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2024.4.14

宇野亞喜良インタビュー。僕がイラストレーターにとどまり続ける理由

90歳でなお、第一線のイラストレーターとして活躍する宇野亞喜良。1950年代のキャリア初期から現在に至るまでの900点超で、仕事の全貌を明らかにする過去最大規模の個展「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」が東京オペラシティ アートギャラリーで始まった。展覧会の企画にかかわった記者が、開幕に合わせて、宇野の代名詞ともいえる幻想やエロスの源泉、寺山修司との関わりなどを聞いた。

聞き手=木村尚貴(朝日新聞社) ポートレイト撮影=軍司拓実 編集=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

宇野亞喜良。アトリエにて撮影
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「イラストレーター」であり続けること

──宇野さんは、画家や芸術家と名乗らずイラストレーターにとどまり続けています。ポリシーがあるのでしょうか?

 昔働いていた日本デザインセンターの先輩が、僕のことを幇間(ほうかん)、つまり太鼓持ちと評したんです。場を賑やかにする芸者とスポンサー的なお金持ちの旦那がいて──イラストレーターの場合、それは企業や出版社や新聞社だったりするわけですけど──芸者や旦那を面白がらせて、自分も楽しんでいる大鼓持ちがいる。いわば自分で芸をやる画家とは違って、太鼓持ちのイラストレーターは、こういうメディアとテーマでやってほしいと言うスポンサー側の要求に応えます。僕はこれが自分の言いたいことだと言わずに、よそからきたテーマに対して、ターゲットは女か男か、若い人か否かとか、そういう計算をしながら、視覚化していくのが面白い。だから幇間とは、うまいこと言うなと思ったんです。

宇野亞喜良

 会社に入る前ですが、演劇をやっている先輩に、絵を提供したことがあって、そのときに「日本を確立するためにはもう少し思想を持て。センチメンタルな絵では日本は再建できないぞ」と言われたことがあります。でも自分で言いたいことがあんまりないのに、「何か思想を持たなきゃいけないのか」って反発心がありましたね。

 ちょっと前までは自分でデザインもしてたんですけど、いまはデザイナーのところに原画を渡してつくってもらう。デザイナーの才能を遊ばせてあげるという感じで委ねて、自分が考えてもいないような現象や、いろんな変容の可能性を楽しんでいます。

「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」展示風景より、15歳に描かれた自画像など若き日の作品

──小学6年生で終戦を迎えました。幼少期は戦争の影響が色濃いですね。