短期集中連載:ミュージアムの終活(または再生)(2) 収蔵庫の臨界点(クリティカル・ポイント)
新型コロナウイルスのパンデミックによって大きな影響を受けるミュージアム。経済的な危機だけでなく、制度的な限界など、ミュージアムを取り巻く現状と課題について、国立美術館理事の経験を持つ文化政策研究者/同志社大学教授の太下義之が考察する。
近年、多くの博物館が、コレクションの収蔵に特に苦慮している。収蔵庫が満杯状態になっているのである。
公益財団法人日本博物館協会が毎年実施している「日本の博物館総合調査報告書」の令和元年度版によると、収蔵庫のどのくらいの割合がすでに使用されているかという設問に対して、「9割以上(ほぼ、満杯の状態)」という館が全体の33.9パーセントで、「収蔵庫に入りきらない資料がある」という館も23.3パーセントとなっている(公益財団法人日本博物館協会2020:9)。この2つの回答を合計した「満杯状態」の博物館は57.2パーセントに及んでおり、前回(2013年)調査の46.5パーセントより10ポイント以上も増加している。
また、こうした収蔵庫の不足は別の問題も生み出している。同報告書では、「全体として所蔵資料点数に顕著な増加傾向が認められない背景には、保管施設としての収蔵庫の逼迫した状況も影響していると思われる」(公益財団法人日本博物館協会2020:288)と分析している。
コレクションの収集・保全は、言うまでもなく博物館の基本機能であるが、その基本が揺らぐ事態となっているのである。「収蔵ができない」という事態は、ミュージアムという社会装置が機能不全に陥っているということにほかならない。こうしたことから、同報告書では「収蔵庫の確保は、日本の博物館において避けて通ることのできない問題」(公益財団法人日本博物館協会2020:9)としている。
こうした収蔵庫の不足は様々な問題を派生させている。例えば、朝日新聞の記事「仏像で『満杯』 地域の博物館、あふれる寄贈の文化財」(*1)によると、高齢化や過疎化のため、従来は地域で信仰の対象や宝物として守られてきた仏像などが、博物館に預けられるケースが近年目立っている、とのことである。その結果として、もともと満杯状態であった博物館の収蔵庫が、寄贈品であふれるという事態になっているのである。
同じく朝日新聞の記事「糸車ほしい…民具の処分告知に希望者殺到 鳥取の資料館」(*2)によると、民具などを収集・展示する鳥取県北栄町の町立資料館「北栄みらい伝承館」では、増えすぎた収集品の処分を前提にした「お別れ展示」を2018年8月に開催した、とのことである。本稿の冒頭で紹介した収蔵品の処分が、意外な理由から日本でも実施されていたのである。
さらに、アーツ前橋における借用作品の紛失事件においては、紛失した作品(木版画4点、書2点)は、廃校となった旧前橋市立第二中学校のパソコン室に保管していたとのことである。前橋市の報告書(*3)によると、このパソコン室には学校不用品が混在して保管されており、美術品保管には適さない場所であったと報告されている。同報告書では触れられていないが、この紛失問題の真の原因は、美術館の収蔵庫の不足にあったと考えられる。
以上のように、収蔵庫が満杯であるという問題は、「新たに資料を収集することができない、収集するために収蔵資料を処分する、満杯になった収蔵庫を放置するなど、博物館の根幹にかかわる問題」(公益財団法人日本博物館協会2020:135)をさらに誘引することになる。とくに近現代美術に関しては、今後、個人コレクターの相続が発生した際に、それらをミュージアムが引き受けることができないために、貴重なコレクションが散逸してしまう懸念もある。さらに、後述する施設の老朽化への対応も含めて、ミュージアムにとっての収蔵庫問題は喫緊の課題となっている。もはや、日本のミュージアムの収蔵庫は臨界点(クリティカル・ポイント)に達していると言えよう。そしてこのままでは、博物館・美術館という制度自体が“博物館”化してしまう懸念がある。
さて、このような収蔵庫の不足という大きな課題にストレートに対応するならば、収蔵庫を新設するという解決策が考えられる。
実際、かつて1970年代には、安宅コレクションの散逸の危機を背景として、「国立美術庫」という構想が企画されたこともあったようである(大島1996:83-90)。しかし、この「国立美術庫」構想は実現しなかった。
いっぽう、地方自治体においては、近年、収蔵庫を新たに増設する事例が散見される。例えば、栃木県立博物館(1982年開館)においては、2020年3月に新収蔵庫が完成し、2021年4月から使用開始されている。また、兵庫県立人と自然の博物館(1992年開館)では、2022年10月の運用開始を目指して、事業費9.4億円をかけて収蔵庫を新設している。
ただし、多くの地方自治体にとっても収蔵庫の整備が困難であるという状況は国と同様である。もしもミュージアムが、設置者である自治体に対して収蔵庫の増設を要求したとしても、「財政側は『来館者に直接的に関係する部分についてのみ対象とする』であり、バックヤードなどは投資の対象外」(木村2018:8)と拒否されてしまうのが現実であろう。
そこで、新たなソリューションとして、「Visible Storage:見せる収蔵庫」というアイデアが考えられる。「見せる収蔵庫」とは、文字通り「収蔵庫」としての機能を有していながら、公衆に対して公開する施設のことであり、一般のミュージアムにおいて公衆に対して隠されている収蔵品へのパブリックアクセスを最大化する方法である。この「見せる収蔵庫」は、1970年代にブリティッシュコロンビア大学の人類学博物館で博物館の展示を「民主化」する取り組みとして始まったとされる(*4)。
