2025.2.25

「ここにいないが存在している」ものたちのための音楽劇。相馬千秋が見たウラ・フォン・ブランデンブルク「Chorsingspiel」

エスパス ルイ・ヴィトン大阪で開催中のドイツ人アーティスト、ウラ・フォン・ブランデンブルクによる個展「Chorsingspiel」。演劇の世界に強い愛着を持つフォン・ブランデンブルクの日本初個展を、相馬千秋がレビューする。

文=相馬千秋

エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2024)より、《CHORSPIEL》(2010)
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 師走の平日の正午。ルイ•ヴィトン メゾン 大阪御堂筋の前には、すでに混雑した店内への入場を待つ長蛇の列ができている。耳に入る言葉は中国語や英語ばかりで、自分のほうが異邦人になったかのような感覚に陥りながら、初めて訪れるギャラリー「エスパス•ルイ ヴィトン 大阪」への入り口を探す。それは、店舗正面からは見えない横道側に、まるで秘密の扉のようにひっそりとあった。エレベーターで5階に上がると、心斎橋の喧騒とは無縁の、すべてが必然性を持って美的にコントールされた空間が出現し、洗練された立ち居振る舞いのスタッフらが出迎えてくれた。そこはすでに、アートというアウラに包まれた儀礼的な空間として成立しており、彼らはその守り手としての役割を神妙に演じているのだった。

エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2024)より、《SINGSPIEL》(2009)

 しかし、このギャラリーがここまで儀礼的な空間に感じられたのは、今回の展示作家、ウラ・フォン・ブランデンブルクの《SINGSPIEL》(2009)と《CHORSPIEL》(2010)という2つの映像インスタレーション自体が、一種の演劇的装置として機能しているからでもあるのだろう。作家のキャリアのなかでほぼ同時期に制作された2つの展示作品は、映像・音楽・歌詞が織りなす時間芸術であると同時に、布を使った舞台装置(セノグラフィー)がつくり出す秀逸な空間芸術でもあった。

エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2024)より、《SINGSPIEL》(2009)

 最初に体験する《SINGSPIEL(ジングシュピール:歌芝居)》では、巨大な1枚の布(作家自身による図面によると62.4m)が何度も直角に折れ曲がっていく先に、投影された映像を見るための、モダンなスツールが並ぶ観客席が用意されていた。そして映像には、同様のスツールに腰を下ろし劇が始まるのを待つ観客が映し出される。映像内とギャラリー内の観客席がオーバーラップすることで、私たち観客は、撮影地となったル・コルビュジエ設計のサヴォア邸に招かれたかのようだ。映像の中では、劇中劇を思わせる仮設のカーテンがしつらえられ、やがて10人ほどの家族と思しき人々がダイニングテーブルを囲むが、彼らは奇妙なモノクロ映画の登場人物さながら、掴みどころのない会話を口々に「歌う」。

エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2024)より、《SINGSPIEL》(2009)

 18世紀後半のドイツで上演されていたオペラの形式を参照したという演劇的映像のなんとも言えない奇妙さは、ワンショット撮影のカメラワークによって増幅される。例えば、ダイニングテーブルで食事をする家族の周りを、カメラの視線は何度も旋回する。そして部屋から部屋へ、廊下から廊下へと脈絡なく移動していく。その不安定で浮遊的な動きは、あたかもこのサヴォア邸にすみつく幽霊の視点を意識させる。あるいは、すでに亡くなった家族の一員の魂がよみがえり、夢遊病者のようにさまよっているのかもしれない。私は、2010年にフェスティバル/トーキョーで上演されたクリストフ・マルターラー演出の『巨大なるブッツバッハ村』という演劇作品──いつともどこともわからない宙づりの状況で繰り広げられる、夢遊病者たちのノスタルジックなオペレッタ──を思い出していた。

 この奇妙な浮遊感は、もうひとつの作品《CHORSPIEL(コーアシュピール:合唱芝居)》にもごく自然に継承される。サヴォア邸のらせん階段を降下する身体感覚が、そのまま2つ目の作品《CHORSPIEL》に至る、渦巻き状の導線へとつながっていくからだ。森をイメージしたカーテンの渦巻きに沿ってたどり着いた地点では、やはり映像内音楽劇が上演されている。舞台は森の中。ある家族とそこを訪れる訪問者のあいだでの、抽象化された対話が合唱曲として、時にコロス(合唱隊)を伴って歌われる。「私たちは選んでいない。おのずとこうなった」というような抽象度の高いせりふを口ずさみながら、彼らは無表情のまま、こんがらがったひもの固まりを手にしたり、カードゲームに興じたりするのだが、やはりカメラ=観客の視線は、この場にいながらも不可視の存在として、この奇妙な音楽劇を目撃し続けることになる。

エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2024)より、《CHORSPIEL》(2010)
エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2024)より、《CHORSPIEL》(2010)

 ここで本展覧会のタイトル「Chorsingspiel(コーアジングシュピール)」に立ち戻ってみよう。Spielは英語のPlayに相当し、劇、演技、遊戯、賭け、といった意味を含み持つ。そこに「Chor=コーラス」と、「Singen=歌う」を組み合わせた、作家自身による造語だ。とすると、作家が巧妙に仕掛けた、この合唱音楽劇の主人公は誰なのか? この奇妙な音楽劇に招かれた幽霊なのか。あるいは、幽霊としてそこに存在するよう促された、私たち観客なのかもしれない。劇中では「ここにいないが存在している」存在、「昨日は明日ではない」時間が、繰り返し示唆される。ウラ・フォン・ブランデンブルクは、そうした「あわい」の存在を、観客自身の身体感覚にインストールし、観客を幽霊化するセノグラフィーを、見事にルイ•ヴィトンのギャラリー空間に出現させた、と言っていいだろう。その迷路の時間に迷い込んだ私は、ウラ・フォン・ブランデンブルクの音楽劇から離れた後も、その奇妙な旋律と浮遊感を抱えたまま、透明人間のように大阪の街をさまよったのだった。

All photos  Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris
Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton