櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:ふたりの物語

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第76回は、フェルト製の缶詰などあらゆるものをつくり続ける村田美幸さんに迫る。

文=櫛野展正

村田美幸さん
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 神奈川県のほぼ中央に位置し、都心のベッドタウンとしても知られる平塚市。駅前の商店街を抜けた先に、今回の目的地「嬉々!!CREATIVE(キキ・クリエイティブ)」はある。この場所は、20年以上にわたり、障害のあるアーティストの展覧会の企画・商品化に携わってきた北澤桃子さんが満を持して、2022年4月にオープンした障害のある人たちの福祉施設兼アトリエだ。

 ちょうど訪れた時間は、まるで一般企業のような給料の会計報告会が行われており、先月の売り上げが赤裸々に発表されていた。一般企業と違うのは、その場にいる全員が手を叩き、みんなの頑張りを顕彰していたことにある。和やかな雰囲気の余韻を感じながら、北澤さんの案内でアトリエを見学させていただいた。以前から見知った障害のあるアーティストの新作やパフォーマンスに五感が刺激される中、最も僕の心を鷲掴みにされたのが部屋の片隅で黙々と刺繍に取り組む、ひとりの女性の作品だった。

 彼女がつくっていたのは、フェルト製の作品なのだが、これがめちゃくちゃ面白い。棚の上には、食品缶詰をモチーフにした作品が並べられていたが、中身が見えるようにすべて蓋は半分開いた状態で、中まで精巧に再現されている。どこかで見たことがあるような「さんま蒲焼」の缶詰は、黒、緑、赤といった馴染みの配色に加えて、パッケージに記されているのは企業ロゴではなく「MIYUKI」という作者自身の名前だった。

村田美幸さんの作品
フェルトでつくられた「さんま蒲焼」

 「このシャケは、握力を鍛えるためのハンドグリップを入れているんです。こっちは、納豆が詰まった『納豆時計』です」。

 そう教えてくれたのは、作者の村田美幸(むらた・みゆき)さんだ。次々と出てくる脱力感漂う数々の作品に思わず笑みがあふれてしまった。スタッフの話によれば、これまで200作品以上を生み出しているのだという。

ハンドグリップを入れたシャケの切り身
右が納豆が詰まった「納豆時計」

 1980年に3人姉妹の末っ子として生まれた村田さんは、生後すぐに双子の姉だった奈月(なつき)さんが他界。幼少期に姉の存在を知った村田さんは、その当時、両親が泣いて悲しんでいたことを記憶しているのだという。

 小さい頃からものづくりが好きで、中学・高校時代は美術部に所属した。卒業後は、職業能力開発校を経て、1年間パソコン教室へ通ったあと、電気事業サービス会社へ就職。経理事務を任され、懸命に働いた。ところが、人間関係のもつれで、7年働いたあとに退職し、2011年12月より、北澤さんが以前に携わっていた平塚市内の福祉施設へ通うようになったというわけだ。

 一般就労とは雰囲気が違う福祉施設の賑やかな環境に、当初は面食らったような様子だったが、次第にスタッフやメンバーともコミュニケーションをとることができるようになっていく。そこで彼女が明らかにしたのは、20代の頃から他界した姉をモデルにした人形制作を続けていたことだった。

 「お出かけしたときに、双子の人を見ると良いなと思ってしまうんです。やっぱり姉の奈月ことが頭から離れなくって。奈月は天国に行っちゃったけど、側にいてもらいたいなと思って。それに、いまも空を見るのがすごい好きで、時々空に向かって話しかけています」。

村田さんはいつも奈月さんと一緒だ

 村田さんによれば、学生時代はそうした人形制作は思いつかなかったというが、制作を始めた20代といえば、ちょうど村田さんが会社で働いていたときだ。職場の人間関係で悩んでいたとき、心の拠り所として制作を始めたのではないかと僕は推測する。何より驚かされたのは、人形の着せ替え衣装はもとより、その食事や布団から、化粧品や旅行バッグに至るまであらゆるものがフェルトでつくられていたことだ。その数は優に500点を超えており、スタッフの話によれば「彼女自身が持っているものは、だいたい制作している」のだという。旅行に行く際も常に専用カバンに入れて携帯し、カバンにはちゃんと景色が見えるように小窓まで設けられている。旅先ではフェルトでつくった食事を広げ、夜は専用の布団を掛けて、村田さんの側で一緒に眠っているという。顔につける専用クリームまでフェルトでつくっているというから、そのこだわり具合には脱帽してしまう。

奈月さんの衣装

 「家の夕飯がカレーだったら、奈月にもフェルトでカレーを出してあげたりしてたから。私が好きなものは奈月も好きなんです」と笑う。人形の存在は、まるで彼女にとってのイマジナリーフレンドのようなものなのだろう。

 「裁縫は、小学生くらいからやっています。母は手芸が得意なんで、分かんないところとか教えてくれるんですよ」。

 右半身の肩から足にかけて麻痺がある村田さんだが、器用に片手を使って裁縫を行っていく。制作にあたっては、まずノートに下描きを行うのだという。「さんまの缶づめポシェット」や「しゃけの缶づめポーチ」「ネギものさし」など、頭に浮かんだユニークなアイデアを思いついたら、それらをノートに描き留めていく。実際にノートを見せていただいたが、単なるラフスケッチではなく、細部まで描き込んだあと、なんと色塗りまで行うという徹底ぶりだ。

 この絵を正確に三次元化していくのだが、コーンの缶詰めなどに至っては、コーンを一粒一粒つくっているのだから途方も無い時間がかかることは容易に推測できる。そうした中で、楽しみを持続させていくためのビジョンこそが、このノートなのではないかと僕は想像してしまう。「みゆきソース ナポリタン」「ミヤングやきそば Big!」など、自身の名前をもじった商品名を冠しているのは、周囲の人たちを楽しませたいという彼女の思いからだ。そして、それは彼女だけではなく、それを一緒に面白がって共感してくれるスタッフがいるからこそ、生まれてくる作品なのだろう。

村田さんの作品
「ミヤングやきそば Big!」
こちらはミカンとおでんの缶詰

 村田さんは、姉である奈月さんとは出会うことのなかった別れを経験している。姉の存在はいつまでも心に残り続け、それを追いかけても見つけることはできない。いわゆる「あいまいな喪失(ambiguous loss)」と呼ばれる喪失体験なのだが、彼女はそれを悲しみではなく楽しさを軸にした作品制作で上書きすることで、セルフケアとでも言うべき自己救済を行っているわけだ。

 流しそうめんやバーベキューなど、奈月さんのために制作した数々のフェルト製の食品を眺めていると、村田さんと奈月さんの2人だけの幸せな物語が頭を巡る。奈月さんのため、そして誰かを喜ばせるために、今後も村田さんの作品制作は続いていくのだろう。次作は、一体どんな奇想天外な表現を生み出してくれるのだろうか。短時間で、僕はすっかり彼女の虜になってしまった。

 それにしても愕然としたのが、数千円という安価な価格でこれらの作品が販売されていたことだ。その労力と価値を考えれば、あり得ない値段なのだが、青田買いじゃないけれど、あなたも彼女の物語の一部に加わってみるのも良いかもしれない。