2018年展覧会ベスト3
(キュレーター・服部浩之)
数多く開催された2018年の展覧会のなかから、6名の有識者にそれぞれもっとも印象に残った、あるいは重要だと思う展覧会を3つ選んでもらった。今回はインディペンデント・キュレーターの服部浩之編をお届けする。
1964 証言—現代国際陶芸展の衝撃 (岐阜県現代陶芸美術館、2017年11月3日〜2018年1月28日)
1964年は、海外旅行が自由化され、東海道新幹線が開通し、そして東京オリンピックが開催された年だ。この年に日本初の現代陶芸の国際展が開催された。陶磁器研究家の小山冨士夫が、欧米の工房を巡り陶芸家に直接会って収集した各国の陶芸作品と日本の陶芸家たちの作品が展覧された。
本展は、可能なかぎり当時の出展作を集め、小山の調査旅行時の日記などの資料とともに構成し、1964年という時代に開かれた現代国際陶芸展を検証するものだ。興味深かったのは、当時の陶芸関係者や批評家、美術家たちが日本の陶芸が世界に遅れをとっており、「日本陶芸の敗北」を憂いた批評を残していることだ。欧米が追いつくべき対象であった高度経済成長期の状況をよく反映しており、芸術が社会と密接に関わっていることもあらわしている。あれから50年以上経過した現在、2年後に東京オリンピックを控え、様々な文化事業が各地で乱立し、外国人労働者の増加につながる改正出入国管理法が成立した。そして相変わらず日本の国際社会からの遅れや閉鎖性を嘆く声が聞こえないでもない。転換点となった過去の節目や歴史を振り返ることで、私たちが生きる現在を改めて考えることが促されている。
ゴードン・マッタ=クラーク展 (東京国立近代美術館、2018年6月19日〜9月17日)
物故作家の個展は難しいものだ。ともすると資料展になってしまうし、その業績や偉大さを回顧する記念碑的な過去のものになることも多い。しかしながら本展は、マッタ=クラークの作品をただ年代順に紹介するのではなく、自由な広場のような空間に作品が配置され、現在を強く意識させる場が生まれていた。
観客はくり抜かれた壁面を通り抜け、フェンスの向こう側にある場を想像し、階段のような段差を登り降りし、薄い皮膜をめくるなど、身体を様々に動かすなかで作品や資料に出会う。公園や森を想起させるように設えられた空間が観客の身体感覚を開いていくためか、あたかもマッタ=クラークから現在の私たちの都市や社会生活を直接問われているような感じがするのだ。まるで現代の状況を予測していたかのように、40年以上経ってもまったく古びないマッタ=クラークのアクチュアルで先見的な問題意識が立ちあがる空間だ。そして自由を得たような不思議な心持ちを与えてくれる、遊び心とユーモアを大事にしつつも批判を恐れないチャレンジングな展覧会であった。
メディアアートの輪廻転生 (山口情報芸術センター[YCAM]、2018年7月21日〜10月28日)
アーティストと並走し、つねに新しい経験を生み出してきたYCAMらしい展覧会。exonemoとの共同企画により、メディアの歴史やその本質に切り込み、メディア・リテラシー教育にも意識が向けられた多角的な体験を提示するものだ。
そもそも展覧会のつくり方が独自で、最初にこれまでYCAMで作品を発表したアーティストたちに複数項目のアンケートをとり、おもに「作品の死、あるいは寿命」についての回答を参考に、アーティストたちが寿命を終えたと感じている作品を「メディアアートの墓」に埋葬するというかたちで展示している。通常の周年展では祝祭性や大規模化を求められがちだが、15周年記念事業となる本展では、むしろ最小限の墓場を展示室とするミニマルでコンセプトを凝縮した構成となっている。ラディカルな態度がかたちになったこの展覧会は、YCAMがこれまで培ってきた経験の賜物で、アートセンターとしての信頼の高さがあってこそ実現できるものだろう。地域の拠点となる公共空間としても、今後のYCAMの行方がますます期待される。