ミュージアムの収蔵品の一部または特定のコレクションを「見せる収蔵庫」として公開する試みは、これまでも多くのミュージアムで実践されてきた。一方、近年になり、ミュージアム全体(または大部分)が「見せる収蔵庫」である事例が頻出している。以下において、スイスのSchaulager(シャラウガー)、米国のThe Broad(ザ・ブロード)、韓国の国立現代美術館清州、オランダのDepot Boijmans Van Beuningen(デポ・ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン)の4つの事例を紹介したい
Schaulager
シャウラガーは、現代美術の保管と展示を組み合わせることを目的として、2003年にスイスのバーゼル市に整備された。"schauen(=見る)" と "lagern(=保管する)"という2つの単語を合成した「シャウラガー」という名称が象徴している通り、現代美術の保存・研究と提示という2つの機能を兼ね備えた、オープンなストレージである。このシャウラガーは、ローレンツ財団によって運営されている。
シャウラガーのコンセプトは、エマヌエル・ホフマン財団のアートコレクションのために考案された。このエマヌエル・ホフマン財団のコレクションの作品は、バーゼル美術館に定期的に展示されている。同美術館で展示されていないときは、シャウラガーに保管され、専門家(研究者、教師、学校のグループ、美術館の専門家、芸術家)はいつでもアクセスすることができる。
また、シャウラガーは、現代美術の展覧会を開催したり、その他のイベントを主催したりすることで、より多くの人々にもリーチしている。
The Broad
The Broad(*5)は、2015年にロサンゼルスのダウンタウンに開館した美術館で、延床面積12万平方フィート、2階建てのミュージアムで、建築費は約1億4000万ドルとなっている。同館は、1950年代から現在までの現代美術に関して、200人以上のアーティストによる2000点の作品を有しており、世界有数のコレクションを形成し、年間90万人以上の訪問者を世界中から迎えている。
このThe Broadは、可能な限り多くの来館者がコレクションを鑑賞できるように、美術館全体が「見せる収蔵庫」となっている。
国立現代美術館清州
韓国の国立現代美術館の分館「清州館」は、2018年に清州市に開館した。同館の最大の特徴は、韓国初の「見せる収蔵庫」となっている点である。
同美術館の2階から4階は「見せる収蔵庫」となっており、来館者は同館のコレクションをガラス越しに鑑賞することができる。また、4階の一部は「特別収蔵庫」となっており、韓国の現代美術家の作品約800点を収蔵・管理している。この「特別収蔵庫」は、作品の研究を目的とする来館者に開放されている。さらに同館の5階は「企画展示室」となっており、多様な展覧会が開催されている。
Depot Boijmans Van Beuningen
ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館は、オランダの港湾都市ロッテルダムの中心部に立地するミュージアムで、いまから170年前に設立された。同ミュージアムのコレクションは2021年現在で約15万1000点に達しており、そのうちとくにドローイングや版画、初期フランドル派の絵画、印象派、シュルレアリスムのコレクションは、世界で最高のもののひとつとして評価されている。ただし、現在のミュージアムの建物では、豊富なコレクションの8パーセントしか展示できないという課題を抱えていた。
こうした背景のもと、同ミュージアムは「見せる収蔵庫」として、Depot Boijmans Van Beuningenを2021年秋に開館予定である。このDepo(収蔵庫)の大きさは延床面積が1万5000平米、6階建て、高さ40メートルとなっている。このDepoでは通常の展覧会は開催されず、ガイドと一緒またはひとりで、収蔵された美術品や保存修復の現場を閲覧することができる。
特筆すべき事項は、このDepotではボイマンスヴァンベーニンゲン美術館のコレクション用の倉庫に加えて、個人のコレクターや企業のコレクション用に7つのコンパートメントが整備されている点である。
こうした収蔵庫の開放に関しては、「おしきせの展覧会のシステムに関係なく、見るものの意思を尊重して、より多くのオリジナル作品とストレートに対面する機会をあたえようとする、新たな〈美術館学的手法〉のあらわれ」(長谷川1982:158)であり、また、「〈公共コレクション〉の市民への解放の意識に基づく美術館施設の〈民主化〉の理想の具現のひとつ」(ibid.)と高く評価されている。
コレクションの公共性や、公共財としてのコレクションへのアクセシビリティを勘案すると、従来型の収蔵庫よりも、むしろ「見せる収蔵庫」の方が望ましいとも考えられる。
*1──朝日新聞(2018年8月29日)「仏像で「満杯」 地域の博物館、あふれる寄贈の文化財」
*2──朝日新聞(2018年9月4日)「糸車ほしい…民具の処分告知に希望者殺到 鳥取の資料館」
*3──前橋市文化国際課アーツ前橋(2020年11月9日)「アーツ前橋における借用作品の紛失について」
*4──New York Times(8/5/2001)“Museums as Walk-In Closets; Visible Storage Opens Troves to the Public”
*5──The Broadの創設者であり、慈善家で起業家のエリ・ブロードは2021年4月30日に87歳で逝去した。