なぜ「IF THE SNAKE」なのか? ピエール・ユイグに聞く「岡山芸術交流2019」に込めた意図
今年で2回目となる「岡山芸術交流」が、岡山市内各所で開催されている。フランスを代表するアーティスト、ピエール・ユイグがアーティスティックディレクターを務め、「IF THE SNAKE もし蛇が」をタイトルに掲げる本展は、どの芸術祭とも異なり、各作品が緩やかにつながる。そこにはどのような意図があるのか? 美学者の星野太が本人に話を聞いた。
文章として完成していないことの重要性
──岡山芸術交流2019の開幕前に行われた(ウェブ版「美術手帖」の)インタビューのなかで「スーパーオーガニズム」という言葉を使われていました。今回の「IF THE SNAKE」というタイトルにも「蛇」という生物が含まれていますが、まずはこれらの言葉の背後にある考えについて教えていただけますか。
「スーパーオーガニズム」というのは最初の記者会見で出した言葉ですね。そのときは、展覧会の別の可能性を提示したくて「スーパーオーガニズム」という言葉を使いました。その考え方自体はいまもあるし、もちろん「IF THE SNAKE」のなかにも含まれています。
しかし「スーパーオーガニズム」と言ってしまうと、どうしても生物的・バイオ的な考え方に結びつきやすくなってしまう。私が考えている複雑なシステムのあり方は、かならずしも生物だけに拠ったものではありません。だからいまは「リビング・エンティティ」という言葉を使っています。
「リビング・エンティティ」とは、「あらゆる生命体」といった程度の意味です。「生命体」といってもその定義はすごく曖昧で、揺らぎがあるでしょう。例えば、ひとつの物体としてではなく、集合体として存在できるようなものもありますね。最近だと、森や川をひとつの生命体(リビング・エンティティ)としてとらえるという考え方も流行っていますが、そういうものも含んでいます。
こうした考えが前提としてあり、タイトルは「IF THE SNAKE」になりました。この「IF」は条件を設定するものではなく、「もしかしたら」という仮定の「IF」です。「IF THE SNAKE」は尻切れになっていて、文章として成り立っていませんよね。これは「IF」が条件を示す「IF」ではない、ということを示すために途中でカットしているのです。
私が提案したかったのは、予測不可能な仮定や可能性です。SNAKE(蛇)は、古代から世界中のあらゆる文化で様々な象徴になっていたり、神話に登場したりしています。様々な仕方で解釈されながら、文化と一緒に生きてきた動物ですね。そして、これから起こる可能性を開いてくれる、そのきっかけとなってくれるような動物です。タイトルに「IF」と「SNAKE」があることによって、可能性が二重に開くとでも言いましょうか。「IF」も可能性であり仮定だし、「SNAKE」も仮定。どちらも完結していない。だから「IF THE SNAKE」は文章として完成していない。そのことが重要なのです。
このタイトルは「こういう展覧会にしたい」という会話から偶然に出てきたもので、いわゆる展覧会全体の「テーマ」とは違います。「テーマ」は全体をまとめて「これはこういうものです」と示すものだと思いますが、「タイトル」はもっとオープンであり、展覧会を規定するのではなく、その可能性を開くものとしてあるべきだと思うのです。だから「IF THE SNAKE」はテーマではなく、タイトルだと考えています。
──大変興味深いですね。
このタイトルは「もし蛇が」と言われたときの緊張感を引き起こすものであり、「もし蛇が」の続きを考えてしまう想像力の発動装置となるでしょう。それを聞いた人の身体を少し緊張させるかもしれないし、「意識をはっきりさせておこう」とか「注目しておこう」とか、そうした意識の変化を生じさせる効果もあります。それは、人間に危害を加えないと確信できるもの──例えば犬のような──をそばに置いて飼い慣らす行為とは少し違います。そういう意味では、単純にソフトな、何か安心できるようなタイトルとは違うものにすることを目指しました。
私の仕事はアーティストのままでいること
──ユイグさんは昨年の美術手帖のインタビューで、ご自身は「アーティスティックディレクター」であって「キュレーター」ではない、そこにどういう言葉を与えるかがすごく大切だということを仰っていました。そういう意味でも「IF THE SNAKE」が展覧会のテーマではなく、タイトルであるというのはとても重要なことだと理解しました。
名前を与えるという行為は、すごく大事なことだと思うのです。それは「インスタレーション」や「パフォーマンス」といった言葉についても同じです。「インスタレーション」の語源は「インストール」(「何かを植えつける」の意)ですね。だから、作品に「インスタレーション」という言葉を与えた途端、そういったものにしかならなくなってしまう。
「パフォーマンス」も同じです。「パフォーマンス」と言ってしまったとき、そこで生まれるべきものが生まれなくなってしまう危険性がある。ティノ・セーガルは(作品に参加する人間を)絶対に「パフォーマー」とは言わず、例えば「ダンサー」と言ったりします。言葉を考えなしに、適当にあてがってしまうと、ある一定の言葉が持つ条件に、無自覚に自分たちを当てはめてしまうことになる。なので、まずはそうしたカテゴリー分けの危険性から疑っていきたいのです。
主語・述語の関係についても同様です。「IF THE SNAKE」というタイトルを考えるときにも、まず「文章」という構造が本当に必要なのか、さらに言えば主語・述語という二項対立が必要なのかも疑っていかなければならない。
