人の営みの痕跡を描き、風景を供養する。大東忍インタビュー
「VOCA展2024」の大賞を受賞した、現代美術家で盆踊り愛好家の大東忍。祖母の故郷であった限界集落やブロードウェイでの苦い思い出、移住した秋田で出会った民俗行事の数々は、大東の「風景を描く」行為にどのような影響を与えてきたのか。インタビューで話を聞いた。
人の営みの痕跡を描き、風景を供養する
──この度はVOCA賞の受賞おめでとうございます。はじめに、今回の受賞作品《風景の拍子》について教えていただけますか。
大東忍(以下、大東) 私は絵を描くことで、「風景の供養」をしようとしています。風景のなかには、人の営みの痕が無数にはびこっていると思います。それに対して自分なりの実践を通じて何かアプローチをすることで、その痕跡を読み取ることができるのではないかと思いました。そのような意図から、風景に向き合い、表現をしています。
──風景を描くことで供養するというのは大東さんならではの着眼点だと思います。その「風景の供養」という行為についてより具体的に教えていただけますか。
大東 一番最初にこの視点を持ったのは、祖母の故郷である三重県の限界集落を訪れたときです。住民に若い人はほとんどいなくて、そこはいずれなくなってしまう風景だということに気がつきました。あたりを見渡すと、元々畑だった荒地があったり、禿げ山や、不自然に生えた雑草といった、人の手が入った後の風景が目につきました。それが「人の生きた痕跡」なのだと思いました。
自分はいまとある住宅街に住んでいます。ぶらぶらと歩きながら、つぎはぎのアスファルトやその隙間からアロエなんかが生えているのを見て、ここには民家があったんだな、と考えたりします。風景には人の営みの痕跡があふれているんです。ただその痕跡は歴史化されません。戦争や大きな出来事は記録されていきますが、人の営みのようにとるに足らないとされる出来事は語られにくい。そういった小さなことを残すために、その地を実際に歩き、踊ったり絵を描いたりしているんです。こういった風景との向き合い方を、私は「供養」と呼んでいます。
──絵のなかには小さな「踊る人影」が描かれています。大東さんは盆踊り愛好家でもあるそうですが、踊りへの関心と、ここに描かれる「供養」との関係性はどのようなものでしょうか。
大東 この絵に描かれている人影は、街灯の灯りをスポットライトに盆踊りを踊る私自身です。盆踊りはまさに祖先の供養のためのものですが、昨今の盆踊りは、あまりそういったニュアンスが残っていないものも多いですね。盆踊り以外でも目的や方法、信仰の在り方など現代を生きる私たちにはリアリティを持ちにくいことなどから、かたちを変えてきた行事も多くあります。でも盆踊りや行事、風習からは、人の根っこにあるような生き方や祈りのかたちが象徴的に見えてくることがあるので、面白いと思っています。
盆踊りは一曲が2〜3分のものもあれば長いもので30分くらいするものもあるのですが、踊っていると夢中になって、やがて身体が澄んだ感じ──いわばトランス状態のようになることがあります。人の痕跡がある風景に向き合う、つまり過去や死者と向き合うためには、いつもの身体よりも少し澄んだ状態になることが自分にとって重要です。最初からこういうことを考えて制作をしていたわけではありませんが、そういった経験を経てはじめて風景と対等な立場になれたというか、自分も風景の一部になれたように感じたんです。
少し話が変わるのですが、元々は盆踊りではなくミュージカルが好きでした。現在の作風になったのは、ミュージカルを作品に取り入れたのがきっかけなんです。
数年前、ミュージカルを見たくて、ニューヨークのブロードウェイに行きました。もうずっと憧れで! ものすごく良かったんですが、最後のスタンディング・オベーションのときに立ち上がることができなかったんです。「私は華やかな側に憧れていたのにも関わらず、そうはなれなかった」という気持ちが強く残ったんです。正直すごく些細なことではあるんですけどね。そういった、信じていた自分の本質を疑うような事態に直面してから、こういった感覚は自分のどのような原体験から来るのか考えるようになりました。「私にとっての舞台はどこなのか」。そう考えたときに、華やかなステージではないけれど、もしかしたらここなら踊れるかもと思ったのが、住宅街の街灯の下だったのです。ある日、街灯をスポットライトに見立ててひとりで踊ってみたのですが、この経験がいまの制作につながっていると言えます。街灯の下では踊ることができたし、ブロードウェイで感じた自分の居場所ではない感じもない。そういう意味で、自分と向き合うためのツールとして踊りを踊ってきました。
