特別展「雪舟伝説─『画聖(カリスマ)』の誕生」(京都国立博物館)開幕レポート。「雪舟」への憧れのありかを探る
雪舟が後の世の絵師たちにいかに参照され、「画聖(カリスマ)」として神格化されていったのかを探る特別展「雪舟伝説─『画聖(カリスマ)』の誕生」が、京都国立博物館で開幕した。会場をレポートする。
特別展「雪舟伝説─『画聖(カリスマ)』の誕生」が、京都・七条の京都国立博物館 平成知新館で開幕した。会期は5月26日まで。担当は同館主任研究員の福士雄也。
日本の美術史上、もっとも重要な画家のひとりといわれる雪舟(1420〜1506)。6件もの作品が国宝に指定され、名実ともに日本の美術史における最重要人物であるといえるだろう。しかし、こうした雪舟の位置づけは、後の世の絵師たちが雪舟を指標とし、模写などを通してその評価を高めていったからこそ生まれた。
本展は、雪舟がいかにして後続の絵師たちに評価されて「伝説」となったのかを、長谷川等伯、狩野探幽、曾我蕭白、伊藤若冲といった後続の絵師たちの作品と、雪舟の国宝6点とを比べることで探るものだ。
国宝7件と重要文化財15件を含めた87件を展示し、総勢30名を超える画家たちが共演する本展は、7章で構成される。
第1章「雪舟精髄」は、通期で雪舟によって描かれた国宝6件を一堂に展示することで、現在における雪舟の評価を再確認する章だ。雪舟画としてはもっとも名高いといえる東京国立博物館の《秋冬山水図》をはじめ、《破墨山水図》《山水図》《四季山水図巻》《天橋立図》《慧可断臂図》の全6点の国宝雪舟が揃い、雪舟という存在の大きさを余すことなく伝えてくれる。
第2章「学ばれた雪舟」は、現代において高く評価される雪舟作を第1章で示したのに対し、かつてはいかなる作品が雪舟のものとして受容されていたのかを考察する。
現代においては雪舟の代表作を一望することは容易だが、江戸時代には秘蔵されており見ることが叶わなかった作品も多い。また、現代においては雪舟作とされないものも、雪舟のものとして大いに鑑賞されたという状況もあった。本章ではこうした現在とは異なる雪舟の受容のされ方を紐解いていく。
例えば近世以降、雪舟の画としてもっとも広く人口に膾炙した伝雪舟《富士三保清見寺図》や、狩野探幽が高く評価し以後の江戸狩野派にとって重要な規範となった伝雪舟《琴棋書画図屏風》などは、その典型といえるだろう。
第3章「雪舟流の継承─雲国派と長谷川派─」では、弟子への継承という点では長く続かなかった雪舟の画系を再生させた、雲谷等顔や長谷川等伯と、そこに連なる系譜を紹介する。
等顔の子である雲谷等益の筆による《四季山水図巻(山水長巻副本)》は、雪舟筆《四季山水図巻(山水長巻)》の模写であり、雲谷派において雪舟の作品が受け継がれ、重要な役割を果たしていたことを物語る。
等伯の《山水図襖》は各所に雪舟の画風を等伯が学んだ功績が見られ、《秋冬山水図》や《倣夏珪山水図》、《四季花鳥図屏風》といった雪舟作品との類似が見て取れる。
第4章「雪舟伝説の始まり─狩野派の果たした役割─」は、近世における雪舟神格化にもっとも大きな役割を果たした狩野探幽と江戸時代の狩野派の系譜を辿る。
雪舟からの影響が強く見て取れる探幽の《山水図屏風》(17世紀)をはじめ、安信、山雪、尚信、常信といった狩野派の絵師たちが、雪舟という絶対的な示準をもとに作品を制作していた様を本章では知ることができる。
第5章「江戸時代が見た雪舟」では、江戸時代における雪舟の受容を探るため、当時流通していた雪舟画(とされるものも含む)とともに、雪舟の狩野派による受容を考える。
ここでは雪舟の《四季山水図巻》と、同作を深幽や狩野古信が模写したものを比較しながら展示するなど、狩野派がいかにして雪舟に学び、そして神格化していったのかを知ることができる。
第6章「雪舟を語る言葉」は、雪舟について書かれたり語られたりした書を紹介。雪舟についての言説が文字により形成されることで、その存在感はいっそう増すこととになった。
最後となる第7章「雪舟受容の拡大と多様化」は、江戸時代中期以降、多様化しながらも引き継がれ拡大していく雪舟の評価を紹介する。
江戸時代は、伝雪舟の《富士三保清見寺図》の図様を映したり、引用した画が多数生まれた。山本探川、曾我蕭白、桜井雪館、司馬江漢、狩野永岳などが、三保の松原から駿河湾越しに望む富士山を、同作の影響のもと描いた。
本章ではほかにも、酒井抱一や伊藤若冲、勝川春草、葛飾北斎、狩野芳崖といった名だたる絵師たちを雪舟との影響関係を加味しながら紹介。雪舟が江戸時代を通していかに強い影響力を持っていたのかがわかる章となる。
誰もがその名を知り、日本美術史において高く評価され続けている雪舟。しかし、なぜ雪舟が評価されるのか、雪舟のどこが絵を描く者を引きつけてきたのかは、まとめて語られてこなかった。本展は雪舟評価という軸をもって、その実像にあらためて迫る意欲的な展覧会といえるだろう。