災害の記憶を「見る」ための地域型プロジェクト。副田一穂評「Cliff Edge Project」
伊豆市にて、同地の地質的特徴や歴史に向き合うプロジェクト「Cliff Edge Project 躍動する山河」が開催された。遺跡や神社など象徴的な場を舞台に展開されたこの展覧会を、愛知県美術館学芸員の副田一穂がレビューする。
測地術としてのランドアート
日本を西南部と東北部とに大きく分割している2つのプレートに対して、伊豆半島を載せたフィリピン海プレートは、いまもゆっくりと沈み込みながら北進を続けている。世界有数の地殻変動地帯にある日本列島のなかでもとりわけ複雑な地質活動を示し、ユネスコが認定する世界ジオパークのひとつでもあるこの伊豆半島を舞台に、Cliff Edge Project(以下、CEP)は2014年の「丹那の記憶」、15年の「半島の傷跡」、18年の「水のかたりべ」と、継続的に展覧会を開催してきた。
アーティストの住康平を中心に活動する同プロジェクトは、回を重ねるごとに半島内の異なる地域や施設に会場を移しながらも、薄れつつある地域の自然災害の記憶の継承に一貫して向き合ってきた。前回の「水のかたりべ」展は、天城山から半島を貫流して駿河湾に注ぐ狩野川の流域一帯に大水害をもたらした、1958(昭和33)年9月の狩野川台風を扱うものだった。この狩野川を遡っていくと、伊豆市中心部で大見川という大きな支川と合流する。今回の「躍動する山河」展は、その大見川中流域に位置する上白岩地区の、3つの会場に展開した。
上白岩地区もまた狩野川台風で被災したが、その後地区内の源泉を利用して1967(昭和42)年に温泉病院を誘致した。作家の清水玲は、両親がかつてこの病院に勤めていたこと、また母親がちょうどその頃自分を身籠っていたことを知り、自らのルーツと災害、そして災害をもたらした半島の地学的な要因についての語りをオーバーラップさせる映像インスタレーション(磯村拓也、伊藤允彦との連名)を、大見川を挟んで病院の対岸に位置する伊豆市資料館に展示した。
この地区の台風被害をより大きくしたのは、大見川上流域に厚く堆積した火山性の軽石質砂礫層の崩壊だが、これはおよそ3200年前、カワゴ平の火山噴火によって降り注いだものだ。大見川右岸の河岸段丘上に立地する上白岩遺跡は、この噴火時期を含む縄文時代中後期(3000〜4000年前)の基礎資料を多く出土し、いまも大規模な配石遺構を残している。この直径約12メートルほどの環状列石は、かつて祭祀の場であったとも考えられるが、その中心を占めていたはずの祈りの対象はすでに失われている。住らは、その不在の対象を指し示す立体作品(鈴木政希、千賀基央との連名)を遺跡内に点在させた。
また、画家の中澤美和はカワゴ平周辺で採取した炭化木を精製した顔料を用いて、中伊豆の景観を四曲一双の山水図として描き出す。この炭化木は、火砕流が周囲の木々を巻き込んでできたものだ。中澤の屏風作品は、高位段丘上にある鎮守の森として古くから地区住民の崇敬を集めてきた大宮神社境内の丁屋に飾られている(なお、筆者は未見だが、会期末には大宮神社と上白岩遺跡で松岡大による舞踏が披露され、伊豆市資料館には清水玲による壁面作品が常設されたことを付記しておく)。
これら3つの作品は、信仰の対象(神社)、祭祀の跡(配石遺構)、そしてそれらを文化遺産として歴史化するフラットな空間(資料館)という異なる性質を持つ複数の場を利用しながら、63年前の自然災害とおよそ3200年前の自然現象とを接続する。ともすればそれは、それぞれの場所を慰霊のためのモニュメントとして上書きする行為に見えなくもない。しかし、そもそも記憶や記録を永続的に語り継ぐために建立されたモニュメントやミュージアムでさえも、徐々に風化し寂れていくという身も蓋もない現実に立脚してきたのもまた、ほかならぬCEPのこれまでの活動だったはずだ。
だとすれば、本展の目論見はむしろ真逆を向いているのではないか。つまり、それぞれの場が持つ祈りや語りの機能を一時的に休止して、場自体を一種の「マーカー」につくり変えてしまうこと。空間上、あるいは時間上の特定の座標を示す機能を有したマーカーは、それ自体としてはモニュメントにはならない。CEPがこれまでの展示を通じて取り扱ってきたプレートの動きや火山活動、断層といった現象は、しばしば地球の深部で生じているため、私たちはそれを直接観測することができない。その代わりに、私たちは地表付近にマーカーを複数設置し、その相互の位置関係とその変化量を測ることで、様々な現象を「見る」のである。
マーカーとなるのは、人が設置したものばかりではない。中澤が画材に用いた炭化した木片は、そこに含まれる特定の炭素同位体の数を測定することで、炭化した時期を知ることができる(放射性炭素年代測定)。また、それによって噴火の時期がある程度限定できるカワゴ平由来の堆積物は、縄文式土器との層位関係を通じて遺物の年代推定に役立つ指標テフラにもなりうる。ものや場所に潜在するこのようなマーカーとしての機能を、作品を通じて賦活することで、CEPはものや場所の本来の機能や成り立ちを巨大な時間的・空間的スケールのなかで把握し直すことを可能にする。
眼前にありのままに広がる山河は、泰然として変化のない風景に見える。CEPにとって展覧会とは、このありのままの自然を知識の対象につくり変えていくための道具立てのひとつにすぎない。しかし、まさにその道具によって、私たちの足下で眠っているかのような、必ずしも馴染み深いとは限らない伊豆半島の大地が、いまもなお静かに躍動している様子をまざまざと「見る」ことができるのである。