• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「シダネルとマルタン展 最後の印象派」が東京に。SOMPO…
2022.3.26

「シダネルとマルタン展 最後の印象派」が東京に。SOMPO美術館で見るふたりの画家の軌跡

19世紀末から20世紀前半にフランスで活躍した、アンリ・ル・シダネル(1862〜1939)とアンリ・マルタン(1860〜1943)。「最後の印象派」とも称されるふたりの画家の生涯を追う展覧会「シダネルとマルタン展 最後の印象派」がSOMPO美術館で開幕した。

展示風景より、右がアンリ・マルタン《腰掛ける少女》(1904以前)
前へ
次へ

 19世紀末から20世紀前半にフランスで活躍したふたりの画家、アンリ・ル・シダネル(1862〜1939)とアンリ・マルタン(1860〜1943)。ふたりは「最後の印象派」とも称され、互いに交流をしながらそれぞれ独自の画風を築き上げていった。

 このふたりの画家をあわせて紹介する展覧会「シダネルとマルタン展 最後の印象派」が、東京・新宿のSOMPO美術館で開幕した。会期は6月26日まで。なお、本展は2019年9月から10月にひろしま美術館で、昨年11月から今年1月にかけては山梨県立美術館で開催された。

展示風景より、右がアンリ・マルタン《野原を行く少女》(1889)

 本展は9章構成で、シダネルとマルタンが画家としての名声を高め、交友を深めながら画風を確立していった生涯をたどるように紹介する展覧会だ。両者の同時代性や共通点とともに、その差異にも着目した展示が目指されている。

展示風景より、左からアンリ・ル・シダネル《ジェルブロワ、雪の広場》、《ジェルブロワ、花咲く木々》(ともに1902)

 第1章「エタプルのアンリ・ル・シダネル」では、1885年から港町・エタプルに滞在したシダネルが、牧歌的な日常の描写と光の揺らめきを追求しながら画風を確立していった時期の作品が展示されている。散策する孤児たちを神秘的な空気感で表現した《ベルク、孤児たちの散策》(1888)や、砂丘にいる若い羊飼いたちを叙情的に描いた《エタプル、砂地の上》(1888)などの作品を通して、エタプルの光をシダネルがいかにとらえていたかを知ることができる。

展示風景より、右がアンリ・ル・シダネル《ベルク、孤児たちの散策》(1888)
展示風景より、左からアンリ・ル・シダネル《エタプル、満潮》(1889)、《エタプル、砂地の上》(1888)

 第2章「象徴主義」では、ともに象徴主義に影響を受けながらも、それぞれ異なるアプローチで作品を制作したシダネルとマルタン両者の作品を紹介する。マルタンの《腰掛ける少女》(1904以前)や《青い服を着た少女》(1901〜10頃)、《オデット》(1910頃)など、少女たちを柔らかい光とともに幻想的な雰囲気で描いた少女像からは、早くに世間に認められたシダネルの作品の求心力を感じることができる。

展示風景より、左がアンリ・マルタン《腰掛ける少女》(1904以前)
展示風景より、左からアンリ・マルタン《青い服を着た少女》(1901〜10頃)、《オデット》(1910頃)

 いっぽうのシダネルは、マルタンに比べると控えめで静けさをたたえた人物像を残している。同じ象徴主義に影響を受けながらも、両者が異なるかたちで作家性を育み、自身の画風を確立していったことがわかる展示となっている。

展示風景より、左からアンリ・ル・シダネル《エタプル、河口に立つ少女》(1892頃)、《ドゥエ、横向きの少女》(1892)

 第3章「習作の旅」は、シダネルがヨーロッパ各地を旅しながら自らの作風を洗練させ、評価を高めていった時代の作品を展示する。とくに注目したいのは夜の街並みを描いた作品だ。生涯にわたって人々の生活を情感豊かに描いたシダネルだが、夜の家に灯った窓灯りを印象的に描くなど、風景画ながらも人間のぬくもりを感じさせる作品が多く見られる。

展示風景より、左からアンリ・ル・シダネル《サン=トロペ、税関》(1928)、《ブリュッセル、グラン=プラス》(1934)
展示風景より、右がアンリ・ル・シダネル《アルフルール、雪景色》(1916)

 第4章「アンリ・マルタンの大装飾画のための習作」ではマルタンの大装飾画に焦点を当てる。マルタンは早くに才能を認められ、公共建築をはじめとした大規模な装飾画のも依頼されるようになる。会場ではこうした装飾画の習作を展示することで、労働をする人々を明るい色彩で描くといった、マルタンの当時は斬新だった作風を知ることができる。また、会場ではパリにある「フランス国務院」の大装飾画の解説も展示。習作とともにいまも残るこの装飾画の概要をとらえることが可能だ。

