EXHIBITIONS
琳派展 24 抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―
細見美術館で「琳派展 24 抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」が開催される。
江戸琳派を確立した酒井抱一(1761〜1828)は、姫路酒井家の一員として江戸の大名屋敷で育った。20代の頃には肉筆浮世絵美人画を描き、狂歌に親しむなど気ままな青年時代を過ごすが、37歳で出家して大名家の身分を離れる。50歳を目前にした1809年の師走、身請けした吉原の遊女とともに移り住んだのが下谷根岸の庵だった。
終の棲家となるこの庵は8年後17年に「雨華庵」の額を掲げ、以降「雨華庵」と称された。「雨華庵」は抱一が多数の晩年作を描いた場所であり、その没後は抱一を慕う門下の絵師たちの拠りどころとなった。
本展は「雨華庵」ゆかりの絵師たちを多角的に蒐集したうげやんコレクションの協力を得て開催される江戸琳派の競演だ。同コレクションの江戸琳派作品には稀少な作例も多く、これに細見コレクションから「雨華庵」に纏わる作品を加え展覧する。
江戸琳派を確立した酒井抱一(1761〜1828)は、姫路酒井家の一員として江戸の大名屋敷で育った。20代の頃には肉筆浮世絵美人画を描き、狂歌に親しむなど気ままな青年時代を過ごすが、37歳で出家して大名家の身分を離れる。50歳を目前にした1809年の師走、身請けした吉原の遊女とともに移り住んだのが下谷根岸の庵だった。
終の棲家となるこの庵は8年後17年に「雨華庵」の額を掲げ、以降「雨華庵」と称された。「雨華庵」は抱一が多数の晩年作を描いた場所であり、その没後は抱一を慕う門下の絵師たちの拠りどころとなった。
本展は「雨華庵」ゆかりの絵師たちを多角的に蒐集したうげやんコレクションの協力を得て開催される江戸琳派の競演だ。同コレクションの江戸琳派作品には稀少な作例も多く、これに細見コレクションから「雨華庵」に纏わる作品を加え展覧する。