2019.1.8

【シリーズ:BOOK】
ビデオゲームを芸術哲学の観点から考察する『ビデオゲームの美学』

『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本から注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2019年2月号の「BOOK」1冊目は、スペースインベーダー、ドンキーコング、テトリスといった数々の事例とともに、ビデオゲームをひとつの芸術形式としてとらえ、その諸特徴を明らかにする『ビデオゲームの美学』を取り上げる。

松下哲也(近現代美術史)=評

松永伸司『ビデオゲームの美学』の表紙

ビデオゲーム研究の最重要書

 すでにゲームスタディーズが学問分野として確立しており、多くのビデオゲーム系ウェブメディアが広告媒体然とした役割から脱却した誠実な言論のプラットフォームになろうとしているいま、「ビデオゲームは芸術だ!」(本書帯より)という主張は自明であるように思われる。しかし、この自明の論理を論理にするためには、芸術哲学(分析美学)の手法によって複雑な諸概念や用語に明確な定義と理論的枠組みを与える本書のような基本書が必須である。

 著者の松永伸司は、近年イェスパー・ユールの『ハーフリアル』(ニューゲームズオーダー、2016)、ネルソン・グッドマンの『芸術の言語』(慶應義塾大学出版会、2017)を翻訳したことで知られる美学者である。本書は松永の博士論文がもとになっており──批評や実証研究における「基礎的なツール」としての応用可能性に著者が言及しているとはいえ──徹頭徹尾美学書として書かれている。あくまでも相応に訓練された読者向けの本だ。

 著者は本書を「ユールが定式化したビデオゲームの二面性──ルールとフィクション──とその相互関係を、グッドマン風の記号理論の観点からとらえなおしたもの」に位置付け、主として1人用のビデオゲームの形式に固有の「ナラデハ特徴」を厳密に定義する。なかでもビデオゲームの定義、意味作用、そしてなぜビデオゲームが芸術なのかを論じる第1部「芸術としてのビデオゲーム」の明晰な論理展開には舌を巻く。

 とりわけ、ビデオゲームの受容慣習は確固たるアートワールドを形成しており、その受容慣習に向けて作品を制作する慣習が存在するという意味で、ビデオゲームは芸術形式なのだとする本書の指摘は重要だ。この定義は、芸術学的なゲーム批評/研究の実践を推進させるための強力なエンジンとなりうる。

 今日では、ビデオゲームに対する「芸術的介入」としてのゲームアートなど、ビデオゲームの美的価値を代弁しようとする美術ジャンルが存在する。しかし、美術のような他分野がわざわざ介入せずとも、ビデオゲームが芸術なのは明らかだ。本書が定義する「ナラデハ特徴」がビデオゲーム「ナラデハ」の議論のためのツールとして共有され、同分野の言論が今後豊かになることを期待する。