展示風景より、「フランス国務院」の装飾画の解説と習作
展示風景より、左がアンリ・マルタン《農業[フランス国務院(パリ)の装飾画のための習作]》(1918)
展示風景より、《ガブリエルと無花果の木[エルベクール医師邸の食堂の装飾画のための習作]》(1911)

 第5章「ジェルブロワのアンリ・ル・シダネル」と第6章「ラバスティド・デュ・ヴェールのアンリ・マルタン」では、ふたりの画家がそれぞれフランスの田舎町に住み、表現を成熟させていった時代の作品が紹介される。

 シダネルはパリの北にあるジェルブロワの街に土地と家を手に入れ、バラ園をつくった。現在、ジェルブロワの街はバラが代名詞となっているが、シダネルの絵画にもバラが多く登場する。人物の姿は鳴りを潜め、いっぽうで静物を中心とした食卓を描くようになったシダネル。こうした静物を描きながらも、洗練された光の表現によって、人の気配とも言い表せるような温かみを表現することに成功している。

展示風景より、左からアンリ・ル・シダネル《ジェルブロワ、離れ屋の前の小卓》(1935)、《ジェルブロワ、青い食卓》(1923)
展示風景より、アンリ・ル・シダネル《ジェルブロワ、テラスの食卓》(1930)

 いっぽうのマルタンは南フランスのラバスティド・デュ・ヴェールで橋、川、丘、村など多様な題材を描いた。タッチも細かな点描から、線的な表現へと変化しており、光と色をより豊かになっていることが見て取れる。

展示風景より、左からアンリ・マルタン《池》(1910以前)、《マルロケル、秋の蔓棚》(1910-1920頃)
展示風景より、右がアンリ・マルタン《マルケロル、テラス》(1910-1920頃)

 第7章「ヴェルサイユのアンリ・ル・シダネル」ではシダネルが王家の街であるヴェルサイユで創作した時代を、第8章「コリウールとサン・シル・ラポピーのアンリ・マルタン」では複数の村に邸宅を購入したマルタンが多様なモチーフに挑戦していった時代を扱う。

 新たにヴェルサイユに居を構えたシダネルは、城と庭園をモチーフに同地で120点ほどの作品を残した。壮大なヴェルサイユの噴水も、シダネルの手によって温かみのある親しみやすい絵画となっていることなどが展示からは感じられる。

展示風景より、右がアンリ・ル・シダネル《ヴェルサイユ、月夜》(1929)
展示風景より、左右ともにアンリ・ル・シダネル《ヴェルサイユ、噴水》(1937)

 いっぽうのマルタンは、すでに画家として大きな成功を収めており、中世の村・サン・シル・ラポピーと、南フランスの海沿いの村・コリウールに家を購入。それぞれの土地を題材に作品を残した。作品もより深い成熟をうかがわせ、とくにコリウールの海辺の風景は、複雑な光の表現に挑んだ画家・マルタンの作家としての完成形を見て取れるだろう。

展示風景より、左からアンリ・マルタン《コリウール》(1923)、《岩々》(1925〜35)
展示風景より、左からアンリ・マルタン《コリウール、港と城》(1925-1935頃)、《窓際のテラス》(1925頃)

 最後の第9章「家族と友人の肖像」では、シダネルとマルタンそれぞれが描く家族の肖像画を展示。シダネルもマルタンも肖像画家として著名なわけではなかったため、これらの作品は家族や親族、友人といった身近な人々への個人的な眼差しが強く現れているといえる。ふたりの画家が周囲の人々といかなる関係を結んでいたのかを伺える、温かな眼差しに満ちた作品群といえよう。

展示風景より、左からアンリ・マルタン《緑の椅子の肖像、マルタン夫人》(1910)、《池の前の自画像》(1920-1930頃)
展示風景より、左からアンリ・マルタン《シモーヌ・ル・シダネルの肖像[カオールの《戦争記念碑》のための習作]》、《アンリ・ル・シダネルの肖像[カオールの《戦争記念碑》のための習作]》(ともに1931頃)

 19世紀から20世紀という絵画の潮流が目まぐるしく変化した時代において、印象派の系譜を引き継ぎながら独自の道を切り開いていったシダネルとマルタン。ふたりの作家のたしかな足取りを、本展で感じてみてはいかがだろうか。