もうひとつの「ケンポク」。
椹木野衣が見た、飴屋法水の新作劇
演劇を中心に多彩な顔を持つ飴屋法水の新作《何処からの手紙》が、先頃閉幕した「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」で発表された。茨城県北エリアに位置する4つの郵便局にハガキを送り、返信された手紙の指示に従ってこの地をめぐる"演劇"を、椹木野衣がレビューする。
椹木野衣 月評第100回 「ケンポク」はどこにあるのか 茨城県北芸術祭、飴屋法水「何処からの手紙」
飴屋は活動の当初から、その時ごとに発表の形態を演劇、美術、店舗営業などと様々に変えてきたが、本質的に演劇の人に違いない。
それは今回の芸術祭参加作品でも変わっていない。なにも舞台や劇場ばかりが演劇の発表機会ではないのだ。なにか物語があり、それを演ずる人がいて、時間を共有しうる場所があり、そこで見る者がいれば、それだけでじゅうぶん劇になる。屋内であろうと屋外であろうと、公共の場所であろうと私的な空間であろうと、そのことに変わりはない。
俳優に素人を使うことは演出の効果のうえでしばしば試みられるが、飴屋の場合はそれが動物であったことさえある。観客であるはずの自分が、いつのまにか見られる立場に逆転させられていることも少なくない。しかし、ペットショップを訪ねた自分が実はある進行中の劇の観客で、檻の中の動物たちが俳優であったことに気づく者は少なかろう。
今回もそれに近いことが起きている。私たちはまず、指定された郵便局の局長宛てにハガキを出し、返信を待つ。やがて郵便局長から届いた封書には、2枚のポストカードと飴屋の書いた文章、そして手書きの地図と簡単な案内が入っている。もっとも、どれもひどく辺鄙(へんぴ)な場所にあるので、受け取っただけで終わりになる場合もあるだろう。しかしたとえその場合でも、見知らぬ郵便局長と「あなた」とのあいだには、飴屋という演出家を通じて、一定の空想上の関係が結ばれる。ましてや、指示書きに従い、丸一日かそれ以上を費やして会場に向かう者は、ふつうに暮らしていたら絶対に足を運ばなかった場所に導かれ、まったく無縁な人と巡り会うかもしれない。そのとき観客であるなら、あなたが出会う人は、たとえ現実を生きる素のままの人だとしても、飴屋が演出したある劇を唐突に生きている。それをなにかに例えるとしたら、やはり「事故」ということになるだろう。
たとえばそのうちのひとつで、飴屋は実際に具体的な事故のモチーフを扱っている。その事故は、部屋に貼られた展覧会のポスターを通じて、この地域で起きた、もうひとつ別の事故を引き寄せる。「ケンポク」は、かつてクリストとジャンヌ=クロードが、「アンブレラ」を屋外で広域にわたり展開した地区でもあるのだが、このプロジェクトは日米で2名の死者を出している。アメリカでは突風による倒壊、日本では撤去作業中の感電だった。いま日本では芸術祭がかつてなく盛んだが、日本列島で行われるかぎり、会場は自然災害と隣り合わせだ。だが、そもそも日本で古くより「祭」が盛んだったのは、恐るべき自然の脅威ゆえではなかったか。さらに言えば、そのような災害の犠牲者を予防的に先取り(供物)する意味があったからではなかったか。
としたら、日本における大規模芸術祭の先駆けの地と考えられるケンポクだからこそ、この問題に肉薄する必要がある。時期を同じくして、近隣の水戸芸術館では、先の「アンブレラ」の回顧展を開いている。残念だったのは、その検証が展示ではほんの申しわけ程度しか、図録ではまったく触れられていなかったことだ。私がそのことに強く思考を促されたのは、むしろ飴屋の展示のなかで反芻された「アンブレラ」の残像を通じてのことだった。
PROFILE
さわらぎ・のい 美術批評家。1962年生まれ。近著に『後美術論』(美術出版社)、会田誠との共著『戦争画とニッポン』(講談社)、『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)など。8月に刊行された『日本美術全集19 拡張する戦後美術』(小学館)では責任編集を務めた。『後美術論』で第25回吉田秀和賞を受賞。
(『美術手帖』2016年12月号「REVIEWS 01」より)