櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:トーストは振り返らない

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第30回は、トーストの上に様々なアートを再現する藤本あづさを紹介する。

文=櫛野展正

藤本あづさのトーストアート。これはクリムトの《接吻》を再現している。
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 2018年には、世界の月間アクティブユーザーが10億人を突破したソーシャルメディアのひとつInstagram(インスタグラム)。日本での普及が始まった16年頃には、「インスタ映え」という言葉に象徴されるように写真映りの良い画像が求められる傾向にあったが、近年では30代以上のユーザーも増加したことで、飾らない投稿も多く見られるようになっている。「ストーリー」と呼ばれる数十秒の動画は1日に5億本以上投稿されており、膨大な数の動画や画像が、誰かの目に留まる機会を伺って、タイムラインの海をさまよっている。

 そんなインスタグラムの世界で、気になる写真に目が留まった。食パンの上にジャムなどを使って絵を描いていく、いわゆる「トーストアート」なのだが、一般的に知られているようなポップで可愛いらしいものではない。楳図かずおの漫画『漂流教室』やホラー映画『チャイルド・プレイ』のチャッキーから、バンクシーの《Game Changer》を題材にした作品まで、作者の趣味が多様に反映されたものが多く、「つくりたいものをつくっている」という感じが画面からにじみ出ていた。作者は「zahrada123」というハンドルネームを持つ兵庫県在住の女性だ。

バンクシーの《Game Changer》もトーストに表現

 「『Zahrada(ザハラダ)』 っていうのは、大好きなシュヴァクマイエルの映画タイトルから取ったんです。123は、本名が『あづさ』なので」

 藤本あづささんは、1975年に2人姉妹の長女として大阪で生まれた。小さい頃から絵を描くことが好きで、図工や美術が得意な子供だった。父の転勤で小学校高学年のときに兵庫県へ転居。漠然と「なにか美術関係の仕事に就ければ」と考えていたものの、「頭が悪いので勉強してどこかへ行くという思いはなかったんです」と語る。

 「短大はメディア学科を受験したんですが、不合格でした。でも、そこのデザイン学科の教授から『こっちだったら入れるけど、どう?』って電話が掛かってきたんです。こんなことってあります?そのとき、デザイン学科が定員割れしてたみたいで」。

フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》。フェルメールブルーも鮮やかだ

 卒業後はアパレル関係の販売員として働いたのち、2003年に5歳年上の夫と結婚し、2人の子供を授かった。「ごく普通の人生を歩んできた」という彼女に転機が訪れたのは、2017年5月のこと。インスタグラムのタイムラインにおすすめとして表示されたなかに、偶然トーストアートの写真を見つけた。調べていくうちに、「クリームチーズをパンの上にぬって、ジャムを載せてやるんだなというのがわかったから、これならできるかも」と思い立ち、トーストの上に、家にあったクリームチーズとアップルジャム、チョコペンを使って、フラミンゴを描いた。それをインスタグラムへ投稿したところ、700件を超える「いいね」がついたそうだ。

 「トーストアートといえば、当時は、食べ物を題材にしたものばかりが投稿されていたんで、珍しかったみたいですね。そのとき、下の子が幼稚園に行っていたので週に3回お弁当をつくってて、それまでインスタには『キャラ弁』ばかり載せてたんですけど、あのトーストアートが好評で、1週間後にテレビ局から取材が来たんです」。

 最初は、「いいね」を多くもらえるような作品を意識してつくっていたものの、同年5月末に深海魚の「リュウグウノツカイ」をモチーフに制作した頃から、自分が本当に「つくりたい」と思えるものをつくるようになったという。「昔から可愛いものには興味がなくって、かっこいいものや変わったものでやっていきたい」とわずか2週間足らずで、大衆受けする表現から自分が望む表現へと大きく舵を切ったことに、驚かされる。

