「ブランクーシ 本質を象る」(アーティゾン美術館)開幕レポート。日本初の包括的回顧展
20世紀彫刻の先駆者であるコンスタンティン・ブランクーシの創作活動の全体を日本の美術館で初めて紹介する展覧会「ブランクーシ 本質を象る」が、東京・京橋のアーティゾン美術館で開幕した。会期は7月7日まで。
20世紀彫刻の先駆者と評される彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ(1876〜1957)。その創作活動の全体を紹介する日本初の展覧会「ブランクーシ 本質を象る(かたどる)」が、東京・京橋のアーティゾン美術館で始まった。会期は7月7日まで。担当学芸員は島本英明。共同キュレーターはジェローム・ヌートル。
ブランクーシはルーマニア・ホビツァ生まれ。ブカレスト国立美術学校に学んだ後、1904年にパリに出て、ロダンのアトリエで助手となった。しかし短期間で離れ、独自に創作に取り組み始める。その特徴は、アフリカ彫刻など非西欧圏の芸術に通じる野性的な造形と洗練されたフォルムであり、同時代および後続世代の芸術家に多大な影響を及ぼしている。
本展は、日本の美術館で初めて行われる包括的なブランクーシ展。会場には初期から後半期まで23点の彫刻作品を中核に、89点の作品が並ぶ。
アカデミックな写実性やロダンの影響をとどめた初期から、対象のフォルムをそのエッセンスへと還元させていく1910 年代、そして、「鳥」に代表される主題の抽象化が進められる1920 年代以降の作品まで、彫刻家・ブランクーシの歩みをうかがうことができる構成だ。島本は、「ブランクーシの作品をまとまった数を見せるのは難しい」としつつ、本展はキャリア初期の作品が充実していると語る。
展示は、アーティゾン美術館のコレクションを代表するブランクーシ作品《接吻》(1907-10)の前後に当たる、形成期の作品から始まる。ブランクーシが一足飛びにモダンな彫刻に到達したわけではなく、アカデミック(制度的)な美術からそのキャリアをスタートさせたこと、そして、短期間で大きく表現を変えていったことが理解できるだろう。
《眠る幼児》(1907)は、頭部を独立させるモチーフの変化の出発点であり、伝統的な台座の排除、重力からの解放を伝えるものだ。こうした形式は、仮面を思わせる造形をたたえた《眠れるミューズ》(1910-11頃)にも引き継がれた。インドや東アジアの仏頭からの影響がうかがえる本作から、ブランクーシは卵形のフォルムへと向かうことなる。
本展では、あらゆるものが白で統一されていたというアブランクーシのアトリエをイメージした空間も見どころだ。アトリエの天窓から降り注ぐ陽光は、リアルタイムの時間と同期する照明によって表現され、長時間滞在すれば、美術館の中にいながら光の移ろいを感じることができるだろう。床も真っ白にすることで、光あふれる空間が実現されている。
彫刻作品は《空間の鳥》(1926)で締め括られる。ブランクーシは「神話に登場する概念的な存在としての鳥」(公式図録 P76より)に強い関心を持っていた。またブランクーシはパリのグランパレで行われた航空博覧会を訪れており航空機にも関心を向けていたという。こうした関心と経験によって、1910年代から「鳥」の主題を本格化させ、「空間の中の鳥」シリーズへと結実していった。しなやかな円弧を描く《空間の鳥》はそのうちのひとつであり、地表から空へと飛び立つ運動(飛翔)そのものに焦点を当てた傑作だ。
本展は彫刻以外にも見所が多い。それがブランクーシによる絵画や写真作品だ。なかでも写真は53点にもおよぶ。
ブランクーシは1914年頃から自らの手で作品写真を撮影していた。コレクターに対して見せるためだけでなく、自らの彫刻作品を「イメージ」として再解釈するための、「第二の創作」(公式図録P94より)として活用していたというブランクーシ。本展では、彫刻とあわせ鏡のような存在として展示されており、じっくり鑑賞してほしい。
また会場にはマルセル・デュシャンやイサム・ノグチなど、ブランクーシと関係のあったアーティストの作品も随所に展示。なかでもデュシャンはブランクーシのアメリカにおける評価に貢献した人物であり、本展でも「裏テーマ」(島本)に位置づけられるという。
なお、本展会場にはキャプションがない。島本によると、ここには「作品の物質性にフォーカスしてもらいたい」という意図があるという。それは「ブランクーシ 本質を象る」という本展タイトルともリンクするようだ。