10ヶ月で学ぶ現代アート 第10回:これからの「現代アート」はどうなる?──現代アートの「未来」
文化研究者であり、『現代美術史──欧米、日本、トランスナショナル』や『ポスト人新世の芸術』などの著書で知られる山本浩貴が、現代アートの「なぜ」を10ヶ月かけてわかりやすく解説する連載。最終回となる第10回は、現代アートの「未来」を考えます。
10ヶ月にわたって月1での連載を続けてきた「山本浩貴連載:10ヶ月で学ぶ現代アート」は、(ひとまず?)今回で終わりを迎えます。最終回となる本稿では、副題の通り、「現代アートの「未来」」について考えてみたいと思います。そうはいっても、ここで試みたいのは、「近い将来、このアーティストがブレイクするはず!」とか「数十年後、こういうテーマを扱った作品が増えているに違いない!」といった、具体的な出来事や現象についての「予言」や(もう少し「科学的な」言い方をすれば)「予測」ではありません。数年前から私たちが共存を余儀なくされてきた新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、未曽有の事態を前に、たとえ専門家であっても必ずしも正確な見通しを示すことができるわけではないことを再認識させました(しかし同時に、昨今では人類が少しずつウイルスとの共生の仕方を発見しつつあるように見えるコロナ禍の経験は、決して専門家が不要であるのではないことも私たちに教えます)。
では、「これからの「現代アート」はどうなる?」と題された本稿は、どのような目的で執筆されているのでしょうか。この原稿を書いている現時点は2023年5月初旬なのですが(今はGWに居住地の金沢から東京に向かう新幹線の中です)、今月末に東京大学東アジア藝文書院(EAA)での講義が予定されています。2019年に発足したEAAでは、主に同大学の学部前期課程の学生を対象に、毎年「30年後の世界へ」をテーマとするオムニバス形式の講義を開講しています。そこでは東京大学以外の大学や研究機関からも研究者や実践家が招聘され、半期にわたって哲学、人類学、経済学、物理学、工学などを含む分野横断的な講義が実施されます。いわゆる「文理」の別なく多彩な研究・実践領域を越境して議論が展開される挑戦的な場に「現代アート」を専門とする自身が招かれたことに素直に喜びを感じますし、この依頼は僕が「現代アートの「未来」」について思いを巡らす重要なきっかけを与えてくれました。
2021年以降、この講座での講義をまとめた記録が2冊の書籍として刊行されているのですが(『私たちはどのような世界を想像すべきか』『私たちは世界の「悪」にどう立ち向かうか』)、僕も自分の講義の準備のためにこれらの本に目を通してみました。いずれの講義も刺激的でしたが、やはり自身に近い隣接領域である文学研究の講義がとくに参考になりました。18世紀イギリス小説を専門とする武田将明(東京大学大学院総合文化研究科教授)は、彼の講義の序盤に「予測のつかない未来に向かって、(…)想像力をどのように働かせるべきなのか」という点が重要だと語っています(*1)。前回(「現代アート」はいかにして社会を変えるか?──現代アートの「可能性」)は、私たちの想像力の拡張にアートがどのような仕方で関わることができるのかについて、具体的な作家や作品を紹介しながら論じました。それに対して今回は、言語を通じて、これからのアートの在り方や役割を考える私たちの想像力そのものを拡張することを試みます。