粟津潔の邸宅がアートスペースに。次代への継承目指す
日本の土着的な風土を想起させるモチーフやイメージをもとに、独自のデザインを貫いたグラフィックデザイナー・粟津潔。その自宅兼アトリエが、アートスペースとして新たなスタートを切った。
戦後日本のグラフィック・デザインを牽引した粟津潔(1929〜2009)。川崎市にあるその自邸兼アトリエが、アートスペースとして生まれ変わった。
粟津は独学で絵とデザインを学んだグラフィックデザイナー。1955年のポスター作品《海を返せ》が日本宣伝美術会賞を受賞し、書籍の装丁や劇場のポスターを数多く手がけた。また60年には黒川紀章、菊竹清訓らとともに建築運動「メタボリズム」を結成するなど、グラフィックデザインにとどまらない活動を見せたことでも知られている。
そんな粟津の自邸兼アトリエは、京都駅や梅田スカイビルなどで知られる建築家・原広司が設計したもの。かつて粟津が編集長を務めた雑誌『デザイン批評』で原と出会い、共鳴したことからこの建築が誕生したという。
建築は全フロアを貫く階段を中心とした、シンメトリックなデザイン。入口から下へと降りていく構造となっており、左右に設けられた部屋が「展示室」のように独立しているのが特徴だ。また原建築の特徴である開口部が随所に設けられ、外光を取り込んだ室内は非常に明るい。
粟津の息子であり現在の同邸所有者である粟津ケンによると、建物内部は竣工当初の姿に近づけるべく改修されており、1972年竣工とは思えない新鮮さをいまに伝えている。
粟津ケンは、この邸宅をアートスペースに変えた理由を、次のように語っている。「建物は立派でも、その内部で何も起こっていないと意味がない。作品制作ができ、人々が交流するというかたちで50年前にスタートしたこの家を、現代に蘇えらせたかった」。
スペースのこけら落としは、アフリカのジンバブエにルーツを持つアーティスト・吉國元の個展「吉國元 根拠地 粟津邸ではじまる」が飾った(9月9日〜10月29日)。今後も若手作家を中心とした発表の場にしていきたいと粟津は語る。「建築は人が住むときとパブリックに開くときとでは雰囲気がまったく違う。これからはここをパブリック・スペースにし、次世代にいかに継承するかが課題だ」。