デザインとアートの交点から生まれる、可能性と問い。対談:横尾忠則×鈴木曜
1908年の創業以来、カミソリや包丁を中心とした刃物をつくり続けた貝印。同社が2021年より販売を開始した世界初の「紙カミソリ®」は、その名の通り、紙でできた使い捨てカミソリだ。その「紙カミソリ®」が横尾忠則の「ピンクガール」シリーズとコラボレーション。横尾がその試作品を初めて目にする場で、デザインを手がけた貝印のCMO・鈴木曜との対談を行った。コラボレーションの経緯から、「ピンクガール」の秘話、デザインとアートの魅力、ものづくりにおける思想、そして環境問題まで、幅広く語り合う。
「ピンクガール」と紙カミソリ®の出会い
──今日は、横尾さんの作品をデザインに配した紙カミソリ®の試作品を初めてお見せするとのことです。
鈴木 横尾先生の「ピンクガール」シリーズから3作品をそれぞれデザインした3種と、その3作品をコラージュさせていただいたデザインが1種。この4点をセットにして、組み立て前の展開した状態で箱に入れて販売する予定です。これからパッケージ箱には、横尾先生のお名前と商品名をデザインしようと考えています。横尾先生、ぜひ率直にご意見をいただければ。
横尾 うん、うん。いいね。僕がデザインに関して言うことは何もないですよ。この展開図のような紙を自分で組み立てると、T字型のカミソリになるんですね?
鈴木 はい。商品の裏側に手順が記されているので、1分もかからずに簡単に組み立てられます。また、T字型に組み立てた状態でも格納できるように、箱のデザインは調整していきます。
──今回、横尾さんはこのコラボレーションを快諾されたそうですね。横尾さんの絵画3点をコラージュしたデザインもありますが、そのように作品が使われることに不安はありませんでしたか?
横尾 そもそもコラージュというものは、誰かの作品の一部を活用してできるものでしょう? だから僕の作品を誰かがコラージュしたっていいんですよ。コラージュとはそういうものだと思っていますからね。
鈴木 今回、「ピンクガール」シリーズのカミソリが描かれている作品を使わせていただいたんですが、あの絵のなかのカミソリは、おそらく貝印の商品なんですよね。そんな理由もあって、僕はもともと「これだ!」と思っていたのですが、横尾先生からも「『ピンクガール』という作品がいいかもしれない」と言っていただいて、すごくうれしかったです。「ピンクガール」の作品を初めて目にしたとき、女性が髭を剃っているシーンを描いたのはすごいなと思ったんですよね。
横尾 男性が髭を剃っていたって、珍しくもなんともないですからね。女性だって、知らないところで髭や無駄毛なんかを剃っているものなんじゃないかな。そういった隠れた行為のようなものが見えると、ちょっと面白いじゃない。
鈴木 さらに横尾先生がくださった「こういうショッキングな作品がカミソリに載っているのは、ある意味スキャンダルだね」というコメントには、かなり感銘を受けました。その言葉を抽出して、商品には「セクシースキャンダル」というタイトルを付けさせていただいたんです。また、コラージュさせていただいたデザインは、モザイクみたいなイメージで、スキャンダルっぽい雰囲気にしてみたいと思っていました。先生には怒られてしまうかなと不安もあったのですが、OKと言っていただけてうれしいです。
横尾 描いた作品が60年後にこういったかたちで立体化されて、しかも商品になるなんて、まったく思いもよらないことでしたよ。
──デザインするうえでこだわったポイントを教えてください。
鈴木 T字型に組み立てたときに、絵のなかの女性の目がちょうど正面からこちらをのぞいているように配置したことや、裸体の見え方にはとてもこだわりました。ぜひ商品を手に取って組み立ててみてほしいですね。
横尾 それにしても、だんだんこのカミソリのかたちがカブトムシやカマキリなんかの昆虫に見えてきましたよ。この箱に入っているところなんて、ちょうど昆虫の標本みたいだね。箱の上面が窓のようになっていて額縁にも見えるし、使うものというよりもなんだか美術品みたいな感じもします。実用性を無視しているとは思わないけれど、買った人がこれを組み立てて日常的に使用するかどうかはわからないですよ。
鈴木 もしかすると、実際に使う人は2つ購入するということもあるかもしれません。展開図のままでも、組み立てて飾っても、もちろん使ってもよし。実用性と鑑賞の要素もある新しい商品になりそうです。
大衆に問いを投げかける
──横尾さんはこれまでにも、様々なメーカーやブランドとコラボレーションされていますが、共同することにはどんな魅力を感じていますか?
