2025.3.7

植田正治を訪ねるフォトウォークから見えてきた、Sigmaがアートで目指すもの

カメラ・交換レンズ関連の光学機器メーカ「Sigma」が写真家・植田正治を訪ねるフォトウォークを昨年12月に開催。Sigmaが掲げる「The Art of engineering. Engineering for Art」を反映したこのフォトウォークをレポートするとともに、企業としてなぜアートを重視するのかに迫る。

文=坂本裕子 撮影=編集部

鳥取砂丘でのフォトウォーク
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 生涯「アマチュア」を標榜し、生地の鳥取県境港市を拠点に活動した写真家・植田正治(1913~2000)。被写体をオブジェのように配した「演出写真」は「植田調」といわれ、写真発祥の地フランスでも「Ueda-cho」と表記されるほどに、世界的に知られる日本を代表する写真家のひとりだ。鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」はご存じの方も多いだろう。つねに身近な風景や風物を撮り続けたその作品とスタンスは、いまも多くのアマチュアカメラマンの憧憬を集めている。

植田正治の生家

 2024年11月、その植田の故郷である鳥取の米子駅に、10人のアマチュアカメラマンが集まった。彼らが手にするのは、Sigmaの世界最小・最軽量のフルサイズミラーレスカメラ、fpシリーズ。年齢もカメラキャリアもまちまちな彼らが参加するのは、2日間にわたり植田正治の足跡をたどりながら自身の撮影を楽しむ「撮る・見る・学ぶ fpフォトウォーク in 鳥取」だ。Sigmaが自社製品のユーザー向けに企画したイベントで、植田正治写真美術館や生家を訪ね、鳥取砂丘をはじめ植田が歩き撮影した地での撮影会を実施しながら、機材の魅力を存分に引き出してもらう試みとなっている。

鳥取砂丘でのフォトウォーク

憧れの「アマチュア写真家」の世界に寄り添う:1日目

 1日目は植田正治写真美術館からスタート。米子駅からは車で30分ほど、街なかを過ぎ、林を抜けると巨大なコンクリートの建造物が田園のなかに忽然と姿を現す。正面には中国地方の最高峰・大山(だいせん)の雄大な姿が対峙する。

植田正治写真美術館

 館の設計は鳥取出身の建築家・高松伸。大きさの異なる4つのブロックが横並びになる造りは、植田が家族を並べて撮った、砂丘シリーズの中でももっとも知られる1点を表象している。内部もコンクリートの打ちっぱなしで、あちこちに切り込みが入り、外光をもたらす。構成的で無駄のないシンプルさは植田の作品に通じ、決して無骨に堕さず、どこか柔らかく静かなやさしさをたたえているところも「植田調」の写真と一緒だ。

植田正治写真美術館

 2階からは大山の優美な姿が、水面に映る逆さ大山とともに楽しめる。周囲の風景を取り込み、鳥取の風土を愛した植田の眼を感じさせる、まさに植田作品のために造られた空間が心地よく、建築そのものも格好の被写体だ。代表作のモチーフとなっている帽子、ステッキ、傘を小道具に、自分が被写体になれるフォトスポットもあり、参加者を楽しませていた。

植田正治写真美術館のフォトスポット

 フォトウォークの参加者たちは、同館館長である植田の三男、植田亨氏の案内で館内をめぐる。現像液の希釈水を井戸からくみ上げる手伝いをしたというエピソードなど、撮影時の思い出を語ってもらいながら作品群を鑑賞。参加者にとって貴重な時間となった。作品には幼いころの亨氏の姿も写っており、美術館に飾られている作品が、家族アルバムでもあるのだという不思議な感覚も憶える。テーマや撮影対象、構図、現像手法、作品の持つニュアンスなど、参加者はおのおのの興味と関心をもとに作品にアプローチすることができた。

展示作品の解説をする植田亨氏
植田亨氏との作品鑑賞の様子

 午後からは鳥取砂丘に移動。東西約10キロメートルにおよぶ広大な砂礫地は、中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流された細砂が強風により打上げられ堆積したもの。植田作品の舞台となったことでも知られている。晴れ間と急な雨が目まぐるしく変わるなか、各自が美術館で見た植田作品を思い返しながら、思い思いの場所で撮影にいそしんだ。砂丘へのフォトウォークにも亨氏が同行。鳥取砂丘を知り尽くした人だからこそ紹介できる、特別な撮影スポットに案内してくれるという嬉しいサプライスもあった。

