わかりやすい文脈への回収を避ける意図とは? 平芳幸浩評「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」展
ベトナムからの難民という背景を持つヤン・ヴォー。歴史や記憶をまとった彫刻や物を、切断・再構成するスタイルで世界的に注目を集めてきた。その一見不親切で、鑑賞者に「戸惑い」を感じさせる作品の意図とはなんであろうか。日本では初となる美術館での個展について、マルセル・デュシャンを専門に近現代の美術史研究を続ける、平芳幸浩が読み解く。
解体され、金継ぎされる世界
ベトナムの出身で現在はメキシコシティを拠点に世界的に活躍するヤン・ヴォーの、日本の美術館における初の個展が大阪の国立国際美術館で開催されている(巡回予定なし)。折りからのコロナ禍により作品の到着が遅れ、ほぼ2ヶ月遅れのスタートなった。
ヤン・ヴォーは、4歳のときに父手製のボートに乗ってベトナムを離れ、難民としてデンマークに移住。ヨーロッパで美術を学んだ経歴を持つ。ベトナム戦争から南北ベトナム統一、そしてボートピープルとしての国外脱出という彼を取り巻いてきた社会的背景によって、その作品は、「アイデンティティ、権力、歴史、覇権主義、エロティシズムといったテーマが直接的にあるいは比喩的に顕れ」るとされる。そう、彼の作品の〈意味〉としてはそのように〈読む〉ことはできる。おそらくヴォーが今日の美術界において注目されている理由の一端は、社会的マイノリティが現代アート(マーケット)という文化的権力構造に楔を打ち込んむという〈意義〉によるものであろう。それそのものの重要性は認めなくはないが、いっぽうで、マイナーな立ち位置からの異議申し立てという構図そのものはすでにクリシェ化してしまっており、それこそ今日のアートマーケットにとって都合の良い売り文句に堕してしまいかねない。
国立国際美術館での展示は、そのようなわかりやすい文脈への回収そのものを、ある種の文化的消費あるいは搾取としてテーマ化しているように思われる。つまり、今回の展覧会は、作品の〈意味〉を読ませ文脈あるいは背景と呼ばれるようなものを理解させることを巧妙に回避するようにできているように思われるのだ。よって本レビューはこの点に絞って展開されることになる。
筆者が展覧会オープン当初に訪れた時点では、会場には作品キャプションの掲示がなく、壁の片隅に数字がプリントされた小さなシールが貼られているだけで、手元の作品リストと照合しながら、作品を確認するも、どこからどこまでが作品で、何が作品外の展示工作物で、ある作品と別の作品との境界がどこにあるのか、結局のところあまり判然とせず、会場全体をふらふらと歩き回りながら、眺め渡すしかない状態であった。レビューを書くにあたって再訪した時点では、展示図面と作品リストがまとめられた冊子が会場に置かれており、明確に作品単位で鑑賞することができるようになっていた。結果的に言えば、今回の展示構成が鑑賞者に及ぼす効果を看取するにあたって、この二度の異なる鑑賞経験が良い働きをしたようである。
今回の展示の作品としての目玉のひとつであろう《セントラル・ロトンダ/ウインター・ガーデン》(2011)は、シャンデリアが木製のクレートに入れられたまま展示室の床に置かれている作品だが、このシャンデリアは、1973年にベトナム戦争終結のためのパリ平和協定が協議されたホテル・マジェスティックのボール・ルームに取付けられていたものである。このことを知ると、我々は、作者の出自や欧米諸国の国家的暴力への言及として作品を理解するであろう。だがその知見は、眼前の物体をそのような社会的歴史的文脈に再配置するだけである。その物体は、文脈的に言えば、ベトナムに生を受けたヴォーにとっての歴史的な傷痕の表象あるいは象徴かもしれない。たしかに彼はある種の傷痕を扱っている。しかし、それは文脈の理解を前提とした安易な表象化を通してではないのである。
