オリンピックを契機に、都市のシステムはどう変わりうるのか? 秋山佑太評「東京計画2019 vol.1 毒山凡太朗 RENT TOKYO」展
オリンピック開催を来年に控え加速度的に変貌する東京。だがその過程では、都市構造の画一化が進み、人々の行動や生態系にさえ影響を及ぼしている。藪前知子が1年を通してキュレーションする「東京計画2019」は、そうした諸問題にたいして5組の作家が実践を通して、別の可能性を提示する試みだ。その初回となった毒山凡太朗展を、建築家/美術家の秋山佑太が批評する。
計画困難な時代のカウセリング室 「反復的空間」と「不可逆的空間」
ここのところ都市を扱った展覧会が多く開催されている。2017年のChim↑Pom「Sukurappu ando Birudoプロジェクト 道が拓ける」に続き、18年は会田誠「GROUND NO PLAN」、ヒスロム「仮設するヒト」、Urban Research Group/SIDE CORE「変容する周辺、近郊、団地」などアーティストによるものだけでなく、都市空間に介入するアーティストの元祖的存在、ゴードン・マッタ=クラークの大回顧展が東京国立近代美術館で開催された。
「東京計画2019」もまた、オリンピック開催直前の変わりゆく大都市「東京」にアプローチすべく企画されている。キュレーターによってセレクトされた作家一覧を見ることでもわかる通り、都市空間でいまアーティストがどんなリアクションを起こすのか、そのバリエーションを見せ、カッコ付きの「都市論」が取りこぼしている眼差しを示す狙いがうかがえる。タイトルとなっている「東京計画」は、建築家で都市計画家の丹下健三らが提案した「東京計画1960」から取られている。
そんな「東京計画2019」第1弾のアーティストに選ばれたのは毒山凡太朗だ。展覧会を通して作家とキュレーターが何を試みようとしたのか、「展示導線」に照準を定め、作品の配置とゾーニングから私なりに読み解こうと思う。
会場のギャラリーαMは、エントランスが中央部にあり、入り口を入って左右に空間が分かれている。その先は袋小路となるため、一筆書きの順路を設定することが難しい。そんな条件付きの場所で、どのような「展示導線」の設計が成されているのか、誤読を恐れず分析していこう。本展では、空間に2つの役割が与えられていた。ひとつはエントランス付近の「反復的空間」で、もうひとつは左右のどん詰まりの部屋につくられた「不可逆的空間」である。
展示会場に入ると大音量で叫ぶ男の声が聞こえる。ここが「反復的空間」である。出入口付近に大きくプロジェクションされた映像作品《千年 たっても》と《あどけない空の話》が交互に再生されている。会場に入った鑑賞者はどちらかの男の叫び声に導かれる。ひとりの男は自分が立つこの場所(福島の安達太良山)の空が「本当の空」で、そのほかの空は全部偽物だと叫ぶ。もうひとりの男は、オリンピックに向けて開発が進む東京の工事現場で、もっともっとビルで空を埋めてくれと叫ぶ。ふたりの叫びは会場中に響きループ再生される。行き場のない言葉がその場に漂い続ける。
対して「不可逆的空間」は、入り口を入って奥に進んだ左右の部屋にある。いっぽうの部屋には、固有の町の名が描かれた看板のインスタレーション《TOKYO Drawing 2019》が展示されている。看板に描かれた固有名は、街の姿と同じように、固定化出来ずに漂白されていく。もういっぽうの奥まった部屋には、経済産業省の前に存在した「脱原発テント村」の一部と記録が展示してある。この《経済産業省第四分館》は、社会の歪みに抗う人々のアジトに作家が訪れ、そのやりとりをジャーナリスティックに切り取ったインスタレーションである。元に戻ることが出来ない原発事故の行方、そして撤去されてしまったテント村も元に戻ることが出来ない。そういった作品が持つ不可逆の構造と、どん詰まりの閉じた空間を対応させ展示している。
本展に出展された作品に共通する問いは「この土地や空は誰のものか?」。それらの共通する問いを持つ作品は「反復的空間」と「不可逆的空間」に分けられ配置されている。ただ曖昧に作品を配置するのではなく、明瞭なゾーニングによって導線は流動性を持ち、順路とは違う手法で鑑賞者を導くことに成功している。
近年、日本の都市空間でもっともアクティブに活動してきたアーティストはChim↑Pomであろう。殺伐とした都市空間をハッキングして実行するアクションは、他のアーティストにはないヤバさと緊迫感がある。しかし、そんなChim↑Pomとは異なる毒山の特異性は、都市構造と向き合うのではなく、都市のシステムから排除された人々と対話している点ではないか。毒山の関心は都市空間ではなく、人々のほうである。排除された人々の声を聞かずに建物を建て続けるゼネコンやハウスメーカーには出来ないカウンセリング力が毒山にはある。本展においても、そういった毒山の姿勢ははっきりとしていた。
さて、本展において作家とキュレーターは「何を試みよう」としたのだろうか。「展示導線」によって手掛かりは掴めた。しかし、それは手掛かりに過ぎない。本企画が「東京計画1960」を下敷きにしているのであれば、実践的な計画案が望まれるはずだ。当時の丹下らによる提案は、行き過ぎた飛躍はあるにせよ、実践を前提とした計画図であった。しかし、ザハ・ハディッドの失脚を経たいまの「東京」という都市空間において、その場しのぎではない「計画」と言える図を描くことは難しい。もしくは、その不可能性をも受け入れた「試み」を示すには、より明確なビジョンが必要だ。ビジョン不在のまま、誰も都市を変革するようなアクションを起こすことのない状況では、老朽化した東京の建築物たちは、新陳代謝することなく、あの均一化した周を成す新しい杜のスタジアムのような建物に置き換わるだけだろう。カリスマ的な都市計画家もいないいま、アーティストの眼差しを基に、オリンピック後の東京をサバイブすべく策定された現代の「東京計画」には、より実践的な計画を期待したい。