2025.3.13

DIC川村記念美術館はなぜ国際文化会館に移転するのか? DICトップが語る「美術館」の新たなかたち

1990年に千葉・佐倉に開館して以来多くの美術ファンに愛されてきたDIC川村記念美術館。今年4月からの休館が予定され、東京・六本木の国際文化会館との協業による移転が決定した。六本木でどのような美術館モデルを築くのか。その背景やコレクションの行方を含め、キーパーソンである池田尚志(DIC株式会社 代表取締役 社長執行役員)と近藤正晃ジェームス(公益財団法人 国際文化会館理事長)にインタビューを行った。

聞き手=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 記事構成=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

左から近藤正晃ジェームス(公益財団法人 国際文化会館理事長)、池田尚志(DIC株式会社 代表取締役 社長執行役員)
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国際文化会館との協業が生む未来

──まず、DIC川村記念美術館の休館が決定して以来、多くの美術ファンや佐倉市民の方々から悲しみの声が上がり、署名活動も行われました。こうした反応をどのように受け止められましたか?

池田尚志(以下、池田) 大変真摯に受け止めました。やはり、美術館の立地が特別であることもあり、そこに込められた価値を多くの方々が感じ、理解してくださっていたのだと改めて実感しました。ある意味で、私たち自身も今回の決定を通じて、その価値の大きさに気づかされることになったとも言えます。

DIC川村記念美術館

──今回、国際文化会館への移転が決まりましたが、その前にほかの候補地も検討されていたのでしょうか?

池田 はい、いくつかの候補地がありました。様々な観点から慎重に検討を重ね、最終的には国際文化会館との協業が最適であると判断しました。この場所の素晴らしさ、そしてここで実現できる新たなかたちに確信を持つことができました。ただし、最初から国際文化会館ありきというわけではなく、ほかにも様々な可能性を模索しながら進めていました。

──今回の移転先は、もともと美術館ではない場所ですが、その点について何か懸念はありましたか?

池田 もちろん、近藤さん(国際文化会館 理事長)の考えもあるかと思いますが、私たちとしては必死の思いで様々な方々にお声がけし、美術館の新たな可能性を探ってきました。国際文化会館も当初から想定されていたわけではなく、可能性を模索するなかで実現したのです。

──実際にDICから相談を受けた際、国際文化会館としてはどのように感じられましたか?

近藤正晃ジェームス(以下、近藤) 今回の協業は、ある種の運命的な巡り合わせだったと思っています。我々はこれまで「民間外交」と「国際交流」を大きな柱として活動してきましたが、アートの力にもより一層注力していくべきだと考えていました。新西館の建設計画が進むなかで、アートを核とした取り組みを強化する方針がすでに固まりつつありました。

 そのなかで、「どのようにして我々らしいアート活動を展開するか」を議論していたところ、DIC川村記念美術館からお話をいただきました。私自身も川村記念美術館には馴染みがあり、とくにロスコの作品をどのように活かせるかが重要なテーマになりました。国際文化会館の活動は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアという国際関係上の重要な三地域に焦点を当てています。そのなかで、戦後アメリカ美術を象徴するロスコの作品がここにやってくることには大きな意味があると感じました。

 さらに、DICが重視されていた「自然・建築・アートの融合」というコンセプトも、我々の理念と合致しています。我々は創立以来、庭園や建築を文化の一環としてとらえてきましたが、そこにアートという要素をより強く打ち出すことで、新たな価値を創造できると確信しました。このような連携が実現したことで、アートの社会的価値やインパクトを一層高めていけると考えています。また、公益法人としての使命としても、今回の協業を通じて果たすべき役割があると感じています。