2024.9.28

特別展「石岡瑛子 I デザイン」(兵庫県立美術館)開幕レポート。いま、現代を生きる石岡瑛子の仕事を見る

神戸の兵庫県立美術館で、デザイナー/アートディレクターの石岡瑛子(1938~2012)のデザインを中心とした仕事を振り返りながら、今日にも通じるその仕事をたどる特別展「石岡瑛子 I デザイン」が開幕した。会期は12月1日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、「2幕|あの頃、街は劇場だった ―1970's 渋谷とパルコ、広告の時代―」
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 神戸の兵庫県立美術館でデザイナー、アートディレクター、石岡瑛子(1938~2012)のデザインを中心とした仕事を振り返りながら、今日にも通じるその特別展「石岡瑛子 I デザイン」(兵庫県立美術館)が開幕した。会期は12月1日まで。

 本展は北九州市立美術館茨城県近代美術館からの巡回で、今後も島根県立石見美術館富山県美術館へ巡回する予定だ。監修は作家/編集者の河尻亨一が、同館の担当は学芸員の林優が務めた。

河尻亨一

 担当の林優は本展について次のように語った。「回顧展ではなく、いまこの場所に石岡瑛子がいる、ということを目指した展覧会。ぜひ、いまを生きる人に多くのものを持ち帰っていただければ」。

展示風景より、会場入口

 石岡は1961年、資生堂宣伝部に入社。前田美波里を起用したポスターなどで頭角を現し、独立後は1970年代にはPARCO、角川文庫など時代を揺るがす数々のキャンペーン、ファッションショーの演出、書籍デザインなどを手がける。1980年代初頭に活動の拠点をニューヨークに移して以降は、美術および衣装デザインなど、さらにボーダーレスに仕事の領域を広げ、舞台「M.バタフライ」でニューヨーク批評家協会賞、アルバム「TUTU」でグラミー賞、映画「ドラキュラ」でアカデミー賞を受賞するなど世界的評価を得た。

展示風景より、「2幕|あの頃、街は劇場だった ―1970's 渋谷とパルコ、広告の時代―」

 本展は石岡のクリエイションの核となっていた「I=私」に5章構成で迫るもの。「1幕|知性と品性、感性を磨く」では、大学卒業後の石岡が、新たな女性像をデザイナーとして提示し、その名が広く知られるようになるまでをたどる。

 石岡が資生堂宣伝部で働き始めた時代は、まだ働く女性が少なかった時代だ。この時代の石岡の姿勢を象徴する1枚が、前田美波里を起用したサマーキャンペーンのポスターだ。ポスターが持ち去られるほどの熱狂的な支持を得た本作によって、石岡は評価を固めた。

 本作は日本で初めて、ハワイでのロケを慣行したポスターであり、当時の日米のレートからしても、まさに資生堂の社運をかけたキャンペーンだった。常夏のハワイでモデルである前田は生き生きとした表情を見せ、これまでの広告における人形のような女性のイメージを破壊することに成功している。

 本展監修の河尻はこのポスターについて「前田のポーズがポイント」だと語る。「じつは、もとは周囲の風景を含めて写した、引きの写真であったものを大胆に前田だけトリミングしている。せっかくのハワイロケなのに、それらしいモチーフが入っているわけではない。それでも、この迫力のあるポーズを焦点化することを石岡は選んだ。そこに石岡のすごさがある」。

 「2幕|あの頃、街は劇場だった ―1970's 渋谷とパルコ、広告の時代―」は、石岡が広く活躍するようになった70年代の仕事を振り返る。

展示風景より、角川書店のポスター

 この時代の石岡の仕事として代表的なのは、PARCOの一連のポスターだろう。70年代初頭、まだ登場したばかりのPARCOは当時珍しかったテナントビジネスであったため、自社が用意した商品を積極的に紹介するという従来の百貨店のモデルとは異なり、イメージを伝えるビジュアルでPARCOというブランドを印象づける必要があった。

展示風景より、PARCOのポスター

 こうした目的のもと、石岡が前に押し出したのは商業化され自動化されていく時代のアンチテーゼとでもいうべき、圧倒的な「生」の感覚だった。河尻はPARCOの一連のビジュアルについて次のように語る。「『裸をみるな裸になれ』というキャッチの、トップレスのモデルが微笑むポスターに象徴されるように、石岡は人間が何のために消費するのか、という根源的な問いを、コミュニケーションをするかのように当時の若者達へと投げかけた」。