それから祖母の集落のこともあり、自身の原風景が失われていくこと、踊ることで過去に向きあってみるということについて考えるようになっていきました。「踊り」に対する考え方も、自分を知るためのツールから、もっと大きな人の生に触れるための方法に変わっていったんです。
──作品に描かれているのは秋田県の新屋(あらや)という場所だそうですね。ここの風景を選んだきっかけはあったのでしょうか。
大東 題材となる場所を選ぶにあたって大切にしているのは、語られにくい場所を選びたいということです。私自身は秋田に住み始めて2年目で、今回描いた風景は家から近い場所にあります。歩いてみると知らない路地とかがまだいくらでもあります。暮らしたり歩いたりしていると親しみも湧いてきますが、私にとってそれらは、時間が経てば変化し、いずれはなくなる「通りすがり」の風景でした。でもそこに、人の本質的な営みのかたちがあります。そういった歴史化されない風景を描きたいと考えています。
描いたこの場所は実在していますが、この周辺の場所を抽出し、接いだり重ね合わせたりしてコラージュのように描いています。記憶を頼りに描く部分も多いので、私の原風景や視点も入り混じった、実感に忠実でありながらも実在する風景を描くことで、その場所を匿名化しようとしています。中央の人物も踊っている私がモデルですが、あえて顔や性別を明確に描いていません。風景も人物も匿名化することによって、この風景や人物を知らない人が見たときに、自身のなかにある原記憶的な風景とも重ねることができるんじゃないかと思うのです。
──つまり実際にこの場所に訪れ、踊ってみたということでしょうか。その際はどのような踊りを踊りましたか。
大東 そうですね。描くときは必ずその場所を訪れて、大抵数日にわたって歩き回っています。歩いて、踊って、描く、という一連のプロセスです。
この場所では、自分の身体に染み付いている盆踊りの振りを有機的にアドリブで踊りました。染み付いている振りというのは、盆踊りのなかに頻出する動きや、気持ち良いと感じる動きです。上手に踊ろうと意識するのではなく、気持ちよく踊れることが、自分にとって「よい踊り」だと思っています。物静かな場所では静かに踊ったりします。
──踊るときは音源を使用しますか。
大東 最初は曲を聴きながら踊っていたんですが、いまはしていません。盆踊りの特徴的な所作のひとつに足を地面に叩きつけて鳴らすような動きがよくあるのですが、じつはそれにすごく意味があって。陰陽道では反閇(へんばい)といって邪気を払い除くために呪文を唱えながら地を踏むといったこの足の動きの源流と言われる呪術があります。それを見ていると、踊り続けることで身体が人ならざる神聖なものに近づいていく感覚や、同じところを何度も繰り返し踏み鳴らしていくことで、あちらとこちらの境界をつくっているような行為があるようにも思われました。足で踏み鳴らすことを意識するようになってからは曲を流さなくなり、自分の鳴らす音を聞くようになりました。
こういった盆踊りの本質を知ったとき、人がただ生きていることも、つねに境界をつくり続ける行為と近しいことだと気がつきました。境界といっても色々あります。ここは私の家です、と土地を線引きするのも境界をつくる行為であるし、私たちが毎日歩いている道に雑草が生えなくなるのもひとつの境界。好きなものに名前をつける行為も境界をつくることだと思います。自分にとって大切な物事に対しての行為であるいっぽう、そうしないと生きていけないという事実もあります。
──今回の新屋以外では、どのような地域で踊り、風景を描いてきたのでしょうか。
大東 本作より前に描いていた「踊り場」というシリーズ作品は、秋田駅から新屋よりさらに20キロほど下ったところまでのあいだで数ヶ所ポイントを選んで描いていて、秋田の風景の流れをたどるような作品です。秋田といえば過疎地で、エキゾチックなまなざしで見られがちな土地です。そういった景色のありのままの姿と、その場所で踊る自身の姿を描いています。このときは風景に対する祈りもありましたが、自分自身の原風景的な感覚と向き合うという意味合いが強かったので、舞台となる場所が実在することと、確かにそこで踊ったという事実を記録する意味を込めて、タイトルには場所の名前と踊りの名前をつけています。
