚できているのか。そういった思考の喚起をうながしてくる。
《所有・雰囲気・振動―森のはずれ》と《Daisy Ⅰ》の理解の糸口とするべく、関連する若林の作品も展示されている。例えば若林は、自身と世界との距離を計るものさしとして1970年代以降、「振動尺」という概念を提示した。計測するための「尺」が「振動」してしまうと、当然その示準には揺らぎが生じてしまうが、この揺らぎを持つ「尺」を、若林は自身の周囲にある不可知な事象を認知するために用いる概念として位置づけていた。
展示されている《振動尺》Ⅰ~Ⅳ(1979)は、鉄と木による棒状の作品だが、その先端には若林の手による跡がつけられていることがわかる。本作は、この若林の手と前方にある対象との距離を、振動でとらえることにより計る原器であるとされている。若林が自らの手をもって自らの周囲にある世界や自然といった概念のディティールをどうにかしてとらえようとしていたことが想起されよう。
また、80年代終盤以降、若林にとって重要な素材のひとつとなった硫黄を用いた《The First White Core》Ⅰ~Ⅲ(1992)にも注目したい。木製の基壇の上に、石膏の固まりが直立した形態で展示されており、石膏部分の鋳型には、硫黄を鋳造したときに用いた銅板が用いられている。銅板に残された硫黄が作品の表面の石膏と混じり合う本作からは、人工的な彫刻技法と自然現象によって現れる物質の性質のせめぎ合う様を表すという、若林らしい視点が見て取れる。
ほかにも本展では、ドローイングやマケット、小品、資料など約100点が本展では展示されており、若林の創作の軌跡をたどるとともに、その研究の最新形が提示されている。世界の認知に彫刻という手法を通して挑戦し続けた若林の営みをあらためて振り返ることができる、意義深い展覧会だ。