アンディ・ウォーホル、知られざる熱心なキリスト教信者としての顔
アンディ・ウォーホルの大回顧展「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」の開催にあわせて、雑誌『美術手帖』2014年3月号より、宮下規久朗によるウォーホルの信仰とイコンをめぐる論考を公開。最晩年に取り組んだ宗教的主題とウォーホルの心境を掘り下げる。
アンディ・ウォーホル(1928~87)は、アメリカ・ペンシルベニア州生まれ。キャンベル・スープやマリリン・モンローといった大量消費社会の象徴を用いたシルクスクリーン作品をはじめ、旧来のアートの価値観を刷新する表現や活動で知られ、ポップ・アートを代表する芸術家となった。
本記事では『美術手帖』2014年3月号「アンディ・ウォーホルのABC」特集より、宮下規久朗によるウォーホルの信仰とイコンをめぐる論考を紹介する。
絶筆は「最後の晩餐」。知られざる、熱心なキリスト教信者としての顔
ウォーホルが死の直前まで取り組んだのは、世界的に有名な宗教画を参照したシリーズだった。なぜ晩年にこのモチーフを繰り返し描いたのか。パーティーに通う華やかな生活の一方で日々教会へも訪れていた、知られざる一面に切り込む。
アンディ・ウォーホルが最晩年に取り組んだ「最後の晩餐」の連作は、ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂にある有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画を題材にしたものであり、ウォーホルの絶筆となった。1987年1月23日、レオナルドの《最後の晩餐》のあるサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂の隣に位置するパラッツォ・デレ・ステリーネでウォーホルの「最後の晩餐」展 が開幕。ウォーホルは、「もし観客が本物の《最後の晩餐》を見られなかったら、通りを横切って僕のやつを見にくればいい」と発言している。このオープニングに出席した後に体調を崩し、帰国後ニューヨークの病院に入院。胆のう炎の手術を受けるが、合併症を起こし、手術の翌日2月9日に死去した。
ウォーホルは63年にも、「モナリザ」を題材にしていくつかの作品をつくっていたが、「最後の晩餐」シリーズは、レオナルドの名画の直接的な引用ではない。ウォーホルは当初、《最後の晩餐》を模した立体の置物を購入し、これを撮影するなどして作品化しようとしたがうまくいかず、百科事典にあった線描だけによる挿絵を元にいくつかの「最後の晩餐」を描いた。