櫛野展正連載19:アウトサイドの隣人たち 牛乳パックおじさん
ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載の第18回は、千葉県佐倉市で牛乳パックの帽子などをつくり続ける椿八郎を紹介する。
ある日、Twitterのタイムラインに、牛乳パックでできた野球帽を被ったおじさんの写真が流れてきた。その姿に一気に魅了された僕は、ツイートの投稿者であるホラー漫画家・稲垣みさお先生と一緒に、その人が住む千葉県佐倉市を訪ねた。
庭には牛乳パックなどで改良された子供用の車やポンプを押すと水圧で水が吹き出す仕掛けの竹のオモチャもある。インターホンを押し、中から現れたのが作者の椿八郎さんだ。まず、普段から自作の帽子を被っていることにとても驚いた。しかもお話をうかがうと、TPOに応じて被る帽子を変えているらしい。さらに、帽子には通気性を確保するための小さな穴まで空いている。「いろんな人に話しかけられるけど、そんなこと気にしてたらさ、とっくにやめてるよ」。そう話す椿さんの粋な語り口に、僕の興味は止まらなくなった。
椿さんは、1941年に千葉県香取郡神崎町で——「八郎」という名の通り——8人兄弟の末っ子として生まれた。小さい頃からモノづくりが好きで、竹やぶで竹を採ってきては見よう見まねでオモチャを制作していたそうだ。ただ、「頭も悪けりゃ目も悪い」と自ら揶揄するように、生まれつき視力が弱かった。小さい頃の視力は0.6。現在は0.08にまで下がっており、遠くのものは霞んで見え、新聞の字は注視して、やっと読めるくらいの状態だ。病院には何度も通ったが「手術をしても回復は見込めない」と告げられた。そのため、「パソコンもしないし時計もはめない。携帯電話も持っていないし、テレビもほとんど見ない」と語る。なかでも支障をきたしたのは、運転免許が取れないことだった。
高校を卒業した椿さんは、練馬にあった建築材料を扱う小さな問屋に就職。「押入れの中で寝て、一番最後に風呂に入る」という7年間の住み込みの暮らしを続け、職人相手に早朝から深夜までがむしゃらに働いた。「僕の仕事が慣れてくると、職人さんが図面を持ってきて『図面の部品をチェックして箱に入れとけ』って言うんですよ。それで物が1個でも足んなかったら『すぐ持ってこい、仕事になんねぇじゃねぇか』って。だから無免許運転で駆けつけましたよ。パトカーに追っかけられたときは怖かったね」と当時を振り返る。
運転免許のない椿さんがこの仕事には向いていないことを痛感し始めたとき、配達先で偶然「資材部募集」という求人広告を目にした。それで転職したのが、計測器の大手メーカーであるタニタだった。「工場に行ったら、売れない体重計が山ほど置いてあってさ、全国を飛び回りましたよ」と60歳の定年まで働いた。
そんな椿さんが、現在のような制作を始めたのは、43歳のとき。息子と一緒に入会したボーイスカウトで、子供たちのために、牛乳パックで船をつくって池に浮かべたことがきっかけだった。その後、1995年にボーイスカウトのリサイクル運動の一環として牛乳パックの回収を始めた頃、集めた牛乳パックで何かつくれないかと模索するなか、牛乳パックでの帽子制作を思い付いた。
自ら被っていた帽子を解体し、研究を重ねるうちに、街の広報紙に掲載されたり、各地でワークショップを開催したりと、佐倉市では誰もが知る存在になっていった。会社の研修旅行でオーストラリアへ行った際は、現地でワークショップを行ったこともあるそうだ。
これまで制作した作品は300点を超える。「こんなのもあります」と見せてくれたのは、ドラえもんの牛乳パックで制作した帽子だ。電池で回るタケコプターまで付いていて、改良型はツバの部分についているソーラーパネルで可動する仕掛けになっている。
「足の踏み場もないから」と嫌がる椿さんに無理を言って、リビングに上がらせてもらうと、たくさんの「帽子」が、まるで祭壇のように陳列されていた。なかでも大切にしているのは、キティちゃんの牛乳パックでつくられた麦わら帽子だ。当時、違うデザインのものが何種類か発売されたため、その度に麦わら帽子をつくったそうだ。とくに苦労したのは、帽子の淵を湾曲してエッジを表現した点。これを思いつくまでに4〜5年かかったという。
「1985年ごろ、新宿の段ボールハウスにいたお爺さんが足が悪くて仕事につけないからという理由で、拾った空き缶を灰皿にして50円で売ってた。それを応用したのが、この麦わら帽子なんです」と教えてくれた。この灰皿をお手本に、空き缶がどうやったら12等分に切れるか試行錯誤した結果、キリン「氷結」の缶入りチューハイに等分できるようなマス目が入っていることに気づいた。「缶が必要で、たくさん飲むようになって、それから『氷結』が好きになったのよ」と笑う。
部屋を見渡すと、途中で切り離すことのできる二段式の大きな手作りロケットはあるし、天井を見上げると自作の凧がたなびいている。立派な鎧が置いてあると思ったら、それも厚紙と段ボールでつくられたものだった。傘の骨組みに取り付けられた牛乳パックの風車は、風を受けて一斉に回る仕掛けとなっている。
「欲しがる人は多いけど、あげたらモノの有り難さが伝わらないから」と椿さんは共同制作を推奨している。話の途中で気づいたのだが、牛乳パックに紙を貼って隠したような作品はひとつもない。意図的につくり方がわかるようにすることで、僕たちにモノづくりのヒントと楽しさを与えている。だから、苦労して開発した牛乳パックの帽子や兜などの図案は、雪印メグミルクのウェブサイトにも惜しみなく掲載を許可しているし、普段から牛乳パックの帽子を被って歩いているわけだ。
日々、牛乳を飲んだり缶詰を食べたりと、生活の中心にモノづくりを据えている椿さん。こうした地域を活性化させる取り組みこそが、本当の意味での「地域アート」だろう。「輪ゴムで4つのプロペラを回して、手を離すと上がって行って横に動くようにするにはね......」と、今度は手製ドローンをつくろうと企んでいる椿さん。そのモノづくりは、まだまだ続きそうだ。