2020年10月25日、石川県金沢市に東京国立近代美術館工芸館が、国立工芸館という通称を新たに携え移転開館した。その名が表す通り、工芸を専門とする唯一の国立美術館だ。現在、開館の第一弾を飾る展覧会「工の芸術—素材・わざ・風土」が開催されている(2021年1月11日まで)。
東京から工芸のまち、金沢へ
日本海側初の国立美術館として開館した国立工芸館が位置するのは「兼六園周辺文化の森」と呼ばれている、藩政期から現代までの歴史的建造物や文化施設が密集するエリア。江戸時代の代表的な大名庭園・兼六園を歩き、明治期に作られた建物を博物館にした、いしかわ赤レンガミュージアム(石川県立歴史博物館、加賀本多博物館)に立ち寄り、SANAAの設計した金沢21世紀美術館や谷口吉生が手掛けた鈴木大拙館をめぐれば、わずかな時間で金沢の数百年の歴史と文化の移り変わりを一挙に把握することができる。
金沢は加賀藩前田家の文化政策により、江戸時代から工芸の文化が発達している都市だ。それゆえに伝統工芸品を扱うギャラリーやショップも多く、ものづくりが人々にとって非常に身近な位置にある。
そんな土地に移転した国立工芸館は、建物の雰囲気もあいまって、開館したばかりなのにもかかわらず、すでに土地に馴染んでいるようだ。
東京時代の工芸館が旧陸軍施設の近衛師団司令部庁舎であったように、金沢の国立工芸館も旧陸軍ゆかりの建物を利活用したものだ。横にならぶように移設された2棟は、向かって左の第九師団司令部庁舎は展示棟として、右の金沢偕行社は管理棟と多目的室としてそれぞれ新しく生まれ変わった。
ちなみに偕行社とは、陸軍将校の親睦および学術研究を目的とする団体。建物は主に将校たちの社交場として利用されていた。そのためか司令部庁舎よりも、外観がいささか華やかな雰囲気を帯びているのも特徴だ。
歴史を活かしつつ、新しい挑戦も
2棟の間には渡り廊下が設置され、その廊下の中央が国立工芸館のエントランスとなる。建物に入り、入館者の目にまず飛び込むのは、正面中庭に設置された金子潤による高さ3メートルを超える陶の作品《Untitled(13-09-04)》(2013)。
私達の日常生活において、陶器は慣れ親しんだアイテムのひとつだ。しかし、目の前にある作品は、その陶器から「うつわ」の機能が取り払われたものでしかないのに、途端に難解な存在に見えてきてしまうのが、私達に工芸とはなにかを考えさせるシンボリックな存在だ。
エントランスを進み館内へ入る。旧陸軍第九師団司令部だったころの面影が残る階段室は、東京の工芸館を訪れたことがある人は懐かしさを感じる空間だ。
そして、階段を上りきったら、一度立ち止まり窓から外を眺めてみてほしい。窓の外には、かつて、東京の工芸館の建物の前に展示してあった橋本真之《果樹園─果実の中の木もれ陽、木もれ陽の中の果実》が、金沢の地にやってきているからだ。
野外作品が場所を変えて展示されることは、非常に珍しいこと。場所によって作品の見え方がどのように変化するかを、実感してみよう。
新しい展示コーナーも増えている。「芽の部屋」では、作家のアイデアスケッチや図案などの資料が展示される予定。現在は、開館記念事業として、2020年に行われたクラウドファンディングで資金を調達して購入した若手作家の作品を展示している。
また、金沢市出身で、重要無形文化財保持者(人間国宝)の漆芸家、松田権六(1896〜1986)の工房を東京都から移築・復元し、作家の制作道具や関連資料、記録映像を展示している。
そして、展示室へ。竹橋と比べると面積が1割ほど増えたという展示室は、作品ごとの照度の調節ができる照明が導入され、展示環境は格段にグレードアップしているという。
よりすぐりの名品が揃う開館記念展
国立工芸館の石川移転開館記念展第一弾は「工の芸術―素材・わざ・風土」と題された、コレクション約3900点からよりすぐりの約130点を展示する、いわば自己紹介的な展覧会だ。
本展を担当する国立工芸館主任研究員の花井久穂は、「工芸家がどのように素材と対峙し、自然をとらえてきたのか。そして、土地とものとの関係をどのように構築していったのかを見ていってほしい」と語る。
展覧会は3章で構成される。第1章の「素材とわざの因数分解」では、工芸作品の名付けに着目することで、作品の魅力を追求していくというもの。
例えば、富本憲吉の《色絵染付菱小格子文長手箱》。その題名は初見の人には漢字の羅列にしか見えないが、漢字を丁寧に分解していくと、作品に使われている技法(色絵・染付)や、柄(菱・格子)、形(長・長方形のこと)、用途(手箱・化粧道具や小道具を入れるための箱)がシンプルに並べられているだけだということがわかる。
板谷波山の《氷華彩磁唐花文花瓶》も、技法や素材が題名からわかることが多い。「氷華磁」とは波山による命名で、青白磁をベースにしたものだが、本作では釉薬の中に細かな結晶を生じさせている。それだけでも非常に美しく見える技法であるが、板谷は、「彩磁」という釉の下に鮮やかな発色の絵付を施す技法により唐花文様に豊かなグラデーションを与えた。そのため、「氷華彩磁」の「唐花文」の「花瓶」となり、《氷華彩磁唐花文花瓶》と名付けられたのだ。
このような工芸作品の名付けのルールや仕組みを把握したうえで作品を見ていくと、工芸作家がどこに力を注いでいたのか、人となりもおぼろげながら見えてくる。
第2章は「『自然』のイメージを更新する」。美術のみならず、工芸の世界でも自然は大切なイメージソースのひとつだ。ただ、その受け止め方は時代によって大きく変わってくる。鈴木長吉の《十二の鷹》(部分)のような超絶技巧の作品から、テクノロジーを駆使した現代の作品まで、同じように自然をとらえていても、その作品のあり方は大きく異なってくる。
つくり手は自然をどのようにとらえ、どのように作品に反映させてきたのか。その点に注目すると、工芸作品はより魅力的に見えてくる。
そして第3章の「風土─場所ともの」だ。東京時代はあまり触れてこなかった土地と人との関係を扱う。
富本憲吉は色絵の技術を学ぶために1936年頃、約半年間九谷に滞在。九谷で活動する陶芸家、北出塔次郎の窯元で九谷の色絵付けを研究した。富本は九谷で学んだ技術をもとに更に作風を広げ、富本を受け入れた北出も刺激を受け、作風を変化させる。
その土地固有の文化に新しい風が吹きこまれ、さらに新しい文化に発展する過程が、沖縄から北陸(石川)まで展示されているが、現在も日本のどこかで同様に土地と人とが作用をしあい、工芸の新しいかたちとして更新されているのだろう。
金沢の地から日本の工芸の素晴らしさを発信しはじめた国立工芸館。今後、金沢のみならず日本全体の工芸、そして美術の世界を変えていく存在となるだろう。ぜひ一度、足を運んでみてほしい。