櫛野展正連載15:アウトサイドの隣人たち 熱中シマナイチャー
ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載の第15回は、沖縄そば屋で絶叫マシーンをつくり続ける、仲宗根宗順を紹介する。
沖縄本島のほぼ中央部、西海岸に位置する人気のリゾート地・恩納村(おんなそん)。水平線を一望できる海岸沿いには大規模なリゾートホテルが立ち並び、県外から毎年多くの観光客が訪れている。マリンスポーツの充実したこの地域で、一風変わったアクティビティを楽しめる場所がある。それが、今回紹介する沖縄そば屋「山田水車屋」だ。
この店は、そばとは関係ない絶叫マシーンで有名になり、これまで数多くのテレビ番組などで取り上げられてきた。敷地内の手づくり小屋のなかでは、ウサギが飼育・販売され、小石を飛ばして遊ぶ手製のパチンコ玩具が置かれている。「てびちそば」の看板がなければ、ここが沖縄そば屋であることを理解するのは困難かもしれない。
入口にある大きな木製の水車を眺めていると「これも俺がつくったのさ」と声をかけてくる男性の姿が。彼こそが、この店のオーナー・仲宗根宗順(なかそね・そうじゅん)さんだ。仲宗根さんの案内で、名物「水車そば」を注文。ホロホロに煮込まれた軟骨の浮かぶ沖縄そばは、とても美味しい。仲宗根さんは手づくりの椅子に腰をかけ、その半生を教えてくれた。
1945年に4人兄弟の3番目として沖縄本島で生まれた仲宗根さんは、中学卒業後、鉄工関係の仕事に就いた。その16年後の32歳のときに、浦添市で沖縄そば屋「里屋亭」を開業し、30年間経営した。軟骨と卵焼きが入った「里屋そば」が名物だった。インターネット上にはかろうじて当時の里屋亭の店内画像が残っており、テーブルに設置されたSLの玩具がそばを運んでくるなど、その斬新な仕掛けは話題を呼んでいたようだ。
「お金に恵まれんでよ、沖縄そば屋やったら儲かるんじゃないかな」との言葉通り、バブルの時期だったこともあり店はとても繁盛した。仲宗根さんは、儲けた資金を元手に300万円で山を購入。その場所で10年前から始めたのが、「山田水車屋」というわけだ。「ここに来たのは運命。まぁ、なりゆきだな。忙しすぎて首を吊る人もいるぐらいだからね。あまり忙しいのも大変だし、田舎でのんびり暮らそうと思ってね。」とつぶやく。
転機となったのは、廃品業者から「不要な電柱を2本、1万円で買ってくれんか」と声をかけられたことだ。購入後、借りてきたクレーン車で地中に埋め込み、大規模な「バンジーブランコ」を1年がかりで制作。3年前に完成した。
総工費は、約60万円。設計図も描かずに造作し、自らカラフルな装飾を施した。細いワイヤーで高さ11メートルの電柱から吊るされているのは、車のシートを剥ぎ取ってつくった特製ブランコだ。席の前には最近の自撮りブームに迎合して、手づくりのスマホ・ホルダーまである。
ヘルメットを装着して安全ベルトを腰に巻いたら、準備完了。仲宗根さんの操作で電動ウインチがブランコを3メートルの高さまで巻き上げる。合図とともに乗客が自らストッパーをはずすと、ブランコが超スピードで振り子のように落下する、という手づくり感満載の仕掛けだ。勢いがついたブランコの目の前は崖になっており、それがいっそう恐怖を引き立たせる。以前は、机に乗って沖縄そばを食べるアトラクションもあったが、いつの間にか中止になった。
柱に取り付けたサーフボードは、メニュー表がわりになっている。「乗りながらそばを食べたら、ご飯の『はん』で『ハンジー』。この場合は、ブランコはあまり高く上げない。『バンジー』はいちばん高いところまで上がって、『トルネード』は回りながら降りてくる。『橋からバンジー』ってのは、やる人いないはずよ。だって、ダムのところで足をくくって飛び降りるわけだから」と無邪気に笑う。
若い頃に従事した鉄工関係の仕事が、仲宗根さんの創作に役立っていることは確かだ。彼は次々とアトラクションを思いついてはつくり変えている。過去には、「逆さ吊り」というアトラクションも制作した。「バンジーと同じ時期につくったのよ。身長が2センチは伸びるよ。クレーンで足首を3分間吊り下げたんだけど、みんな我慢できなくなってやる人いなくなったから、やめたのよ」と笑って語る。
そんな仲宗根さんの新作が、「アドベンチャーつるべ」だ。2つのカゴを用いた、片方が落ちれば片方が上昇する「つるべ落とし」の仕掛けを活用したアクティビティだ。「崖を何かに利用できないかなと思ってね。考え始めたら最後までやらんと途中でほっぽり出したら困るからよ」と1年がかりで制作した。
金物屋で買ってきた鉄パイプと、「宣伝に使えるから」と無償で集めていたビールの瓶ケースを階段に利用した。「合図したら、右側のグリップを握ってくれ」と言い残して、仲宗根さんは50メートル先の階段を上っていく。頂上で片方のカゴに設置された椅子に座った仲宗根さんが手を挙げたのに合わせてグリップを握ると、ストッパーが外れて重りのついた手前のカゴが上昇。反対側からは、カゴに乗った仲宗根さんが勢いよく降りてきた。よく見ると、鉄パイプひとつひとつは「溶接すると錆びてくるし解体しやすいように」とクリップのようなもので挟んであるだけだ。
「僕の体重は75キロで、反対側の重りは30キロあるわけよ。乗客の体重に合わせて、重りを変えてスピード調整してるのよ。鉄パイプに黄色の蓋がついてるでしょ。最初はそれがなかったから2回くらい落ちたときに、そこで強打してよ。お陰で腕がよく上がるようになって健康になったよ」。仲宗根さんは明るく振舞っているが、作業に危険はつきものだ。昨年6月にはハシゴから落ちて骨折し「くも膜下出血」となり、1ヶ月の入院生活を送った。そのため現在は、沖縄そば屋の業務はほかの人に任せ、仲宗根さんはアトラクションだけを担当している。
「僕には嫁も子供もいて、こんなことをするのは、みんな反対。でも、僕は死ぬまでやるはずだからよ、適当なうちに死なないといけないな。あんたから見たら馬鹿みたいでしょ。本当に馬鹿なことしてるけどよ、やめられないんだよ」。仲宗根さんの突飛で多彩な表現行為は、ともすると「馬鹿なこと」に見えるかもしれない。僕は、それでもやり続けることに仲宗根さんの確固たる信念を感じるし、そのなかにこそ、表現の本質がある気がしてならない。そして、こうも思う。彼のようにいつまでも夢中になれる「馬鹿なこと」が、果たして僕らにはあるのだろうか。