夜の風景と木炭
──描かれる風景は夜の時間帯が多いですが、夜という時間帯にこだわりはありますか? それにあわせて、木炭という画材を選んでいる理由もお聞かせください。
大東 はじめは、街灯の灯りがスポットライトのように見えて、踊れそう、描きたい、と思ったからなのですが、いま思うと風景の痕跡というのは、影から読み取れることが多い気がするんです。夜はすべてを影で包み、曖昧にし、匿名化してくれます。普段と同じ見方では見ることができなかったり、見えないはずのものも見える気がします。そういったところが風景に潜む痕跡を直感的に表せると感じています。夜というよりも影を描いている感覚で、それを表すのにもっとも適しているのが木炭という画材な気がしています。
木炭というと、元々私にとっては美大の油画科を受験するときに訓練として使用する道具でしたが、油絵具より好きな画材でした。自分の表現やそれにあう画材を模索していたのは、ちょうどブロードウェイに足を運んだ時期と重なります。そこでの経験が重なって、夜の風景を描いてみようと思ったのが始まりです。当時はその風景を表現するために木炭だけではなく、油絵具や版画、写真の技法を使って色々実験をしていました。結果、木炭が一番表現したいことを描くのに適していたというわけです。
ちなみに、キャンバスの下地にも工夫を施しています。木炭が定着するための凸凹した下地を独自のやり方でつくったことで、木炭紙とは異なる粒子的な表現ができるようになりました。影を描く表現にもぴったりなニュアンスなんです。それからは、絵としての強さや厚み、質感が出せるような下地づくりにも注力しています。
「籠る」ことの重要性。制作の背景にある人類学への関心
大東 秋田に移住して2年目ですが、もともと民俗行事や人類学に関心があり、行事の多い東北に移住するタイミングを伺っていました。秋田では、色々な伝統行事に出会いました。例えば、「盆小屋」というお盆の行事や、小正月に行う「小屋焼き」という行事です。
盆小屋は、海辺に四角い藁の小屋をつくって、そのなかで子供たちが寝泊まりします。そうすることで、身体が清まった神聖な状態となって、祖霊といま生きている人たちとの橋渡しをする役割となるんです。秋田の行事にはそういった「籠る」という行為が多い気がします。その行為によって身体の状態が変わる、つまり「身体が澄む」という感覚は、ひとりで盆踊りを踊るときの感覚にも少し近い気がしています。色々な行事を準備から見たり、調査としてプライベートな部分も見せていただいたりしたことで、それらの感覚を実感することができました。
こういった各地の伝統行事は、少子化による後継者の減少などから、どんどんその在り方が変わってきています。いま引き継いでくれている地元の方々がいなくなってしまったら、いずれは無くなってしまうかもしれない。私が描いてきた風景もいつかはいまの姿ではなくなるでしょう。寂しくもありますが、それは時の流れにおいて当たり前のことでもあるんです。こういった経験から見えてきたことを、描き残していくことは重要だと考えています。私にとって風景を描く行為は、供養であるとともに、人の在処を探り、記録することでもあるんです。
「人間の在り処」を探す旅へ
──ありがとうございました。最後に、今後の展望をお聞かせください。
大東 少し前に横山大観の《生々流転》という長い絵巻を見て、ものすごく感銘を受けまして。雨・川・海、と自然の風景が描かれていくなかに、たまーに人が現れる。それぞれが仕事や何か生業を持っている人たちなんですが、それが風景や自然と同じ単位で描かれることで、壮大な流れのなかにある「人間の在り処」が表現されていました。自身の作品もそうなれたら、と思っています。また、映像作品《風景を踏みならす》では、自分の身体を使った表現をしました。その作品で歌詩を書いてから、詩にも興味があります。木炭画や身体表現、詩など、色々な表現の言語を編むようにして、「人間の在り処」について思索して行きたいです。