2024.10.19

志賀耕太「SIDE GAME」(マイナビアートスクエア)開幕レポート。遊びのなかに見る歴史の重層性

東京・東銀座のマイナビアートスクエアで志賀耕太の個展「SIDE GAME」が開幕した。会期は2025年1月25日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、志賀耕太《ステートサイド・ゲーム》(2024)
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 東京・東銀座のマイナビアートスクエアで志賀耕太の個展「SIDE GAME」が開幕した。会期は2025年1月25日まで。本展は「ARTISTS’ FAIR KYOTO 2024」の「マイナビ ART AWARD」を志賀が受賞したことにちなむ展覧会でもある。

 志賀耕太は1998年東京生まれ。東京を拠点に空間や道具の規則を流用し、「遊ぶ」ことで現代の都市をとらえ直すショートフィルムやパフォーマンス・ビデオを制作してきた。

 まず会場で目につくのは、鎮座する野球のスコアボードと、球場の観客席を思わせる青いベンチ、そして映像によって構成された《ステートサイド・ゲーム》だ。本作は志賀が自らがファンであるという東京ヤクルトスワローズのホームグラウンドである神宮球場と、球団の応援歌である「東京音頭」の歴史に着目して制作した作品だ。

展示風景より、志賀耕太《ステートサイド・ゲーム》(2024)

 神宮球場は1945年の終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に占領され、名前も「STATE SIDE PARK」に変更された。会場に用意された木製の大型のスコアボードには、当時の名称である「STATE SIDE PARK」という文字が描かれ、「アメリカ(=STATE)の球場」というその言葉が示す歴史的な意味を観賞者に印象づける。

展示風景より、志賀耕太《ステートサイド・ゲーム》(2024)

 モニターでは神宮球場や、関東大震災から復興する東京の応援歌としてつくられた東京音頭の歴史を、場内アナウンスのようなナレーションによって解説する映像作品が上映され、映像には志賀本人も登場する。

 志賀がモチーフとした神宮球場は、関東大震災、東京大空襲、アメリカ軍の占領、そして戦後の復興と高度経済成長という東京の歴史が刻み込まれており、またアメリカからもたらされた野球というスポーツの舞台として、日米関係史への想像力を喚起させる存在でもある。こうした複雑な歴史のレイヤーを、志賀は軽やかかつコミカルに作品化することで描き出す。

展示風景より、志賀耕太《ステートサイド・ゲーム》(2024)

 また、志賀が陶芸教室に通って技術を習得し制作したという、神宮球場を象った器も興味深い。昭和時代に東京音頭を有識者たちが集まって企画した場所が北大路魯山人ゆかりの料亭だったことに着目した志賀は、魯山人が好んだ織部好みの扇鉢を球場のダイヤモンドに見立てて作品にした。ここでも、歴史の重層を読み替える志賀のテクニックが光る。

展示風景より、志賀耕太の陶芸作品

 映像作品《鎖国兵器》は、バドミントンとビリヤードがはじめて日本に伝わったとされる、長崎の出島でのリサーチから発想された映像作品。鎖国下に長崎・出島で広まったビリヤードやバドミントンをモチーフに、スポーツが兵器として利用される世界における、国家や家族のあり方を問うている。

展示風景より、志賀耕太《鎖国兵器》(2024)

 モニターの周囲にはバドミントンのラケットやネットが配置されているが、こうした「遊びの道具」の意味も映像作品の視聴後にはまた異なる意味を見出さずにはいられなくなる。

 身近で誰もが知っている「遊び」のなかに潜む歴史を、ユーモアあふれる手つきで探り出し提示する本展。美術という営みのなかにあるはずの「遊び」を、いまいちど考えたくなる展覧会だ。