2025.2.14

ダミアン・ジャレと名和晃平が《MIRAGE [transitory]》で見せた新展開

振付家・ダンサーのダミアン・ジャレと彫刻家・名和晃平のコラボレーションによるシアターピースの第4作《MIRAGE [transitory]》が昨秋、福岡・博多で初演を迎えた。

文=住吉智恵 Photo by Yoshikazu Inoue

《MIRAGE [transitory]》上演風景より
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  振付家・ダンサーのダミアン・ジャレと彫刻家・名和晃平のコラボレーションによるシアターピースの第4作《MIRAGE [transitory]》が昨秋、福岡・博多で初演を迎えた。音楽を元ダフト・パンクのトーマ・バンガルテル、衣裳をANREALAGEが担当している。

 会場となったのは、2層吹き抜けのユニークな構造を持つ「イマーシブシアター THEATER 010(シアターゼロテン)」。バーレスクスタイルのショーなど幅広いエンターテインメントバーが展開されるというそのステージは、天井が高い縦長の舞台空間と、ダンサーの体温や息づかいが観客席に伝わるほどの距離感が特徴的だ。今回これまでの3作品とは異なり、普通のリハーサルスタジオでは制作不可能なプロダクションであることから、名和が率いるクリエイティブ・プラットフォーム「スタジオSandwich」のスタジオの一角に本番と同じ舞台空間を建て込んでクリエイションを行ったと聞く。

イマーシブシアター THEATER 010(シアターゼロテン)
(C)GION
左から、名和晃平、ダミアン・ジャレ、トーマ・バンガルテル

 本作のために世界各地で活躍する9名のダンサー(エミリオス・アラポグル、湯浅永麻、ヴィンソン・フレイリー、三東瑠璃、牧野李砂、リ・カフア(Lico)、福士宙夢、加賀谷一肇 、モテギミユ)が集められた。彼らはその並外れた身体表現力を駆使し、ときには等身大のヒューマンスケールで、ときには人体の領域を拡張するパフォーマンスを見せた。

 例えば、冒頭でランウェイさながらにポーズを取りながら舞台を行き交ったダンサーたちは、やがて客席に向かってせり出した半円形のステージで四肢を絡めあって円陣を組み、密林のラフレシアのように花弁を開いて呼吸しはじめる。またある場面では乳白色のスモークに包まれ、皮膚にまとわりつく霧のまにまに浮かびながら、顕微鏡の中の微生物のように蠢いていた。

《MIRAGE [transitory]》上演風景より

 クライマックスにさしかかると、彼らの身体は天井から降り注ぐグリッター(超高価な素材だそうだ)を浴びて金属質の皮膜に覆われ、よりいっそう異形の様相を見せる。さらに刮目させられたのは、メタリックな質感を帯びたダンサーの身体が、舞台中央に縦方向に組み上がり、屹立する偶像のようなトーテムを構築したシーンだ。天井高く積み重なり、複雑怪奇に編み込まれた8つの身体は境目を失い、キメラやヤドリギといったハイブリッドな生命体の誕生を想起させた。

《MIRAGE [transitory]》上演風景より
《MIRAGE [transitory]》上演風景より

 ジャレと名和は2013年に出会い、以来10年以上にわたり協働を重ねてきた。これまでの3部作《VESSEL》《Mist》《Planet [wanderer]》は、日本神話に記された3つの世界(黄泉、高天原、葦原中国)に着想を得て制作された。コロナ禍の中止を経て、ついに今年日本で上演が予定されている近作《Planet [wanderer]》では、ある惑星の荒涼とした大地に縛られながら懸命にさまよい出ようとする人々の姿を描いた。本作《MIRAGE [transitory]》は《Planet [wanderer]》に連なる新たなフェーズを示すもので、「神話」の先にある次の世界のヴィジョンを描くことに挑む。砂漠をさまよう人々がやがて自身の本質を探し求め、そこで見た儚い「幻覚」や「蜃気楼」の中に、未だ確信はなくとも微かな希望の光を見出そうとする姿を表現したという。

 前述したいくつかの力強いシークエンスを終えた後、ラストでは水の柱が出現し、その中を煌めく光が二重螺旋を描きながら立ち昇っていく。ひとりの女性ダンサー(リ・カフア)がその輝きを慈しみ、自身の体内に取り込もうとするかのような動きを見せる。するといつのまにか背後に現れた黒人の男性ダンサー(ヴィンソン・フレイリー)が、讃美歌として歌い継がれるデューク・エリントンの楽曲「Come Sunday」を見事にアンプラグドで歌い上げた。

《MIRAGE [transitory]》上演風景より

 本作に至るまでの過去3作品でのジャレと名和による演出は、ダンサーの頭部を含む肉体をたがいの身体やなんらかの物質によって覆い隠すようなものが多かった。性別や個性を剥ぎ取られ、人でない「態」そのものとなった身体の変容は、匿名性の高い古代の土器や祭祀の仮面、あるいは生命を宿しながらも「顔」の見えない臓器や器官を思わせるものだった。

 本作《MIRAGE [transitory]》でも、中盤でメタリックな皮膜に覆われたダンサーたちはたちどころに「顔」の見えない存在と化し、人間と非人間、意識と無意識、精神と肉体のあわいを惑い続ける。だが、2人のダンサーが光の啓示を抱きしめ、生の歌声を解き放つラストを迎えたとき、その佇まいは「顔」の見える生身の人間性を取り戻したように見えた。ジャレと名和が結末にこのシーンを選んだことにより、これまでのどこかディストピアめいた禍々しい世界観を超え、深く安寧を感じさせる作品となったことが鮮烈だった。《MIRAGE [transitory]》は、彼らがそれぞれの関心領域で深化させてきた考察の結節点を見せてくれた。他都市での再演が待ち望まれる作品である。