横尾 僕はいつも平面の作品をつくっているでしょう? それが立体化されて、例えば洋服だったらそこに人体という要素が加わって、身に着けた人が都市空間に出て行って、さらにひとり歩きしていきますよね。そうやって作品がどんどん姿を変えながら行動範囲を拡張していくのは、非常に興味深いことです。僕のなかでは1枚のキャンバスの絵として完結しているわけで、当初、絵を描いているときはそんな発想は全然ないですから。その後は他人のもの、あるいは社会のものになって、社会的な機能を勝手に持ち始めるものですが、僕はそれを追っかけたり、執着したりすることはほとんどないんですよ。
鈴木 カミソリがアートとコラボレーションしたのはおそらく世界初で、横尾先生が第1号なのではないかと。そのカミソリが人々の暮らしに入っていくというのは、よく考えると面白いですね。
横尾 カミソリと言ってもこんなに小さくて、しかも紙でできていて、失礼かもしれないけれどある意味チープじゃないですか。でも、それはそれで非常にキッチュな感じがして面白いですね。これはひとつの立体作品でもあって、言い方を変えれば「彫刻」と呼んでもいいくらい。本当に、これを巨大化させたら彫刻になるじゃない。巨大カミソリを東京のあちこちに立てたら面白いだろうね。クレス・オルデンバーグ(1929~2022)がやったみたいに。
鈴木 まさにデザインとアートが行き来するようなイメージですね。
横尾 例えばカミソリなんて一言も言わずに、プロモーションのために巨大なカミソリの立体作品を街中に立てて、「あれはなんなんだ?」って大衆に謎を投げかけるんですよ。有名な写真家が撮影した広告を出すよりも、よっぽどいい。問題提起をすること──僕はそれが今後のプロモーションのやり方ではないかと思いますね。
鈴木 アートによる問いかけですね。カミソリメーカーにはカミソリを小型化する発想はあっても大きくするという発想はないので、横尾先生のアイデアには目からうろこです。巨大カミソリなんて、パブリックアートのようでもあるし、OOH(屋外広告)としての機能もあって、話題になりそうです。
横尾 僕の絵を入れるなんて、お遊びの精神から生まれた商品でもあるわけだから、その精神を徹底して、社会に拡張していったら面白いと思う。そうすると、カミソリが世界を変えたってことになるわけです。紙カミソリ®はすでに既存の概念を変えたかもしれませんが、そういった意識を持ってやるのとやらないのでは違うでしょう?
鈴木 本当にそうですね。今後の展開も何か考えていきたいです。
凶器と狂気
──横尾さんの絵には、首吊り縄など死を連想させるモチーフが度々登場します。カミソリも刃物ですから、カミソリで髭を剃る「ピンクガール」を描かれた際は、死の暗喩もあったのでしょうか?
横尾 描いているときはそんなことは考えていませんでしたが、カミソリというのは、確かに凶器ですよね。僕は、アートというものの根底には、どこか人間の無意識に内在する恐れや不安といったネガティブな要素があると考えていて、そういう意味で今回、絵とカミソリがうまく結びついたのかなと思う。ただ、それは結果論であって、最初から理屈をつけて具体化して作品にしていこうとすると、つまらないものになっちゃうんですね。
──鈴木さんは普段よく展覧会を訪れるそうですが、アートのどんなところに面白さを感じていますか?
鈴木 僕はつねづね、アートというものは狂気じみていると思っているんですが、展覧会に足を運ぶのは、狂気を補充しに行っているのかもしれません。直接的に恐ろしいシーンが描かれていることもあるけれど、そうでなくとも一度見たら忘れられない絵ってあるじゃないですか。あれはやっぱり、狂気を感じるからなんだと思います。昨今のデジタルを駆使した作品にもいいなと感じるものはたくさんありますが、絵画や彫刻を見に行くことのほうが多いのは、そこにある気配というか、存在感のようなものに惹かれているんだと思います。商業デザインをやっていると、どうしてもこれをつくってほしいと言われたものをつくることがほとんどで、デザインでその解を出していくのですが、アートはもっと自由なのではないでしょうか。だから僕にとっては、自由な発想を持つことを忘れないためにもアートを見ることはすごく大事なんです。
──貝印では、経営チームにデザイン責任者が参画し、商品開発の基準のひとつにデザイン性に優れていることが挙げられるなど、デザイン性を大切にされています。商品デザインを手がける際にどんなことを大事にしていますか?
