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ヴァナキュラー

vernacular

「ヴァナキュラー(vernacular)」という言葉は、直訳すると「土着の」「その土地固有の」「日常的な話し言葉の」などといった意味を持つ。もともとは一般的な形容詞だったこの言葉が、とりわけ芸術分野で特殊化されて用いられるようになったきっかけは建築にあった。建築家・エッセイストのバーナード・ルドフスキーが、同名の展覧会をもとにした著作『建築家なしの建築』(1964)で用いたのがその最初期の使用例とされており、そこではアジアやアフリカやオセアニアにおける「建築家なしの」土着的な建築が数多く紹介されていた。類似したカテゴリーに「フォーク」や「ネイティヴ」などがあるが、とりわけ「ヴァナキュラー」という語が特殊化されるのは「話し言葉の」というニュアンスにおいてである。すなわち、ヴァナキュラー建築には「書き言葉」にあたる設計図などは存在せず、幾世代にもわたる経験の蓄積が口承で伝えられてきたという特徴を有しているのだ。

 そのいっぽうで、文化人類学者の今福龍太は、ヴァナキュラーを「ある地域やあるひとびとやある時代に散見されるが、しかし、伝統や規範の本質性や純粋性、地域的完結性からつねにずれて移動していくような、文化的特質や営為の方向性をとらえるための概念(*)」であるとし、その定義は特定の「質」ではなく「方向性」においてなされるとした。また近年では、写真史家のジェフリー・バッチェンがこの概念を写真論において展開すべく、芸術作品でもなければ最新の写真でもない「語り損なわれる」可能性に満ちた有象無象の写真実践を語るに際して、この概念を援用している。その背景には、「作家論」や「技術論」に終始しがちだった従来の写真論に対して、そのどちらでもなく、また特定の「質」からは語ることのできない多様な写真をとらえようとする意図があった。

 こうした議論が建築や写真の領域で活発化したことの素地には、建築や写真における「最新の」実践が、技術史ないしは作家論に偏重して語られてきたいっぽうで、その周囲には最新の技術にも作家の神秘性にも還元できない、前時代的で匿名的な実践が圧倒的多数派として存在していたという条件があったと指摘できる。したがってヴァナキュラーという概念は、こうした条件を共有する領域においては、今後も広く応用されうる可能性を有している。

文=原田裕規

脚注
*──今福龍太『クレオール主義』(青土社、1991、158頁)