「木村伊兵衛 写真に生きる」(東京都写真美術館)開幕レポート。いま、あらためて知りたい巨匠の眼
東京・恵比寿の東京都写真美術館で写真家・木村伊兵衛(1901〜1974)の展覧会「木村伊兵衛 写真に生きる」が開幕した。会期は5月12日まで。
東京・恵比寿の東京都写真美術館で、日本写真史において大きな足跡を残した写真家・木村伊兵衛(1901〜1974)の没後50年を機に、その活動をふり返る展覧会「木村伊兵衛 写真に生きる」が開幕した。会期は5月12日まで。
木村伊兵衛は東京・下谷の紐職人の家に生まれ、1924年に自宅で写真館を開業。29年には花王石鹸の広告部門で写真家として活動を開始し、雑誌『光画』に発表した下町のスナップショットで評判を得る。以降はライカ使いの名手として活躍し、50年には日本写真家協会の初代会長に就任。土門拳とともに戦後の「リアリズム写真」の運動を推進した。
本展は全7章でそのキャリアの全貌をふり返るものだ。加えて、近年発見された生前最後の個展「中国の旅」(1972〜73、ニコンサロン)のオリジナルプリントも公開する。
第1章「夢の島 沖縄」は、1935年に東京で開催された民俗舞踊大会で琉球舞踊を初めて見た木村が沖縄に惹かれ、同年滞在した際に撮られた写真群を展示。
自らを「報道写真家」として位置づけた木村だが、本シリーズでは第二次世界大戦において激戦地となる前の、沖縄の市井の人々の生活が詩情豊かに記録されている。生涯にわたり木村の写真に宿っていた、古の文化とのつながりに向けた、郷愁のまなざしがよく伝わってくる。
第2章「肖像と舞台」は、木村の撮影した著名人たちのポートレイトや舞台写真を中心に展示。
木村は幸田露伴、泉鏡花、谷崎潤一郎、久保田万太郎、永井荷風、横山大観といった文化人から、大内和江、高峰秀子、六代目尾上菊五郎、河原崎長十郎といった銀幕や舞台のスターまでを写している。いずれの写真からも、日常生活のなかで人が見せる自然な表情が見え隠れしており、その内面まで写し取ろうという木村の姿勢が見て取れる。
第3章「昭和の列島風景」は、木村が都市の日常風景をスナップした作品を紹介。とくに終戦直後の東京のヤミ市や焼け跡で家を探す復員兵の写真などは、歴史の1ページを切り取ったものとして高い価値が感じられる。
また、この章で注目すべきは、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真と出会い、木村がより「決定的瞬間」を意識した写真を撮影するようになったことだ。とくに《本郷森川町》はこの時期の木村の作品を代表する1枚として知られている。交差点を行き交う人々は年齢も職業もバラバラであるが、そのいずれもが視線を交わらせていない。もう二度と出会わないであろう人々が邂逅したという「決定的瞬間」が焼きつけられている。
第4章「ヨーロッパの旅」と第5章「中国の旅」では、パリと中国という木村が生涯にわたり興味の対象とし続けた場所で撮られた写真が並ぶ。
とくにパリでの木村は、ブレッソンやロベール・ドアノーとの出会いもあり、自らの写真への姿勢を再確認したという。街の持つ空気そのものを人々とともにとらえようとした、木村の軌跡を楽しみたい。
第5章で注目したいのは昨年末に発見された、木村が最後まで取り組み、自身が監修した個展「中国の旅」で展示されたオリジナルプリントだ。プリントには経年変化も見られるが、木村の意向を忠実に反映したオリジナルプリントとして、大変貴重なものといえるだろう。
第6章「秋田の民俗」は、1952年に訪れて以来20年間にわたって木村が通った秋田での写真を展示。北国の人々の人情や、農民の暮らしを情感を込めて撮影しており、広く知られる《秋田おばこ》の写真も、こちらで見ることが可能だ。
最後となる第7章「パリ残像」は、カラーフィルムによる木村の表現を知ることができる章となっている。木村は「日本人が見た色彩表現」に意欲的に取り組んだとされており、とくに夕闇の迫るコンコルド広場や、霧の夜のモンパルナスといった写真は、暗がりのなかに色彩の妙を見出していることが見て取れる。
木村伊兵衛という名は多くの人が知っているが、その作歴を実際のプリントを通してたどる機会は貴重だと言えるだろう。有名作品を楽しむだけでなく、新たな発見も多い展覧会となっている。