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2024.10.24

「オタケ・インパクト ―越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」(泉屋博古館東京)開幕レポート。風雲児・尾竹三兄弟の東京初の展覧会にみる近代日本画の光と影

明治から昭和にかけて、さまざまな展覧会で活躍した日本画家の三兄弟で、「展覧会芸術の申し子」とまで称された「尾竹三兄弟」の東京で初めての展覧会「オタケ・インパクト ―越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」が泉屋博古館東京で開幕した。会期は12月5日まで。

文・撮影=坂本裕子

会場展示風景より
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知られざる尾竹三兄弟

 明治時代、芸術も国家主導で近代化が図られる。文部省美術展覧会(文展)をはじめ、様々な展覧会が開催されるなか、日本画壇で活躍したのが、越堂(えつどう、1868~1931)、竹坡(ちくは、1878~1936)、国観(こっかん、1880~1945)の「尾竹三兄弟」だ。仲の良かった3人は切磋琢磨するライバルとして、各々の絵を追求し、展覧会で入選を重ねていく。1912年(大正元年)の文展では三兄弟揃っての入選を果たし、「尾竹三兄弟」として名声を博した。

会場展示から 尾竹三兄弟(上から越堂、竹坡、国観)新潟県立近代美術館・万代島美術館

 しかし1908年(明治41年)に、国画玉成会の審査員をめぐり竹坡が岡倉覚三(天心)と衝突、1913(大正2年)の文展では三兄弟同時落選を経験する。竹坡は美術行政制度の改革を謳い衆議院議員の総選挙に立候補するも落選し、「先に文展に祝福され、後に文展に呪詛されて居る気の毒なる作家」と称された。その後は門下生たちと画塾展などを開催し、新しい表現の日本画を次々と発表して画壇に衝撃を与えるが、型破りな言動がたびたび物議を醸し、いつしか画壇の周縁へと追いやられ、歴史の記述から消えていった。

会場展示風景より

 この知られざる三兄弟の作品の革新性と魅力を紹介する展覧会「オタケ・インパクト ―越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」が泉屋博古館東京で始まった。東京初の大回顧展には代表作のほか、東京での初公開や本展準備中に発見された作品、そして未公開資料も多数集結。岡倉との衝突で展覧会から撤去された幻の作品《絵踏》も修復されて初公開となる。そのインパクトは、現代でも強烈で日本画の概念を広げてくれると同時に、「展覧会制度」の光と影に翻弄された画家の姿も浮き彫りにする。

 展覧会は編年の4章に特集展示の5セクションで構成。各章のタイトルは、三兄弟にまつわる言葉を引いているので、その意味とともに作品を追いたい。なお、展覧会出展作を中心とした大作が多く、前後期で大幅な展示替えとなるので留意してほしい。

会場展示風景より

第1章 「タツキの為めの仕事に専念したのです」 ―はじまりは応用美術

 兄弟は新潟の紺屋(こうや・染物屋)に生まれた。父も文筆や絵を嗜む人物で、文化的環境に恵まれていたようだ。長男は幼くして上京し四代歌川国政に学び、下のふたりは、尾竹家に食客として滞在していた南画家・笹田雲石に学び、画号も与えられている。

第1章展示風景より

 その後、越堂が富山に移り、後に竹坡と国観も合流して、最盛期だった売薬の付録版画の下絵や新聞挿絵などを手がけて傾いた家業を助ける。国観が述懐するように、「生活の手段(タツキ)のため」に描いていた彼らは、注文主の意向に応じ、目的に的確に対応する能力を身に着け、それは後の創作の豊かな素地となる。

 対角線を効果的に使用する越堂の初期の売薬版画や、4歳と2歳から雲石に学んだという竹坡・国観の早熟の才を作品に確認しよう。

第1章展示風景より、左から尾竹竹坡 《飛鳥桜》(20世紀、明治時代後期)雪梁舎美術館寄託、《渡船場》(1902、明治35年頃)個人 ※ともに前期展示
第1章展示風景より、三兄弟による売薬版画。このほか子ども向けの雑誌などの挿絵や双六なども展示されている *展示替えあり

第2章 「文展は広告場」 ―展覧会という乗り物にのって

 画家になるべく上京した竹坡と国観は、それぞれ円山派の川端玉章、歴史画の小堀鞆音(ともと)に入門、次々と展覧会に入選して頭角を現す。刺激を受けた兄・越堂も追って43歳で文展デビュー、1912年(大正元年)には3人揃っての文展入選を果たし、竹坡の言のごとく展覧会制度を最大限に利用して画壇の寵児となる。いっぽうで前述のとおり、様々な挫折も味わった。

第2章展示風景より、尾竹国観 《油断》(1909、明治42年)東京国立近代美術館 兄に先駆けて第3回文展で二等賞を受賞した代表作 ※前期展示

 屏風が並ぶ壮麗な展示では、先んじて二等賞第二席を獲得した国観の歴史画に、構図、人物表現、臨場感の妙を感じよう。弟に負けじと翌年二等賞となった竹坡の作からは、生来の画才に師譲りの写実と独創を美しく融和させる手腕を楽しみたい。華やかな弟たちの陰になりがちな越堂だが、じつはもっとも大胆な構想を静かにやってのけるのは彼かもしれない。

