美術手帖 2017年8月号
「Editor’s note」
7月15日発売の『美術手帖』 2017年8月号は、「荒木経惟」特集! 編集長・岩渕貞哉による「Editor’s note」をお届けします。
今号は「荒木経惟」特集をお送りします。5月25日に77歳を迎えた荒木の2017年は、彼の写真人生のなかでも特別な年になりそうだ。2013年には前立腺癌の影響から右目を失明。アラーキーの「私写真」も最終章を迎えつつあるように思えた。しかし、この2017年は、国内外で15を優に超える個展がおこなわれることになっており(しかもそのほぼすべてで新作を発表するという!)、写真家・荒木経惟の最盛期とでも言いうる勢いなのである。
本特集では、「2017年の荒木経惟」を展覧会出品作で見渡しながら、インタビューでは現在の「写真」や自身の制作にたいする心境に追っている。見ていて気付くのは、荒木がこれまで写真家として積み上げてきた、「私写真」「日記」「エロスとタナトス」「花」「書」……といった被写体やテーマ、手法が網羅されながらも更新されているということ。しかも、これまでの総決算というよりも、死の隣人となった荒木が新たに生まれ直すことで、さらなる写真人生の螺旋を描いているかのようなのだ。これは真に驚くべきことではないだろうか。
1971年に発表された、妻・陽子との新婚旅行の道程を撮影した写真集『センチメンタルな旅』の巻頭には、当時巷に氾濫する写真を「嘘写真」と看破し、「私小説」としての写真を宣言したテキストが載っている。その最後は、「私は日常の単々(ママ)とすぎさってゆく順序になにかを感じています。」という一文で締められている。それから半世紀あまり、現在の荒木経惟が、型にはまることなくますます自由を獲得しているのは、流れゆく時のなかで新しい日常に出会い続け、それを「複写」しているからにほかならない。
そして、「私、写真。」として“第二の宣言”をおこなう2017年、日々続けられている写真行為を連ねていった展覧会の「順序」になにがあるかは、いまはまだわからない。しかしそれは、そこから目を離すことができないものであることは間違いない。
2017.07
編集長 岩渕貞哉
(『美術手帖』2017年8月号「Editor's note」より)