キース・ヘリングが愛され続ける理由とは? 森アーツセンターギャラリーの大規模展でその多面的なクリエーションに迫る
ポップでカラフルな作風で、シンプルな線と色で描かれた様々なキャラクターによって知られているアメリカ人アーティスト、キース・ヘリング。その大規模個展「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」が、東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで始まった。会期は2024年2月25日まで。
シンプルな線と色で描かれた個性豊かなキャラクター。アメリカ人アーティスト、キース・ヘリングによるアートを様々な場所で目にしたことがある人は少なくないだろう。そんなヘリングの大規模個展「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」が、東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで開幕した。
キース・ヘリングといえば、そのポップでカラフルな作風やアンディ・ウォーホルとの師弟のような関係、そしてエイズによる合併症のため若くして亡くなったことなどでご存知の人が多いかもしれない。では彼が名を馳せるきっかけとなったのはなんだろうか?
1980年代初頭、ニューヨークの地下鉄駅の広告の空きスペースに目をつけ、「ここに描けばあらゆる人が自分の作品を見てくれる」とひらめいたというヘリング。空いている広告板に貼られた黒い紙にチョークでドローイングを開始し、「サブウェイ・ドローイング」と呼ばれるこのプロジェクトによって彼は一躍脚光を浴びるようになった。警官に捕まらないよう素早く描き、ものの数分で仕上げたら、ふたたび地下鉄に飛び乗り、次の駅へと向かってドローイングすることを繰り返した。
約5年間続き数千点におよぶとされるサブウェイ・ドローイングだが、技法や材質から保存・管理が難しく、また駅員やファンに剥がされたりすることで消失あるいは所在が不明のものがほとんどだ。
本展では、ニューヨークのマルトス・ギャラリーの協力により日本初公開のサブウェイ・ドローイング5点が出品。国内所蔵品を加えて合計7点の作品が一堂に公開されている。
本展監修者の梁瀬薫(中村キース・へリング美術館顧問)は開幕にあたり、ヘリングのサブウェイ・ドローイングをまとまったかたちで鑑賞できるのは「奇跡的」なことだとし、「この展覧会を逃したら一生見ることはないのではないか」と話している。
そのうち2点を出品したアメリカのアートコレクター、タッカー・ヒューズは次のように述べている。「ヘリングは、ギャラリーオーナーや評論家が発掘して有名になったのではなく、毎日2万人ほどの地下鉄の利用者がそのアートを毎日見て、そこから有名になったという点はとてもユニークだと思う」。
ヒューズによれば、ヘリングは当時のほかのグラフィティアーティストが地下鉄の車両に直接描くという破壊行為でなく、空いている広告板に貼られた紙にチョークで描き、つまり永久に残されるものでなく公共物を損壊することもないかたちで創作を続けたため、ニューヨーカーたちにもより受け入れられたという。
また、描かれたモチーフもユーモアにあふれ、しばしば社会の現実を風刺・批判するものが多いため、その作品は多くの人々の心と記憶に入り込み、愛された。
1991年に31歳で逝去したヘリング。梁瀬は次のように評価している。「その短い生涯のなかで、20代で死と向き合って生きていた作家。あれだけ楽しくてコミカルで絵を描きながらも、その裏腹には死の恐怖や社会に対する批判、様々な差別に対処していた。その思いをビジュアルコミニュケーションというかたちで表して、アートの力を世の中に示してきた。また、それだけでなく、自分が芸術家としてこれまでの美術史を超えたような描写もつねに考えていた」。
本展は全6章とスペシャル・トピック「Keith Haring and Japan キース・ヘリングと日本」によって構成。第1章「Art in Transit 公共のアート」で展示されたサブウェイ・ドローイングのほか、アイコニックなモチーフから彫刻、ポスター、大型作品まで合計約150点の作品が紹介されており、ヘリングの様々な側面を知ることができる展覧会となっている。
例えば、第2章「Life and Labyrinth 生と迷路」では生の喜びを讃える数々の作品が集まっており、第3章「Pop Art and Culture ポップアートとカルチャー」ではヘリングが手がけた舞台芸術や広告ポスター、LPレコードのジャケットなどが紹介されている。
第4章「Art Activism アート・アクティビズム」では、ヘリングのアクティビストとしての側面を示している。ナチスの強制収容所で同性愛者の男性につけられたピンクの逆三角形を上向きにし、同性愛差別に対する抵抗を示す《沈黙は死》(1989)をはじめ、HIV・エイズ予防、核放棄、反アパルトヘイトなどを題材に力強いメッセージを込めた作品が展示。
本展タイトル「Art to the Streets アートをストリートへ」ともっとも呼応するように感じる第5章「Art is for Everybody アートはみんなのために」では、自身がデザインした商品を販売するポップショップや子供たちのためにつくられたシリーズ「赤と青の物語」などの取り組みが紹介されている。
アートを富裕層にだけではなく大衆にも届けたいという思いで、ヘリングは1986年にニューヨーク・ソーホーにてポップショップを開店。88年にはその2号店を東京・青山にオープンさせた。Tシャツ、缶バッジ、ポスター、おもちゃなどの販売のほか、東京店では日本文化を融合させてアイテムも多数生まれた。こうした一部のものは、最後のスペシャル・トピック「Keith Haring and Japan キース・ヘリングと日本」でも並んでいる。
会場の壁には、ヘリングの日記などからその言葉が紹介。後半では、次のような印象的な言葉が綴られている。
アートは不滅だ 人は死ぬ ぼくだって死ぬ
でも本当に死ぬわけじゃない
だって 僕のアートはみんなの中に生きているから
──1987年3月20日(Keith Haring, Keith Haring Journals, 1987)
わずか31年の生涯で美術史に大きな足跡を残したヘリング。そのアートを知っている人にとっても知らない人にとっても、本展はヘリングの創作を(再)発見する絶好の機会だ。