第2章展示風景より、尾竹竹坡 《おとづれ》(1910、 明治43年)東京国立近代美術館 ※前期展示 第4回文展で二等賞を受賞した代表作。籬のリズミカルな線が屏風の折りと合わさって立体感をもたらしている
第2章展示風景より、尾竹越堂 《徒渡り》 (1913、大正2年)新潟県立近代美術館・万代島美術館 ※前期展示 3兄弟が揃って落選時の作品中、唯一現存確認されるもの。全面に胡粉の線で描かれた水流の大胆さに驚かされる

 国観の《絵踏》も注目。岡倉を面責した竹坡に連なり、わずか数日で撤去され、遺族のもとに保管されていた本作は、2022年に泉屋博古館東京に寄贈され、修理と表装を得ての初公開だ。秀逸な構図が生む緊張感と、多彩に描き分けられた人物を丁寧に追いたい。

ホール展示風景より、尾竹国観 《絵踏》 (1908、明治11年)泉屋博古館東京

第3章 「捲土重来の勢を以て爆発している」 ―三兄弟の日本アナキズム

 数々の挫折後、兄弟は門下生と開催した画塾展を発表の場としていく。1912年(大正元年)に竹坡が発足した「八火会」には越堂と国観も参加し、「八華会」、「八火社」と改称しつつ帝展(文展の後身)への対抗意識も鮮明に展覧会を開催する。3回の短い期間とはいえ、発表作は最先端の西洋絵画の動向も取り入れ、従来の日本画からは大きく逸脱した自由で斬新な表現を含み、その活動は大きな反響を呼んだ。

第3章展示風景より、手前が尾竹竹坡 《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》 (1920、大正9年)宮城県立美術館 ※前期展示 日本画の前衛表現の先駆的作品とされる三幅対

 竹坡のキュビスムや未来派を思わせる先鋭的な作品は、その画題も含めて現代でも衝撃的だ。ナビ派のような装飾性や素朴派を彷彿とさせる描法や彩色など、この時期の竹坡は、ありとあらゆるものを吸収し、画面にぶつけているような迫力で圧倒する。

第3章展示風景より、左から尾竹竹坡 《大漁図(漁に行け)》 (1920、大正9年)個人、《庄屋》 (1914、大正3年)個人、尾竹国観 《大久保彦左衛門・松平長四郎》(左幅)(1913、大正2年) 知足美術館 ※ともに前期展示 《大漁図(漁に行け)》は、海面をみっちりと埋める写実的な魚の群れをぜひ近くで
第3章展示風景より、手前が尾竹越堂《失題》(20世紀、大正時代)福島県立美術館 ※前期展示

第4章 「何処までも惑星」 ―キリンジの光芒

 三兄弟のアヴァンギャルドな言動はしかし、彼らを中央から周縁へと追いやり、いつしか歴史から消していく。越堂は展覧会とは距離をおき、東京府美術館の設立など美術界の発展に力を注ぐ。竹坡と国観は、大正末期からは官展への返り咲きを目指したようだ。「何処までも惑星」と称された竹坡は、彫刻・洋画の部門にも出品し、変わらぬ多才と奔放さを示すが、晩年には爆ぜるような熱量が抑えられた写実と精緻な構成の日本画に向かい、一貫して歴史画を探求し続けた国観は、生来の構図の上手さと人物描写をより洗練させていく。ここでは三者三様の個性が結晶したといえそうな作品たちを見ることができる。

第4章展示風景より
第4章展示風景より
第4章展示風景より尾竹国観 《浄火・満潮》(1931、昭和6年)富山市郷土博物館 ※前期展示
第4章展示風景より、尾竹竹坡 《大地円(だいちまどかなり)》 (1925、大正14年)新潟県立近代美術館・万代島美術館 ※通期展示

 特集展示では「清く遊ぶ―尾竹三兄弟と住友」と題して、三兄弟の作品を購入し、宴席にも招いていた住友家第15代当主・住友春翠との交流を伝える作品が並ぶ。《席画合作屏風》からは闊達で楽しげな兄弟の筆さばきを実感できるし、春翠死去の翌年に越堂から届けられたという《白衣観音図》には、注文主と画家を超えた想いが感じられて、ちょっと切なくなる。

特集展示の展示風景より、尾竹越堂・竹坡・国観 《席画合作屏風》(右隻)(20世紀、明治時代後期~大正時代) *後期は左隻展示 春翠の「泉屋」の款記にも注目
特集展示の展示風景より、中央が尾竹越堂 《さつき頃》(1914、大正3年)白澤庵コレクション、左が《白衣観音図》(1927、昭和2年頃)泉屋博古館東京 《さつき頃》は、右隻のみで左隻は所在不明。今後の発見を祈りたい

 新時代に新しい日本画の意義とあり方を求めて、多くの画家が自己と世界に対して挑んだ近代。そのために成立した展覧会というシステムは「制度」として権威を持ったとき、中央と周辺という格差を生んだ。たぐいまれな画力と感性を持った三兄弟は、その光と影に翻弄され、それでも、いやだからこそ、その歪みに挑み、自身の価値を世に問い続けた。やんちゃ三兄弟の革新性と魅力を楽しむと同時に、いまこそ改めて「近代」を見直す時期なのかもしれない。