心地よいデザインと暮らしのあり方とは。「フィン・ユールとデンマークの椅子」展の担当学芸員・小林明子が語る
美術館の学芸員(キュレーター)が、自身の手がけた展覧会について語る「Curator's Voice」。第10回は、デンマークのデザイナー、フィン・ユール(1912〜1989)を中心に、同国の家具デザインの歴史と変遷をたどる企画展「フィン・ユールとデンマークの椅子」(東京都美術館)を担当した小林明子(東京都美術館学芸員)が、本展開催の背景や見どころについて語る。
現在、東京都美術館(以下、都美術館)で開催中の「フィン・ユールとデンマークの椅子」は、デザイン先進国として知られるデンマークの家具デザインの歴史と変遷をたどるとともに、モダン家具黄金期を代表するデザイナーであり建築家のフィン・ユールに光をあて、椅子を中心にその生涯と仕事を紹介する展覧会である。デンマークといえば、居心地のよい空間や楽しい時間を意味する「ヒュッゲ」という言葉があることでも知られ、幸福度の高い国というイメージも定着している。この国で生まれた椅子を通して、心地よいデザインと暮らしのあり方を探る本展は、仕事も休みも「おうち時間」が推奨されるパンデミック下に図らずもぴったりな企画となった。
実際のところ、本展の企画が生まれたきっかけは、2010年から12年にかけて行われた都美術館の大規模改修工事にさかのぼる。この工事は、1975年に建設された前川國男設計による建物の躯体を残したまま、内部をリノベーションすることを主眼とするものだった。いっぽうで、特別展を開催する企画展示室は建て替えられ、また中央棟の増築により1階にあったレストランが階上に移動したため、空いた1階にそれ以前にはなかったスペースが生まれた。工期半ばの2011年の春、東日本大震災が発生した直後に筆者は都美術館の学芸員となり、最初の仕事として、まだ名前もついていない、役割も決まっていない新しいスペースをどのように活用し、どう設えるかを検討するチームに加わった。最終的にこの空間は「佐藤慶太郎記念 アートラウンジ」と名付けられ、美術館の生みの親である佐藤慶太郎の顕彰スペースと、美術に関する情報を検索できる端末などとともに、来場者が休憩するための椅子とテーブルが設置されることになった。
そこで、改修工事を手がけた前川建築設計事務所から提案されたのが、フィン・ユールやイプ・コフォード・ラーセンといったデンマークのデザイナーによる家具であった。初めて知るデザイナーたちの椅子がアートラウンジに設置されたとき、とりわけフィン・ユールの椅子は座り心地がよいことは言うまでもなく、アームや脚の繊細なつくりが美しい、そのエレガントなたたずまいは、床の幾何学的なタイル張りとも、屋外の木々や彫刻作品とも見事に調和しているようにみえた。空間を変える家具の力を目の当たりにしたこの体験が、それから数年後に本展を企画する原点となった。