鈴木 貝印はもともとポケットナイフの製造からスタートした会社なのですが、お客様の背格好を見て、用途などの話を聞いたうえで、その人に合った刃物を一つひとつ丹念につくる「野鍛冶の精神」がいまに受け継がれています。また、商品開発の条件には、デザイン性のほかに、独自性があり、特許に値し、ストーリーを持ち、持続可能であることを掲げているんです。先ほど横尾先生がおっしゃったように、刃物というものはともすれば誰かを傷つける凶器になりうるちょっと怖いものでもありますが、古代から人間の文明を進化させてきたものでもあって、その歴史はとても奥深いもの。そういった日本らしい神秘的な要素を、プロダクトデザインのなかでどこかにサインとして入れ込みたいといつも思っています。
横尾 そう言われてみると、この紙カミソリ®は極めて日本的でもありますね。折り紙のようでもあって、1枚の紙から鶴や兜を折ることにも似ている。デザイナーの三宅一生さんが、1枚の布から立体化したファッションを生み出したことにもどこか共通していると思います。きっと、西洋ではこういう感覚はあまりないと思いますね。
鈴木 今回のデザインでは、横尾先生の絵を立体的に配置するのが苦労した部分でもあったのですが、折り紙のように制約条件があるなかで最高のかたちをつくるというのは、確かに日本的ですね。じつは、紙カミソリ®は、「Origami Razor」というネーミングで海外へ輸出もしているんですよ。
横尾 いいですね。英語にならずにorigamiという言葉のまま使われているのは、海外にはないものという証しだからね。紙カミソリ®は、非常に伝統的でありながら、未来志向でもあり、しかも日常的に使えるっていうのがいいじゃないですか。
「使い捨て」から「使い残す」へ?
──先ほど鈴木さんが、貝印では持続可能な製品であることを大切にされているとおっしゃいましたが、最後に、環境問題に対する考えを伺いたいです。
横尾 こうやってお話ししていると、この紙カミソリ®は「使い捨て」と言いながら、捨てられないようにつくっているんじゃないかと思いましたね。だって、本当に捨てるんだったらもっと安っぽくつくったっていいじゃない? でもこれは「捨てたら困りますよ」と言わんばかりに主張していますから。
鈴木 それは初めて言われました(笑)。
横尾 だから、使い捨てじゃなくて、「使い残す」カミソリっていうのはどうかなあ。いまはなんでもかんでも断捨離の時代じゃないですか。ものがあふれてしまって、そのあふれたもので息苦しくなったから捨てましょうっていうことなんだろうけど、その捨てるという発想が「使い捨て」という言葉に結びついているようにも感じる。まるで美徳のように聞こえるけれど、僕は、使い残すという発想があってもいいんじゃないかと思うわけ。
鈴木 もともとカミソリを紙でつくるというアイデアには、売れるかどうかということよりも、プラスチックごみをなるべく削減し、環境に配慮した製品ができないかという考えがありました。貝印は創業当時から「人にやさしい刃物」ということを掲げているのですが、それは環境や地球にやさしいという意味でもあるんです。
横尾 いま、地球と人類は危機に立たされていると僕は思っていますが、どうしても、世の中はそうとらえていないと感じるんですね。文明という問題を考えなくちゃならないときに差しかかっているのに、世の中にはまだどれだけ売れるかという発想でつくられている商品のほうが多いんじゃないかな。でも、そういう意識を持ってものをつくるのと、持たずにただ商業主義的につくるのとでは、人類がこれからまったく違う方向へ向かっていくと思うんですよね。そういう意味では、この紙カミソリ®は非常に小さい世界観にも思えるけれど、大きい世界観とどこかで通じているような気がします。
鈴木 日用品の開発に携わっている身として、今後も日々のなかで問題意識を持って仕事をしていきたいと思います。つねに問いを持ちながらデザインするためには、アートという存在が非常に重要だと考えているので、横尾先生にいただいた「使い捨て」から「使い残す」という新たな問いに、向き合っていきたいと思います。