作品にまつわる情報の提供を最低限まで切り詰めること。そのことによって我々鑑賞者は、展示を不親切だと感じ、そのわかりにくさに戸惑うであろう。しかしその戸惑いこそが傷痕を浮かび上がらせる重要な役割を担っているのだ。作品が作品として自律しそうで自律しない、作品がいかにもいわくありげな佇まいをみせていながら、その意味は判然としない。ケネディからマクナマラに宛てられた手紙も、タイプされた文章は読めるがどのような事案を扱ったものなのかはやはり判然としない。つまり個々の作品、そして作品と作品の関係、作品と展示空間との関係、それらすべてが時に不明瞭な文脈めいたものを浮かび上がらせながら、意味の輪郭を描き出すことなく漂い続けるのである。表象と意味作用がひっつきそうでひっつかない、あるいは表象から意味が剥離してしまう寸前の状態がそこにある。物体/表象から意味がバラバラと剥がれ落ちていくさま。それこそがヴォーの芸術の根幹にあるのであって、剥がれ落ちていく意味がどのようなものなのかは、極論してしまえば、さして重要なことではない。
このような試みは、ポストモダン的な〈浮遊するシニフィアン〉や〈表象の戯れ〉と思われかねないが、ヴォーのレディメイドの操作がたんなる〈表象の戯れ〉と決定的に異なるのは、シニフィアンがシニフィエと完全に遊離することなど不可能であることを彼が自覚しており、逆にその遊離不可能な状態を傷痕として可視化しようとしているからである。
この展覧会のタイトルが「ヤン・ヴォーーォヴ・ンヤ」(実際には文字が反転している)となっていることに注意しなければならない。それは鏡文字のようでもあり、紙上の文字を裏側から透かし見ている(歴史=物語を裏側から見ている?)ようでもある。そこでは文字は文字としてありながら、意味作用とそこからの剥離とのあいだを行ったり来たり漂い続ける。会場のいくつかの場所に掛けられた《1861年2月2日》(2009〜)は、ベトナムに派遣されたフランス人宣教師が処刑される前夜に父親に送った手紙をもととした作品であるが、それをカリグラフィとして転写したヤンの父親フン・ヴォーはフランス語が読めない。つまり彼にとって(そして日本の多くの鑑賞者にとって?)この手紙に記された文字は、意味作用をなすことない〈線〉として眼前に立ち現れる。
ヤン・ヴォーはまた、展示会場ごとに作品の展示方法を変化させ、作品同士の組み合わせや空間との関係に細心の注意を払い、展示空間そのものにも時に操作を及ぼしてインスタレーションをつくり上げていくことでも知られている。今回の展示でも壁の一部が意図的に未完成のままであったり、あえて展示壁の〈仮設性〉を露呈させたりという操作が施されている。このような解体と再構成という操作は、彼の作品そのもののあり方(例えば、スーツケースの中に入るように解体された木製のキリスト像や、パーツごとに解体されたケネディ政権閣議室の椅子)から展示空間への介入まで様々なレベルで一貫して行われている。こうして、世界は解体され再構成される。だが、先にも述べたように、ヴォーは強者による歴史を、弱者によるオルタナティヴな歴史として語り直そうとしているのではない。それは、また別の物語の産出でしかないからだ。ヴォーが示しているのは、そのように解体され再構成された物体/表象/展示空間は、決して平滑な表面を持たず、そのザラついた表面に常に傷痕を晒すことになる、ということである。
ヴォーは今回の展示にあたってのインタヴューで日本の〈金継ぎ〉について語っている。金継ぎは、「割れてバラバラになったものを再びつなぎ合わせるが、割れた箇所を隠さずに明らかにしている」と。ヴォーにとって金継ぎは、剥がれ落ちそうな意味を物体/表象に再接着させるように、世界をつなぎ直す手段であり、歴史を紡ぎ直す装置であるが、つねにそこには割れてしまった傷痕が露呈し、その傷痕こそが黄金に輝いているのである。会場で実際に使用された金継ぎは、ラッキー・ストライクの紙箱の隅の破れた部分、ごく僅かなものであった。だがこのささやかな修復に気づいたときに、我々はヴォーの作品を通して傷だらけの世界を眼差すことになるであろう。