こうして「かわいい」はつくられた。原田治の回顧展が世田谷文学館で開幕
シンプルな描線と爽やかな色彩が特色のキャラクターを描き、その後の日本の「かわいい」文化に多大な影響を与えた原田治。広告、出版、各種グッズなど、原田の多岐にわたる作品を紹介する、没後初となる展覧会「原田治 展 『かわいい』の発見」が世田谷文学館でスタートした。
原田治の名を知らなくとも、原田によって生み出されたキャラクターに見覚えがある方も多いのではないだろうか。ミスタードーナツのプレミアム(景品)や、カルビー「ポテトチップス」のマスコットキャラクター、そして東急電鉄の車窓に貼られる「ひらくドアにごちゅういください」と、クマが注意喚起するステッカー。
1970年代後半から90年代にかけ、女子中高生を中心に爆発的な人気を博した「OSAMU GOODS(オサムグッズ)」の生みの親でもある原田の没後初となる展覧会が世田谷文学館で幕を開けた。
担当学芸員の大竹嘉彦(世田谷文学館 主任学芸員)は、本展について次のように語る。「生前、原田治に関する展覧会はそのほとんどがOSAMU GOODSにフォーカスしたものでした。今回は、イラストのみならず趣味やパレットくらぶの活動など、原田さんの多面性を見せる初めての展覧会になっていると思います」。
原田は1946年東京・築地生まれ。幼少期から絵を得意とし、7歳のころから抽象画家、川端実のアトリエに通い始めた。青山学院中等部・高等部を経て多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、1年ほど欧米を遊学する。
幼少期から晩年期まで、原田の歩みをたどる本展。その会場冒頭では、原田が影響を受けたシーモア・クワストの作品と、各ページにイラストが描かれたメモ帳が展示されているが、ここではカラフルな壁紙にも注目してほしい。
本展のカタログや広報物などのアートディレクションを行う服部一成のアイデアだというこの壁紙。会場で実際にメモ帳に触れることができない代わりに、その中身を壁紙として楽しめるようにという意図によるものだ。
欧米から帰国した原田は、70年に雑誌『an・an』創刊号でイラストレーターとして実質デビューを飾る。自著『OSAMU GOODS STYLE』(ピエブックス、2004)のなかでは、「5年で約10種類の描写スタイルを編み出して、様々なタイプの需要に応じることができました」と当時を振り返っているが、初期はオールラウンドのイラストレーターを目指していたという原田の、多彩な筆致をここでは見ることができる。
『an・an』のみならず、原田は『ビックリハウス』『POPEYE』『BRUTUS』といった様々な雑誌の表紙のイラストレーションを手がけた。とくに雑誌『ビックリハウス』は、74年の創刊直後から表紙を頻繁に描き、記事中の連載なども担当。そのいっぽうでは書籍の表紙も数多く手がけ、それらの表紙では原田の従来的なイメージとは異なる抽象的な絵柄が新鮮な印象を残している。じつは中学生の頃から抽象画家になりたかったという原田の片鱗が見える一角でもある。
本展では原田の代名詞である「OSAMU GOODS」もじゅうぶんに堪能できる。マザーグースから着想を得たというOSAMU GOODSの代表的なキャラクターである男の子「ジャック」と女の子「ジル」、犬や猫が描かれたグッズの数々は、女子中高生を中心に爆発的な人気を博した。その人気は、会場に並ぶグッズの種類の多さからもうかがい知ることができるが、グッズとあわせて注目したいのは、OSAMU GOODSの貴重な原画。ここでは、修正液で調整された原田の線に対するこだわりを感じてほしい。
OSAMU GOODS以外にも、カルビーの「ポテト坊や」(通称)、日立のルームエアコン「白くまくん」、ECCジュニアや上野動物園のキャラクター、東急電鉄の注意喚起ステッカーのクマといったキャラクターも網羅的に紹介される会場。日常の様々な場所に原田によるイラストレーションが存在しているという驚き、そしてその息の長さを実感できるだろう。
冒頭で学芸員の大竹が語った原田の多面性は、その立体作品からも見ることができる。抽象画家の夢を断念し、イラストレーターへの道を進んだ原田は、多忙な日々の中でも抽象的な絵画やコラージュ、立体を制作を続けていたという。離島に自ら設計したアトリエで、自分のためだけの創作活動に時間を費やした原田。チャールズ・イームズのアトリエが意識された空間からは、一貫したセンスと美意識が伝わってくる。
原筆の絵画、イラストを中心とした約550点を通して、原田のキャラクターが宿す「かわいい」の秘密と多面性、そして原田が並走した70〜90年代カルチャーの栄華を堪能してほしい。