鳥取砂丘でのフォトウォーク
鳥取砂丘でのフォトウォーク

植田正治のエッセンスに触れる:2日目

 2日目は、境港市にある植田の生家を訪ねた。国の指定文化財である生家は明治中期頃の町屋建築で、囲炉裏のある応接間や天井までの大きな一枚ガラスの窓のある作業場などは、植田の好みで改築されたもの。いまでも彼の息づかいが生きている空間だ。

植田正治生家

 現在は非公開となっている建物内部を見学できるだけでなく、保管されている植田の写真を亨氏が見せてくれる。美術館であれば額装されている作品を素のまま手にとって見られるという稀少な機会に、時を忘れて参加者の熱も高まる。奈良原一高をはじめとした、有名写真家の作品が紛れ込んでいるのも、生前の交流を感じさせて興味深い。

植田正治生家にて、植田亨氏と植田正治の使用していたカメラ
植田正治のプリントの鑑賞

 境港に揚がる魚介のランチを堪能した後、参加者は歴史ある境港の街を被写体に自由に撮影を行った。時代を感じさせる家並みの残る町で目に留まった小さな風景を切りとる者、烏賊釣船が停泊する入江の風景をとらえる者、市場で生活の息吹を写す者。植田が生まれ、生き、写真に残したものをかみしめながら、それぞれのフォトウォークが繰り広げられた。濃密な2日間の経験から生まれる彼らの「作品」が、今後どんな調べを奏でるのかが楽しみだ。

境港でのフォトウォーク

The Art of engineering. Engineering for Art

 このイベントの企画者でガイドとして参加したSigmaの担当者は、フォトウォークを開催する目的を次のように語った。

 「15年くらい前からユーザーとのコミュニケーションを密にし、販売後の楽しみ方の提案や、使用についての不安や疑問に答える機会としてフォトウォークを開催してきました。これまでは鉄道や天体など、特定の被写体をハンティングするためのノウハウを学ぶ、といった内容が多かったのですが、新たに『アート』に寄せたイベントができないかということで企画したのが「撮る・見る・学ぶ fpフォトウォーク」です。カメラメーカーが『アート』を語ることには昔から難しさがあり、技術については大いに語れるけれど、アートという思想を発信することには躊躇があった。しかしSigmaとして、技術と『アート』の橋渡しができないかと考えました。第1回は出身地を撮り続けた入江泰吉氏の足跡を訪ねるツアー、そして2回目である今回は、私が写真活動にはまるきっかけでもあり、想い入れも強い植田正治氏をテーマにしてみました」。

植田亨氏を囲み話を聞くフォトウォーク参加者

 こうした取り組みの背景には、同社の確固たる事業哲学と企業理念がある。1961年に「シグマ研究所」として創業したSigmaは、デジタルカメラ、交換レンズ、各種アクセサリーなど「撮影の道具」をつくり続け、2021年には創業60周年を迎えた。創業時から変わらぬ哲学は「Small office, Big factory」。理想の製品開発には、高い生産技術が不可欠であり、鋭い発想力をかたちにする「ものづくり」の力のバランスを端的に表した言葉だ。製品に関わるほぼすべての製造・加工・組み立てを、会津工場を中心とした国内一貫生産体制を維持し、高い製造技術と品質管理を実現している。

 このように、徹底した職人気質によるテクノロジー製品を世に送り出してきたSigma。理念のひとつが「The Art of engineering. Engineering for Art」だ。技術の粋を集めた製品そのものが芸術であり、その製品は芸術表現に貢献しているというふたつの意味が込められる。シグマの事業において「アート」は重要なものとして明示されている。

 「社内では開発者向けに写真集ライブラリーを創設し、世界の芸術表現に触れ、感性を高められる環境も整えられています。ユーザーには、製品を通じてそれぞれの表現活動を深め、楽しんでもらいたい。その取り組みのひとつが、日本の写真作家を知ることを通じてユーザーコミュニティを形成する本企画です。ほかにも、昨年の『T3 PHOTO ASIA』では弊社が所有する写真集コレクションの一部をポップアップとして展示したり、昨年の『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭』に参加するなど、アート分野に積極的に貢献しています」。

「T3 PHOTO ASIA」での、Sigmaによる写真集コレクションのポップアップライブラリー

 ものづくりにこだわりながら、その技術によって文化を育てていこうとするSigma。フォトウォークは小さな試みかもしれないが、誰もがアートとしての写真に触れ、表現者となる入口をつくろうとする同社の企業姿勢がよく現れた試みだ。アート・フォトにおけるSigmaの存在感は、今後もますます増していくだろう。