プレイバック!美術手帖 2008年5月号 特集「あらうんど THE 会田誠」
『美術手帖』創刊70周年を記念して始まった連載「プレイバック!美術手帖」。美術家の原田裕規がバックナンバーから特集をピックアップし、現代のアートシーンと照らし合わせながら論じる。今回は2008年5月号の特集「あらうんど THE 会田誠」を紹介。
「つながり」が示すアートという器の可能性
本特集のタイトルは「あらうんど THE 会田誠」。この「あらうんど」という言葉は、いまふうに言い換えれば「コレクティブ」という言葉に近い実質を伴っている。特集で主に紹介されるのは、Chim↑Pom、加藤愛、遠藤一郎、高田冬彦などを筆頭とする、当時最若手の作家たちだ。
それに加えて、特集には3本の座談会が収録されている。そのうちのひとつ「ふつう研究所座談会」では、会田が2001年から4期にわたって開講した「バラバラアートクラス」(美学校)の教え子たちが登場する。そこに集った人々の多くは、美大受験に失敗するなどして「行き場」をなくした経緯を持つ。座談会に参加していた卯城竜太も、音楽活動に挫折してアートの世界に飛び込んだものの、そこでも鬱屈した想いを抱えて「おれらみたいな人はどこに行けばいいんだろう」と思い悩み、会田のもとにたどり着いたという。
会田は、こうした人々との交流を「ぐちゃぐちゃ志向」と呼んでいる。その志向性は、カイカイキキのように組織的にまとまることはなかったものの、それゆえに、コレクティブ(=集合)と呼ぶに相応しい状況が生まれていた。こうした状況をパッケージして後世に残したという点に、本特集の最大の成果があるだろう。そして、こうした志向性がピークを迎えたのは05年のことだった。この年は、会田が自宅で「西荻ビエンナーレ」を開き、卯城らがChim↑Pomを結成した年にあたる。もうひとつの座談会「青空座談会」では、渋谷の高架下で暮らすホームレスが「アート」の名のもとに(壁画制作のためという理由で)排除された出来事がクローズアップされる。ここでも「居場所」の問題が取り沙汰されているのだ。
ところで、この特集が発売されたのは、筆者が美大受験に失敗してまさに「行き場」をなくしていた時期のことだった。そんな折に本特集を手に取り、少なからず感化された者としては、いまのアートがかつてのような受け皿になりえているのかという疑問も抱く。アートの希望は「これもアートかもしれない」という器の可塑性に宿るからだ。
そのように考えたとき、なぜ時として会田が攻撃的に先行する事例を取り上げるかもわかってくる。例えば、「生徒」になりきった会田が「先生」に教えを請うという体裁で行われた座談会では、「絵画」をめぐる制度の硬直性が暗に批判されている。登壇者の3名はその仮想敵として召喚されたが、印象的なのは最後に全員揃って「お絵かき」をする場面だ。白熱した議論のあとに訪れた制作模様と、最後に収められた1枚の記念写真には、一瞬であれ「絵画」をめぐる制度が相対化され、柔らかくなった瞬間が写し出されている。
(『美術手帖』2022年4月号より)