緻密なボタニカル・アートの世界。SOMPO美術館でイギリスの食文化を学ぶ
食用となる植物を描いた「ボタニカル・アート(植物画)」を紹介する展覧会がSOMPO美術館でスタートした。ボタニカル・アートの版画に加え、古いレシピや、食卓を飾るティー・セット、グラス、カトラリーなどの資料を通じてイギリスの歴史と文化をたどる。
野菜や果物をはじめ、コーヒー、茶、カカオ、ハーブ、スパイスなど、食用となる植物を描いた「ボタニカル・アート(植物画)」を紹介する展覧会「おいしいボタニカル・アートー食を彩る植物のものがたり」が、SOMPO美術館で開幕した。
ボタニカル・アート(Botanical Art)とは、薬草学や植物学など科学的研究を目的として、 草花を正確かつ緻密に描いた「植物画」のことを指す。17世紀の大航海時代、珍しい植物を追い求めたプラント・ハンターたちの周辺で多くのボタニカル・アートが描かれ、専門の画家も活躍し急速に発展した。18世紀以降は科学的な目的に加え、芸術性の高い作品も描かれるようになった。
本展は、イギリスのキュー王立植物園の協力を得て実現したもの。モタニカル・アートの版画に加え、古いレシピや、食卓を飾るティー・セット、グラス、カトラリーなど、食にまつわる資料類も展示されており、ボタニカル・アートを通じてイギリスの歴史と文化を紐解く。
開幕にあたり本展の担当学芸員・小林晶子(SOMPO美術館 上席学芸員)は、「じつは個々の作品に1冊の本が書けるくらい、様々な物語がある」としつつ、「とくにイギリスは、食べ物に関してあまり関心のない国と思われがちなのだが、ご覧になるとわかるように食材を集めるためには様々な歴史があり、そのなかにも、苦労した冒険や奴隷制度なども含まれている」と話している。
世界遺産に登録されているキュー王立植物園は、世界最大級のモタニカル・アートのコレクションを所蔵している。同施設のキュレーターであるリン・パーカーは、そのコレクションの主な機能は「科学的なもので、基本的には調査研究が目的であり、植物学者たちが植物の種類を決定し、同定するために定期的に使用している」と紹介。植物学において植物の描写は、伝統的な絵画や素描によって行われてきたが、デジタル写真の時代になっても、植物学者は新種を紹介するための重要なツールとして手による描写を続けているという。
展覧会は、プロローグを除いて6章構成となっている。プロローグ「食を支える人々の営み 農耕と市場」では、タイトルが示すように「農耕」と「市場」を描いた一連の絵画作品が紹介されている。
イギリスでは原生の植物が少なく、同地由来の野菜の種類も数が限られている。現在のイギリスやヨーロッパでよく食べられる食材の多くは、植民時代に伝えられたものだとされている。例えば、中央アフリカが原産で、初めは植民地の労働力である奴隷の食料として栽培され、後に小麦に代わる庶民の食べ物として紹介されてきたトウモロコシや、南アフリカからヨーロッパに伝わったトマトやライ豆などがある。こうした現在のイギリスの食卓でごく普通に見られている様々な種類の野菜を描いた作品は、第1章「大地の恵み 野菜」に集まっている。
第2章「イギリスで愛された果実 『ポモナ・ロンディネンシス』」では、キュー・ガーデン(後のキュー王立植物園)の初代専属植物画家ウィリアム・フッカーによる果樹学の著作『ポモナ・ロンディネンシス』に注目する。
同作は、フッカーがロンドン近辺で栽培されている果物を取り上げ、個々の品種について手彩色された銅版画の図版を解説文とともに紹介するもの。図版には49点が収録されており、そのうちヨーロッパでもっとも親しまれている神聖な果物のひとつであるリンゴ(13)や、洋ナシ(8)、プラム(7)、モモ(5)などが取り上げられている。本展では、そのうち40点が展示されている。
第3章「日々の暮らしを彩る飲み物」では、現在イギリスの食生活に欠かせない飲み物をセクションごとに紹介している。17世紀前半に中国から伝えられた茶、イスラム諸国の聖職者を中心に眠気覚ましとして飲まれていたコーヒー、南アフリカ原産でスペイン人によってヨーロッパに伝えられたカカオ、東南アジア原産で上記の3つの飲み物に共通する砂糖の原料であるサトウキビ、そしてイギリスでは日常的に飲まれてきた様々な種類のアルコールの原料を描いた作品とともに、それぞれの飲み物にまつわる歴史や物語のテキスト、飲むための容器セットなどが並んでいる。イギリスの国民的な飲み物の由来や発展を知る絶好の機会だ。
第4章「あこがれの果物」では、オレンジやレモンなどの柑橘類をはじめ、ブドウ、スイカ、ザクロ、モモなど異国産のエキゾチックな果物の作品を紹介。第5章「ハーブ&スパイス」では、治療薬や保存料として活用されたハーブや、料理の風味を高めるために使われたスパイスなどを描いた図版が並ぶ。
最後の第6章「ブレジア=クレイ家のレシピ帖と『ビートン夫人の家政読本』」では、一般的な料理の調理法や野菜の保存のしかた、家事のヒントが記載された18世紀のブレジア=クレイ家のレシピ帖や、1861に出版された中産階級の主婦向けの『ビートン夫人の家政読本』が展示。加えて、『ビートン夫人の家政読本』に掲載されているディナー・テーブルを参考に、ヴィクトリア朝における6人用のダイニング・テーブルのセッティングも再現されており、当時の食文化を身近に感じることができる。
本展の出品作品について前出のパーカーは、「現在、私たちは世界中のどこからでも、いつでも好きな食べ物を手に入れられる。しかし、本展の作品が描かれた当時、これらの描かれた植物は、とくにヨーロッパの人々の目には、なんと異国情緒あふれるものに写ったことだろう」とし、「食用植物は私たちの生活に不可欠であるだけでなく、象徴的、文化的にも重要であり、私たちの生活の多くの美意識や祝祭に欠かせないものだ」と述べている。
また小林は、本展を通してボタニカル・アートを楽しみつつ、「その背景にある歴史や文化も合わせてご覧いただき、見終わってから、例えば、紅茶を飲むときに『こういう背景や文化歴史があったのだ』というように、思い返すような展覧会になれば」と期待を寄せている。
いまでこそ見慣れたものだが、当時の植物学者や画家が斬新で驚きの気持ちで描いたボタニカル・アート。本展を手がかりに、イギリスの歴史と食文化を知りつつ、いま私たちが愛する食べ物について改めて考えてみてはいかがだろうか。