“南画の大成者”85年ぶりの大回顧展。
鈴木俊晴が見た「池大雅 天衣無縫の旅の画家」展
江戸時代中期、与謝蕪村とともに南画を大成させた池大雅(いけの・たいが)。京都に生まれ、日本各地を訪ね歩いた大雅の、初期から晩年にいたる代表作を一堂に集めた本展は、じつに85年ぶりの大回顧展だ。豊田市美術館学芸員の鈴木俊晴が、その今日的意義を問う。
「池大雅 天衣無縫の旅の画家」展 回復期の南画 鈴木俊晴 評
「85年ぶりの大回顧展」だというのに、入館待ちの行列はおろか、展示室もそれほど混雑していない、というのは、いったいどういうことだろうか。
2016年の夏、池大雅とも親交深い絵師・伊藤若冲目当てに上野公園に尋常ならざる行列ができたのは記憶に新しい。のみならず、曾我蕭白、狩野山雪、岩佐又兵衛、長沢芦雪、歌川国芳といった、1960年代に辻惟雄によって企てられた「奇想の系譜」の絵師たちはいずれもここ数年充実した展覧会に恵まれ、大いに耳目を集めている(ちなみに、2019年にはこの系譜による大規模な展覧会「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」展が東京で予定されている)。
いっぽう、近頃いわゆる「南画/文人画」の周辺はいささかさみしい。例えば2016年、若冲の熱狂に先んじて開催された兵庫県立美術館の「富岡鉄斎展」は、きわめて充実した展観にもかかわらず、少なくとも私が訪れた2回の機会のいずれも混雑と呼ぶにはほど遠かった。ここで語られているように、南画は「完全においてけぼりを食らっている」。
鉄斎はともかく、今回の池大雅展が敬遠されるというか、いまいち盛り上がらない理由はいくつか思い浮かぶ。
1)写真映えしないうえに、応挙の犬のような「かわいい」キャラクターに乏しく、広報物などでぱっと見たときにその魅力に着目しづらい(じつのところ大雅の画にも「かわいい」ものはたくさん現れるのだが、本展広報では控えめにしか取り上げられていない)。
2)画面の中に文字が比較的多い。書体によってはそもそも判読できない。となると、絵の中に物語や設定があるとしても、すぐには理解できないからつまらない。
3)日本人の画家なのに描かれている場面が中国の風景のようで、いわゆる「花鳥風月」のような、典型的な日本の美を味わうには物足りない。
今日、例えば若冲の作品が、細やかな写実と、文字(文学、詩歌)に頼らない圧倒的な視覚性、そして技巧と奇想による日本的イメージの産出によって人気を集めているとしたら、その裏返しとして割りを食っているのが池大雅らの南画であるようにも思える。しかし、さらにそれを裏返せば、池大雅の作品は、複製不可能な絶妙な彩色が大きな見どころであると言えるし、また、昨今の激動する東アジアの状況を踏まえるならば、大陸由来の書、そして詩歌や音楽が重層するそれは、今日に至るまでの日本の様々な文化における中国の圧倒的な影響を、そして彼の地の文化への「あこがれ」がどれほど諸芸術を駆動させていたかをうかがい、これから更新されていくであろう私たちの世界像にあらためて思いを馳せる契機となるだろう。
さて、その待望の展覧会は、才能のほとばしりを感じさせる幼少期の書、愛用の琴、そして繰り返し参照したという『芥子園画伝』から始まり、形成期の作品とともに大雅の人となりや彼を取り巻く環境が紹介される。
展示の前半の第三章に指頭画(指で描いた即興的な画のこと)が配されているのは心憎い。それまでの緊張感のある学習と吸収のセクションから一息ついて、直接的な身体と絵画の呼応に、南画の一側面である即興と自由さへの意志を存分に楽しむことができるだろう。
あるいは後半の傑作群に流れ込む手前に、控えめに取り上げられている大雅の書や妻・玉瀾の作品。それらはいずれも大雅の絵を見る経験が、いたずらに凝縮し集中するというよりは、拡散し拡張するものでもあることを伝えてくれる。
本展の白眉は、解説でも強調されているように、大雅40代の《漁楽図》や《瀟湘勝概図屏風》といった、細かい筆触で描かれた樹々の葉が画面全体をさざめかせている作品群だろう。そこでは、簡素な筆跡が、硬直した狩野派のように様式化され、たちまちのうちに記号へと転じてしまうのではなく、あくまで一つひとつ独立した筆触であり、かつその世界のなかに佇む樹々の葉である、とでも言えそうな、つまり、そこでは絵画がフォルムと記号の配置のセオリーから脱し、むしろ画家の自覚的な筆触が絵画を内から生産していくようなものへと更新されている(こうした点描について、たまたま同時期に開催中の真島直子の近年の鉛筆画と比してみたい。外なる風景と、内なる身体の照応)。
もう少し踏み込もう。《漁楽図》の画面下から伸び上がるように積まれた景のところどころに、すっと滲むように描かれた樹の幹に注目してほしい。これはあくまで私見だが、方々に流れるように描かれたそれは、あたかも水中の魚のようだ。であれば、私たちは遠くの景色を見ながら、ちょうど画面左下で水に戯れる子供たちのすぐ目の前に広がるはずの水面を同時に見ていることになる。
中国絵画には風景に人間の姿を重ねて見ながら、マクロとミクロを照応させようとする伝統があるが、この《漁楽図》においては、画家の手もとと漁を楽しむ子供の手とが、画面と水面とが、その揺らぎと樹々の点描とが渾然としている。だとしたら、傑作《柳下童子図屏風》の童子が見つめているはずの水面の揺らぎもまた、周囲の葉の点描に託されているはずである。
水面を見つめる絵画――それが19世紀のヨーロッパにおいて近代絵画を駆動するライトモチーフのひとつだったことを思えば、大雅のこの姿勢を、たとえばモネのように脅迫的ではないにせよ、ごくささやかな近代的自我の、絵画の自意識の萌芽と目することもできるだろう。その意味で《三上孝軒・池大雅対話図》の半身の「謙虚な」画家の横顔は示唆的である。
大雅の風景表現を織り成す点描による光の移ろいについて、本展では印象派ないしポスト印象派が参照項として挙げられているが、ざわつく画面や遠近の独特の感覚には、例えば筆致を強固に統制しようとしたスーラやシニャックではなく、むしろひと世代後のボナールが思い起こされる(今秋、久しぶりに日本でボナールの大規模な個展が開催される。なんて年だ!)。詳述する紙幅はないが、両者に通底する、表出する自然とそれを受け止め反芻する自己、そのささやかな係留点としての彼らの絵画――そこには、私たちをとりまく環境がたえずアップデートされ、接続と切断とがかつてない速度で明滅する今日にあって、あらためて自己の内外の自然の表出力とその関係を問う現代的な意義があるように私には思われる。
ともあれ、振り返ってみれば、南画は明治期のフェノロサをはじめ、戦後の岡本太郎や花田清輝らによって批判されたいっぽうで、例えば病に伏した夏目漱石によって、あるいは関東大震災前後の萬鐡五郎や岸田劉生によって、そしてまた戦後の小林秀雄によって切実に求められてきた。南画はいっけんゆるやかなたたずまいながら、その時々に私たちの「いま」を照射してきた。批判の種としてでも、滋養の源泉としてでも、どちらでもいい。いま再び南画を見るべきである。