展示風景より、PARCOのポスター

 こうした石岡の本質を探る問いかけは、やがて海外へとその答えを求めていく。モロッコでのロケを刊行したPARCOのポスターは「あゝ原点」という印象的なキャッチとともに、服を着るという行為の根源を問うようなビジュアルが印象的な広告だ。本来、商品を魅力的に見せるための広告を、消費についての行動や欲望について問い直すものとした石岡の、センセーショナルな仕事が伝わってくる。

展示風景より、PARCOのポスター

 また、この時代の石岡の仕事として外せないのが角川文庫のポスターだろう。文庫本を「知を持ち歩くもの」と解釈することで、新しい時代の考え方を提示。その刺激的なコピーともに、時代に衝撃を与えた。

展示風景より、角川書店のポスター

 「3幕|着地は熱情であらねばいけない ―裸のアートワークに映る私―」では、より石岡の「個」から生まれたクリエイションに迫る。

 デザイナーの全国組織「日宣美(日本宣伝美術協会)」は新人デザイナーの登竜門とされており、石岡はこのために、竣工を翌年に控えた国立京都国際開館で行われる「架空の」文化シンポジウムを構想してポスターを作成。グランプリを受賞する。

展示風景より、左が「日宣美(日本宣伝美術協会)」グランプリの《シンポジウム:現代の発見》(1965)

 本作の制作プロセスは極めて独創的で、実際に球体、立方体、三角錐をつくり撮影したうえで、この写真を素材として組み合わせながら平面構成を練り上げていった。河尻によれば、本展を開催する兵庫県立美術館を設計した安藤忠雄が、石岡のグラフィックを「3D的」と評したという。本作はこうした石岡の仕事が持っている外側に飛び出すような運動性を端的に伝えるものといえるだろう。

 また、この3幕では石岡が美大時代に制作したと思われる、世界を股にかけて活躍することを予見するような自作の本『ECO`S LIFE STORY』なども展示。石岡がどのような目標を持って仕事に向き合っていたのかを知ることができる。

展示風景より、右が『ECO`S LIFE STORY』

 「4幕|本も雑誌もキャンバスである ―肉体としてのブックデザイン―」では、石岡が手がけたブックデザインを紹介。

 石岡はポスターのみならず、多くの本やレコードジャケットのデザインも手掛けてきた。例えばあまり知られていない、教科書の表紙の仕事をはじめ、書籍の内容をいかにコンセプチュアルにイメージへと導いたのか、その実践をここで確認したい。

展示風景より、「4幕|本も雑誌もキャンバスである ―肉体としてのブックデザイン―」

 「5幕|地球のすべてが私のスタジオ ―I(アイ)デザインは境界も時代も超える―」では80年代以降、映画などにも広がり始めた石岡の仕事を見る。

 ジャズ界の巨匠、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のアートワークは、ニューヨーク近代美術館に永久保存されている、石岡の仕事を代表するもののひとつだ。マイルス、写真家のアーヴィング・ペン、そして石岡によるセッションのようなグルーヴによってたどり着いた、「ファラオのマスク」を体現したジャケットは、いまも見る者に強い印象を残す。

展示風景より、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のアートワーク

 また、当時知名度が低かったタマラ・ド・レンピッカを広く知らしめることになる画集や、ナチスへの協力を経て戦後も映像作家として活動したレニ・リーフェンシュタールの個展の仕事など、石岡は表現者の人生と向き合いながら、それを具現化させる仕事を続けていった。

展示風景より、「映像の肉体と意志──レニ・リーフェンシュタール展」のポスターや図録

 その後も、石岡はフランシス・フォード・コッポラ監督『ドラキュラ』の衣装デザインで、第65回アカデミー賞を受賞するなど、映画をはじめとした視覚芸術の仕事に重きを置くようになる。会場では、コッポラが石岡の才能に注目するきっかけとなった、『地獄の黙示録』の日本版ポスターなどが展示されている。

展示風景より、フランシス・フォード・コッポラ監督『地獄の黙示録』の日本版ポスター

 石岡瑛子の仕事ひとつひとつを、成果物から丁寧に見る展覧会だ。クライアントワークにおいて、その溢れんばかりの「自分」を発揮し、世界に自身の存在を認めさせていった石岡のものづくりの姿勢。そこから現代人が学ぶことは多いのではないだろうか。