そんななか、私はアーティストとして、アーティスティックディレクターになることを頼まれました。私の仕事は「アーティストのままでいる」ことだと思ったので、参加作家たちにはアーティストとして接しているつもりです。私はこのアーティスト同士の共感を大事にしようと考えました。アーティストには独自のアイデアの形成の仕方、思考の形成の仕方があるので、それに寄り添っていくことになります。それはアーティストである私にしかできないことです。だからこそ、アーティストたちも対等の立場で、展覧会やそれぞれの作品についてのフィードバックをくれました。お互いがお互いを変えていく、そんな関係性のなかで芸術祭をつくってきたのです。
個々のアーティストがそれぞれの考えを持ち、お互いに影響を与えながら展覧会を形成していく。だから、その上に覆い被さるような「テーマ」を置く必要はないと思ったのです。
作品にはそれぞれの自然な状態がある
──いま仰ったことは、展覧会として完璧に実現されているという印象を持ちました。例えば、廃校を会場にした国際展・芸術祭では、校舎の中に複数の作家を並べるように展示することがよくあります。しかし今回、会場のひとつである旧内山下小学校ではファビアン・ジロー&ラファエル・シボーニがほとんどすべてのスペースを使っています。オリエント美術館では2名の作家が常設作品と響きあうような作品を展示している。どの会場でも、作品同士が素晴らしく共鳴していて、「ただ並べている」という感じではまったくなかった。そういう意味で、いま仰ったことが実際によく伝わる展示になっていたと思います。
作品同士の関係としては、「継続性」あるいは「つながっていくこと」がひとつのキーになっています。それは線でつながるのでもなく、いわゆる「ネットワーク」でつながるのでもなく、もっともっと複雑なかたちとして存在している。そこには偶然性も生まれるし、何かが破壊されたり、壊れたりすることによって突破口が開いたりもする。そこには秩序ではないかたちが生まれるのです。
それぞれの作品にはそれぞれの作品が持っている自然な状態があり、それを探っていった結果、いまの展覧会ができあがりました。だから「場所があるからそこに並べる」という発想はなかったのです。ジョン・ジェラードの《アフリカツメガエル(宇宙実験室)》(2017)は東京の屋外広告と同じくらい大きなモニターに映されていますが、それは屋外広告のモニターに展示されるのがもっとも自然だと思ったからです。この作品にとっては、テレビやモニターではなく、建物にくっついたスクリーンに映されるのがもっとも自然なのです。
大事なのは、私が作品同士の関係性をつくるのではないということ。自分の作品だけだったら違うやり方になると思いますが、AとBという作品があったとき、そのふたつがどうつながるべきかについて、私が介入することはできない。例えば「AとBをここに置く」としたとしても、その間に起こることについては見守ることしかできません。それは自分の作品ではできない、面白い部分です。
それはものの在り方を解凍していくというか、解放していくような感じですね。そうすることによって、ものとそれが置かれる場所の間にある境界線がなくなる可能性がある。それがなくなったときが一番面白い。
例えば、ジョン・ジェラードの作品はモニターの中に存在しているはずですが、パメラ・ローゼンクランツのピンクのプールに映り込むとか、場合によってはそういう広がりもあります。そんなふうに作品が解放されていくと、作品と作品の境界線も次第に曖昧になっていきます。ジョン・ジェラードのスクリーンのカエルがピンクのプールに映って、ピンクのプールに映ったカエルを見ていると、そのピンクが自分の目に入ってきて、反対側に目をやると、シーン・ラスぺットのピンクやブルーの朝顔がある。そこからさらに向こう側を見ると、丘の上に人が立っている。そういうすべてのつながりが可能になるのです。
──最後に、アーティストとしてのユイグさんにお話を聞きたいと思います。私が今回もっとも感激したのは、林原美術館の「アン・リー」でした。私は十代の頃にあの作品を通じてユイグさんのことを知り、それ以降もポンピドゥー・センターでの個展やドクメンタでの展示など、これまで色々なところで作品を拝見してきました。ただ、やはりアン・リーは私の世代の人間にとって特別な作品であり、それが今回ティノ・セーガルの作品と呼応しつつ展示されていたことにとても感動したのです。これについては、日本の岡山で発表するというコンテクスト──ある種のローカリティ・地域性──を意識されたのでしょうか?
まず、彼女(アン・リー)を故郷に連れてくるというのが第一でした。最初はティノのアン・リーだけでいいと思っていて、自分の映像作品を出すつもりはなかったのです。けれどもティノに「アン・リーの作品を出してほしい」と言ったら、「(ピエールの)映像ももちろん出すでしょ?」と言われて出品することになった。
私たちの作品が一緒にあることで、映像のなかで、二次元で表現されていたアン・リーが、生まれ変わったかたちで三次元の生身の身体として出てくる。そういうコネクションが見出しやすくなりましたね。それはよかったと思います。
私自身は、はじめからティノのアン・リーとイアン・チェンの《BOB》を一緒に展示したいと思っていました。ティノとイアン、私がふたりに共通して面白いと思っているのは、ふたりとも何かをモディファイする能力があるということです。私は「モディファイ」という言葉が好きでよく使うのですが、これはただ外側に変化を与えるだけではなく、中身を「変容させる」というイメージがあります。そこには外側の物理的な変化だけではなく、中身の変容、内省的な変化も含まれている。
林原美術館に関して思い描いていたのは、外からの色々な影響を取り込んで成長していくBOBの存在の仕方が、アン・リーの存在によって少しだけ影響されるのではないか、ということでした。「ボブの中身を取り出したら、実はそこにアン・リーの要素がある」というようなアン・リーの存在の仕方も面白いかなと思っています。