 「手先が器用というわけではないんですが、昔からネイルなども、『やりたい』と思い立って挑戦してみると、できることが多かったんです。まず、携帯電話から描きたい画像を探したあと、その上にトレーシングペーパーを載せて、油性ペンで下絵を描いて、カッターで切り抜いたあと、爪楊枝でなぞってガイドを付けていくんです」。

尾形光琳《紅白梅図屏風》(右隻)。水文はチョコペンで再現した

 彼女によると、既存のジャムで表現できない青や緑などの色は、はちみつに色素を混ぜて生み出しているという。そして、爪楊枝は、先端の角度が異なるものをカッターで削って何種類か常備しているようだ。専門的な道具を使用するのではなく、身の回りにある材料で工夫して制作することが、素人である彼女のポリシーになっている。

 「道具や材料を提供してもらえば、そりゃ良いもんはできますよ。そうじゃなくて、家のなかにあるもので素人の私がどこまでできるかってことが重要かなと思ってます」。

 食パンの上に乗せるクリームチーズが固形のため、まず食パンに焼き目をつけておかないと表面が凹んでしまう。だから、最初に食パンを焼く必要があるのだが、食パンを食べる習慣がないため、家にはトースターがない。その代わりに魚焼きグリルで焼き加減を見ながら、パンを焼いていく。モチーフによって、焼き加減を調整しているが、使う食パンはヤマザキの「ロイヤルブレッド5枚切り」と決めている。味云々よりも、きめが細かく食パンの形が四角いため、下地として最適なようだ。

歌川国芳の「みかけハこハゐがとんだいい人だ」をモチーフに

 クリームチーズは、夏場は、すぐに柔らかくなるし冬場はすぐにパリパリになるため、毎日制作することは難しい。何より、自分がつくりたいときに制作しているため、2年前は5個ほどしかつくっていない。投稿のモチーフには、彼女の趣味が大いに反映されているが、例外的に志村けんやバンクシーなど世相を繁栄したテーマを選ぶこともあるようだ。当然のことながら、作品を保管することはできないから、夫に最終チェックしてもらい写真を撮ったあとは、美味しく頂いている。これまで沢山の作品を制作してきたが、ボツにした作品は2つ程しかないと言う。

クリームチーズでつくられた《サモトラケのニケ》

 「そろそろネタが尽きているし、飽き性だから今後も続けていけるかどうかわかりません。有名になりたいわけじゃなくて、『頭にあるものをかたちにしたい』という欲求が強くって、『上手くできたから、みんな見てよ』という感じなんです」。

 インスタグラムは、写真を使って魅力を伝えるには最適なプラットフォームであることは間違いない。彼女の作品を見ると、自分でもなにかに挑戦してみようと思う人も多いかも知れない。誰もが気軽に写真を投稿することができ、一人ひとりが国民総クリエイターとなっている時代だが、逆に言えばフォロワーを増やすための、他者目線を意識した投稿が多くなっていることも事実だろう。ツイッターは、著名人が不倫などの問題を起こした際は、誰が一番上手く斬ることができるかという大喜利ゲームのようになっているし、インスタグラムにおいても投稿頻度や写真の色合いや角度などを、誰もが研究し続けている。そうした場所から距離を置くことが、どれほど大変なことか僕は知っている。

 「自分の思いをかたちにしたい」というのは、芸術の原初的な動機だが、その反面、それを社会へ発表する際は、様々な他者の目線が突き刺さる。多くの人は、社会に迎合しようとすることが多いが、藤本さんは、スポットライトを浴びる場所があるのに、あえてそこから遠ざかろうとしている。最近では、トーストアートだけでなく、おにぎりなど別の素材へも挑戦している。人とは違う方に走り続ける彼女の表現は、まだ枯渇していないようだ。僕はできる限り伴走して見たいと思うけれど、もはや、そうした僕の声すら彼女には届いていないのかも知れない。

 「『次はこれをつくってください』というリクエストが、見ず知らずの人からたくさん届くんです。まず『自分でやってから、言え』と言いたいですね」と笑う。