新たな写真新人賞「夜明け前|New Photography Award」始動。審査員たちが期待することとは?
写真によって新たな時代を切り開く表現者を発掘・支援するアワード「夜明け前|New Photography Award」が始動した。今回、審査員を務める写真家の鈴木理策、出版社・赤々舎代表の姫野希美、ベンチャーキャピタルANRI代表パートナーの佐俣アンリの3人に、アワード設立の経緯やそれぞれの思いを聞いた。
新たな表現者との出会い
──「夜明け前|New Photography Award」は、投資家である佐俣さんが中心となり創設されました。写真分野のアワードを創設したきっかけを教えてください。
佐俣 学生時代は「写真新世紀」「1_WALL」などのアワードで、どういった作家や作品が受賞したかを見るのが楽しみでした。現在はどちらも終了してしまい、写真家を目指す適切なステップアップの場所、新たな表現を見出す機能が失われ、寂しさを覚えると同時に、「これはチャンスがあるのかも」と感じました。本業でも、起業家や科学技術に携わる人を応援するために研究者向けの奨学金制度などを創設してきましたが、新しいカルチャーを生み出す人たちにリスペクトを表明できる場を探していました。ですので、本アワードの立ち上げはそれほど突飛なことではないんです。
──受賞者には支援金だけでなく、多彩なフォローアップが用意されています。姫野さんや鈴木さんは、これまでも新しい表現者に目を配り、応援してこられた印象があります。
姫野 そうですね。まだ世に出てきていない作家の本を出すのはリスクがあるけれど、これまでにないものを見たい気持ちから誘惑に負けてしまうというか、なぜか引き寄せられ、不可抗力を感じてしまうのです。それは新人に限らず、長年にわたり表現を積み重ねてこられた方も同じです。新しい挑戦をするとき、大きな転機、変わり目にあるときの作品がいちばん響いてくるもので、何か一緒にできないかと考えますね。
鈴木 私の場合は審査員に加え、学校で講義する機会も多いからでしょうか。以前、早稲田大学の非常勤講師を辞めた後、学生たちが自分の写真を発表する場や言葉をもらう場がないと言うので、しばらく写真を見る会を開催していました。そうして学生たちが集うと、よく陥るパターンであったり、自分も若い頃にそうでしたが、鑑賞者を気にして親切な写真を撮ってしまったり、そういったものが見えてきて興味深いです。学生たちと接していても、自分のほうが先輩だとは考えていません。道具も発表する場所もほぼ一緒ですから。けれど立場上、上から目線になってしまう危険性が高いので、それは気をつけるようにしています。
姫野 これまでもアワードの審査を通して出会った人と本をつくったり、仕事で関わったりする機会に恵まれました。「夜明け前」も、そうした場所になれる予感がしています。
鈴木 むしろ、これまでの傾向と対策が通用しないニュートラルなスタートになりますよね。昨日写真を始めた人からずっと続けている人まで、新しい表現に出会う場を欲している人も多いでしょう。そういったこともあり、今回のアワードには期待しています。
いまだからこその写真表現
──数々のアワードが終了するなか、写真表現の特性が変わってきているような感触はありますか。
鈴木 写真はカメラという機械があいだに入り、人の手から離れた表現になるため、絵画に比べると、全部を思い通りにはできません。いっぽうで、創造行為における実験が容易で、結果が出るのが早い。そうした写真の特性が取り柄になることも、表現者の足を引っ張ることもあります。それとうまく折り合ってきたのが写真の歴史と言えますね。
姫野 写真は目の前にあるものを撮りつつ、撮影者の視点や考えを写し出す。それは曖昧なようでいて、存在への眼差しや表現としての飛躍に結びつく力もあります。
佐俣 人類が誕生してから、いまがいちばん写真が撮られている時代ではないでしょうか。テクノロジーは飛躍的に進化して、2〜3歳の子供でもスマートフォンやタブレットで写真を撮ることができます。いまほど写真を語れる時代はありません。だからこそ創作のハードルが上がって、写真表現が停滞している感覚があり、とてももったいないと感じていました。
姫野 最近はAIの出現もあり、写真の意味についてネガティブに語られる向きもあります。ですが、いまだからこそ「写真とは?」という問いを通して、写真との関わりや表現がより深まる可能性があると思います。それを、作品を通じて考えていけたらよいですね。
佐俣 2〜3年前に「写ルンです」がリヴァイヴァルしましたが、今年はオールドiPhoneブームで、「写ルンです」と同じパンフォーカスのiPhone4で写真を撮る人がいるそうです。時代に好まれる表現が、写実とは違うところに向かって、若者に受け入れられているのが不思議ですよね。
姫野 それだけ自分のつくり出す像に興味がある、すごい時代ですよね。
「夜明け前」の頃から信じる
──「夜明け前」では、「テーマ、素材、手法、形態、サイズ、分量は自由」とし、写真の定義を設定していません。どういった応募作品が出てくるか、頭に浮かんでいるものはありますか。
鈴木 カメラで撮影してプリントした写真もあればスマートフォンで撮った写真で応募する人もいるかもしれませんね。
佐俣 技術の進歩によって、ある程度のクオリティは担保されているからこそ、撮影者に何が見えているかに意味がある。独自の見方をしている表現者、例えば文章を書いている人が写真を撮ったらどうなるのか、興味があります。撮りっぱなしでどんどん応募してくれたらと思います。とはいえ、この鼎談の内容を深読みすることで表現が狭まるのは本意ではありません。
姫野 そうですね。応募いただいたものと純粋に向き合いたいです。
鈴木 写真には撮影者の資質が絶対に出てしまいます。そのことに素直に、自信を持ってもらえたら。やりたいことが溢れ出ている写真には魅力があるし、かなわないんです。理屈でつくってしまうと理屈で負けますからね。
佐俣 様々な作品が登場して、「振り返ると5年前はこうだったね」と、その年ごとに評価・解釈できるものにしたいですね。応募者も審査員も、どちらも一生懸命に考えて、それが積み上がった後に意味が出てくるのではないでしょうか。
──「夜明け前」というアワードのタイトルには、どういった思いが込められているのでしょうか。
佐俣 どんなにすばらしい人や技術でも、誰も信じていないときは夜明け前のように薄暗いところにいる。その夜明け前の頃から信じて、振り返ると歴史に残る何かが生まれている。そこに仕事の価値を感じています。多くのYouTuberが所属するUUUM(ウーム)という会社を、創業時から約10年間応援していました。当初はいかがわしいものと言われ、テレビ局からの反発を受けながらも、スターが生まれて、50年ぶりに小学生がなりたい仕事が新たに誕生しました。表現する人の夜明け前の瞬間を信じられるのは、私としては誉れです。
アーティストのライヴでは、最前列ではなくライヴハウスの後ろで、推しが推されている状況も含めて全体を見ているファンがいるのですが、このアワードも、そういう存在にしたい。写真で新しい表現をする人たちが輝く姿を後方で穏やかに応援できるよう、長く続けていきたいですね。